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本と会話の益を考える

夜ご飯を毎日抜いて日課をこなし、毎日をやりたい事で満たすと決め活動中の6日目。


毎日の日課とはこの作文であり、駄文ではあるが出来る限り続けようと思う。

8年程毎日続けていたこの作文だが、特に文才も無いので花開くことは無いにしろ終止符を打った事にはやや虚しさを感じていたので、またはじめだしたというわけ。意外と旅中でもイケる。


ただ、旅と仕事をしながらだとやや難しい事があるゆえに無駄と思われる行動や買い物を削ぎ落として時間を作りだそうという作戦。
そしてそれをするとどう生活が変わるのかという実験でもある。



年齢ゆえにかほんの少し気を抜くと太りだす身体と、朝のスッキリしない感じ、そして眠れない事があるので、コレはその日の疲れに加えて夜の飲食で身体の疲弊が加速しているのではないかと睨み、"夜のご飯を食べない"という突破口をこじ開けたという話だ。
ちなみに今のところ無理はしていない。少し遅めな昼ごはんが功を奏している。




作戦はそこそこうまくいっているのではないだろうか。

たまーにお腹が減ることはあるが、やりたい事をやっている感で腹と心を満たすのは充実感がある。お酒を呑むと食べたくなるので注意。旅中の出費を考えて、元々あまり呑むことはないのだが、この日課を優先すべくお酒も控える事にした。


それゆえにかやや痩せだしたか(?)


体調の変化はあまり無く、特に急激な痩せ感も無い。そこには大きな期待は抱いてはいなくて、プラスアルファで余分の肉が落ちればラッキーくらいに思っている。体力が落ちるのはいただけないが、以前とある場所にてマズい賄いと量の少なさに10キロ近く体重が落ちた際はいつものバックパックが軽く感じたので、そうなれば嬉しいところではある。




今回は少し悩ましい点について考えてみたい。


僕にとっては特に悩むことでもないのだが、僕と同じ生活をしようと思った人なら感じるであろう点についてだ。



問題点は大まかに言うと「孤独感」である。


晩御飯を食べずに日課をこなすというワンセットは、特に深く考えずとも自分の事で埋めるなら"個人的な活動"になる。

その間は独りなわけで。個人活動を1日に1時間やったとして365日を考えると、単純に独り時間が365時間新たに増える事になるわけだ。

一方で、以前なら誰かしらとの会話と共に食事をしていたという日課をこなしていたなら、その時間をその誰かとコミュニケーションを取っている事になるわけで、中にはそれに関してそこまでの益があるのかと疑問に思う人も少なくはないハズである。それに上記ではたかだか日に1時間の事として考えたが、まさか晩御飯を抜いてまでやる日課が1時間なはずはないし、友人や恋人、家族との食事であれば尚更だろう。


もちろんそれは今の僕の個人活動を他の誰かに当てはめた話であって、そうしなくては(孤独を選び書物や文章作りに励む必要)いけないわけではないのだが、ふと自分も今現在の状況を見ては若者とのコミュニケーションを取れる機会を逃しているのではないかと疑ったまでである。





例えば僕の場合だと、海外から来ている若者と英語で話すのは(話すってほど話せはしない)いくらか独学を進めるよりは益があるわけで……。言語学に至ってはやはり習うより慣れろの言葉が当てはまる。

それを言い出したら、だけど。

そもそも独学で学べる事や読書内容を完全に記憶し把握しなど不可能なわけで、その点思い出を作ったり人との会話から記憶する情報の益は計り知れない場合が多くあると考えた。

わざわざ孤独を選んで静かなところで勉学に励むのもいかがなものかと…。



自分だけが益になる事を考えれば、独りになるのを優先してチョイスするのは勝手かもしれないが、僕のような人間に出会っておもしろいと感じてくれる若者もいてくれたりして、「一緒に話しませんか?」と誘ってくれる人がいることを考えたら、自分の益ばかりを計るのも勝手なことなのではないかと。

そこまで厳密な週間を優先すべきものなのかと、難しい顔で考えてみた次第である。
なかなかに悩ましい。


答えはまだ出ていないが、決めた事だ。習慣を続けよう。





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二ノ宮金三郎
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