この記事はアプラクサスという存在について、河合隼雄さんの著書から引用させていただきます。
ここに記す内容は、私のこれまでの記事と、これからの記事全体を通して表現したいことに密接に関わっています。非常に重要な内容なため、長くはなってしまいますが、割愛せず引用させていただきます。
以下より引用
上記の内容には重要な内容がいくつも含まれています。
「第三の道」、「東洋と西洋が接する町」、「いのち」、「偉大なる牧神、パン」、「卑小なるブリアーポス」、「原初の両性具有」、「未完のままにされた」、
そして「極東の特異な島国に住む我々」
ところで、この内容は下記の私の記事と内容がよく似ているとは思いませんか。
それらは「同じ」なのか、それとも「同じように見えて違うのか」、もしくは、「同じ」も「違う」も「一つ」のなのか。
タケミナカタと敵対するタケミカヅチ。
単純な思考パターンですが、敵対する者同士でありながら名前が似通っているようには思えませんか?これはつまり、旧支配者と新支配者、勝者と敗者、それら二つが対となるセットであり、二つが対として在ることが、「出雲の国譲り」という「存在(元型やイデアといえるもの)」なのではないか、ということなのです。
そして、この「存在」を日本神話では「出雲の国譲り」と呼んでいるだけで、別の呼び方をすれば、「縄文と弥生」とか、「古代と現代」とか、「東洋と西洋」だとか、「ディオニソスとアポロン」だとかと呼ばれる、ということなのです。
けれど諏訪大社の本質的な、もっと深い部分の信仰は「アプラクサス」、もしくは、「極東の特異な島国に住む我々」が生み出す「第三の道」であると、私は考えているのです。
タイトル画像
オオヨシキリの巣に托卵された格好の卵イラスト - No: 25646925|無料イラスト・フリー素材なら「イラストAC」