こうじゃなきゃいけないおじさんにならないために
それが全てだと思うのは落とし穴だと思います。
こうじゃなきゃ、ああじゃなきゃ。
と、考える事ってありますよね。
僕にはちょっとあります。いいえ、ちょっとどころではありませんね。たくさんありますよ!
プライドというまではいかないですが、何か「これはこうなんだ」という“我慢できない何か”があります。
しかしちょっと考えたんですよね。
そういう、ちょっとだけ凝り固まった考えというのは、その分ひとを遠ざけてしまうものでもあります。
だから、仕事ができるとか、賢いんだとか、面白いんだとか、よく話してくれるんだとか、かわいいんだとか、お金持ちなんだとか友達が多いんだとか…そういう、いわゆる人気者になれる特質や資質を持っているのが“全てではない”のです。いろんな、「…でなきゃいけない気持ち」ってありますよね。
世の中なんて、それ以下のひとの方が大半で、得意な事も苦手なことも持ち合わせていないような普通の中の一般的でノーマルなひとの方が確実に多いんですよね。何も持っていないから、自分なんて…と思っているひとはずいぶん多いんだと思います。
最近僕が思うのは、賢いひとや頭の回転が速いひと、物知りだったり、何かに詳しいのって羨ましいな〜と感じます。
特にこれといったような理由は無いのですが、「考えられるチカラ」というのが羨ましいんだと思います。
わかりません。その点は自分でもハッキリとわかっていませんんし、あやふやで、説明のできない何かが、僕をそうさせているんですけど、誰に影響されてそうなったのかとか、何を思ってそういう憧れ的な思いを抱くのか、これから何をしようとしているから、そういう傾向があるのかわからないのです。もちろん、過去を後悔してそう思っているのでもありません。
だから、いつも思うのが、“もうちょっと考えられる脳みそ”が僕に備わっていたらなぁと思ってしまうのです。
iPhoneみたいにアップデートできたらいいのですけど、人間はそうもいきませんよね。
考えられる脳みそが欲しいです!
でも、ちょっと待ってください。
もしも人間がアップデートできるのであれば、どうやってするんでしょうか?
いいえ。
ここで考えるのは、人間を機械化するというSF的な考えではなくて、“実際にそうすること”を前提として考えます。
たまに言うのが、仕事場の人間関係に疲れたひとに、「ひとを変えようとするから疲れるんだ」という話です。
そうなんです、ひとはある意味ではひと(他人)には絶対に変えられないチカラを持っています。
影響される事はあっても、変わる事は難しいのですね。ああ、このひとバカだなと思っても、アップデートするのは自分ではないと考える方が身のためです。
そうしたときに言うのが、“ひとは変わらないから、自分を変えるんだ”と言います。
僕も昔は、ひとに疲れてしまったことがあって、うんざりしてしまいましたが、最近は自分を変える方が何倍も簡単だなと思うのです。
で、最近の結論だと、目立たないくらいに動いて、裏方で働いている方が心地いいなっていうことがわかりました。
ひとには、当然ながら表に立つひととそうでない人がいて、そこには適材適所という言葉が当てはまるように、ふさわしいひとと、そうでないひとがいるんですね。
別にいいんですよ。なんでもできるのがすべてではありません。表舞台に立てるひとがすべてでもありません。
できないのが普通で、目立たないようにひっそりとしているのが心地いいのです。
有名になったり、人気者になるのが全世界全人類の目標ではないのです。
そう。
心地よく働ける事は素晴らしいことではありますが、諦めましょう。変なやつや気に入らないひとはそこかしこに存在しているのです。ひとの邪魔をしないで、誰かのことも執拗に気にしたりしないで、静かに裏方やっている方が僕の性格と考えの方向性としては合っているのです。
それがすべて、そうじゃなきゃいけない、それでこそ世界が回る、そうある方がひととして成っている。
そんな風に考えない方が身のためですね。
自分で自分にストレスを与えない、これからの僕は。