御伽噺 広く、高く、深く、
その4人は始まりの円にいた。
そこで4人は何不自由なく暮らしていたが、やがて何かを求めてそれぞれの方角へ旅立っていった。
A
Aは生まれた時から全てを持っているように見えた。裕福で名誉ある家系に生まれ、秀でた能力を持っていた。
それだけでなく様々な超人的な能力すら兼ね備えていた。
未来を見通す力、過去へ戻る能力、念動力、千里眼等々…。
しかし、彼は「心の穴」も持っていた。
(何かが違う)
(何かが求めていることと違う)
何年もその穴に苛まれた。
やがて彼は全てを捨てた。
家を出て誰も自分を知らない土地までやってきた。
超人的な能力も封印し、ただ「普通」を味わった。
普通に働くこと、
普通に友と明日を語り合うこと、
普通に家族を持ち愛すること。
全てを持っていて、あらゆるものを見通し操ることができた彼が辿り着いた大切なものはそんな「普通」だったのだ。
だって彼の愛する人々からの「まなざし」は過去を書き換えたり、未来を思い通りにしても手に入れられるものではないのだから。
B
Bはひどく臆病者であった。その臆病さゆえにあらゆる困難を避け、周りに同調し無難に過ごしてきた。
仕事は嫌なこともあるが順調だ。言われたことをこなしていればいい。
正直いけ好かないし、感性も合わないが友人も何人かはいる。
波風を立てず毎日を穏やかに過ごせればいい。
(それが普通ではないか)
(それでいいではないか…)
Bはやがてその「甘え」を捨てた。
誰かがつくったレールの上を歩いていれば安全なように見える。
しかし、それは自分の人生ではないのだ。
生きることとは自分の人生を引き受けることなのだ。
「勇気」を持つことを望んだ。
勇気を持つにはどうすればよいか考えた。
あらゆる聖地に赴き神頼みをした。
あらゆる人から教えを乞うた。
あらゆる方法で体や精神の健康と向き合った。
これまでの人生と人間関係を見つめなおした。
遠回りに遠回りを重ね彼は事業を起こし軌道に乗ってきたところだ。
上手くいくことばかりではないが彼に後悔はない。
自分の人生を生きているのだから。
臆病さや無難に過ごした歳月でさえ意味があったと今は思えるのだ。
C
Cは闇を好んだ。光があるのは闇があるからである。
喜びがあるのは悲しみがあるからである。
根源は闇や悲しみである。
彼は故に躁鬱的に喜びや光、愛や絆などを詠う世の中を嫌った。
もしかしたら世間が彼を嫌ったのか…。
世間から距離を置き孤独に「内なる光」を探した。
根源から導かれる本当の光を…。
(真理があるはずなのだ)
(人それぞれに答えがあるなどという「ごまかし」でなく、本当の「真実」が…)
ある日Cの中に「カミナリ」が落ちた。
それは人智を超えた力が彼の内に強制的に介入したかのようにも感じた。
彼の内にあった固定観念が打ち砕かれた。
どこまでも世界が広がっていくような、世界に色彩が乗っていくような視野の拡張を体感した。
彼が本当に求めていたのは「受容」であった。世間は彼の感性を認めはしないが、世界は彼に「カミナリ」を落としてまで自らの美しさを見せたのだ。
彼は「世界に受容されている」という確信を手にしたのであった。
D
Dは毎日を一生懸命生きていた。
仕事は好きだったし、家族を愛していた。
いいことばかりではないが世界はそこまで悪いものではない、そう思っていた。
あるとき彼は冤罪で逮捕された。
何か裏の大きな力が加わっていることは確実であったが世間はそのようなことを想像することはできない。
仕事仲間は手のひらを反すように彼から離れていった。
彼は家族を愛していたからこそ、迷惑をかけたくないと突き放した。
彼は独りになった。
独房の中でひたすらに考えた。
(なぜ自分はこのような目にあっているのだろう)
(自分は何か悪事に手を染めたことなどない、一体何の罰なのだ。世界とはこのように不条理なものだったのか)
釈放されてから、彼は絵を描き始めた。
牢屋の中で彼が感じた不条理、世間の無理解、怒り、憎しみ、孤独、不安、悲しみ…。
それらを表現する言葉を彼は知らなかった。
しかし、絵でなら表すことができる気がしたのだ。
線を繋げるほどに、色を重ねるごとに自分の中の壊れてしまったものたちを再構築しているように感じられた。
わずかながら彼の絵を評価してくれる人もできて、そのような人々は彼の絵から彼の心情を感じ取り、彼が世間で言われるような犯罪など犯していないと信じてくれた。
絵を描くことは彼にとって「救い」となっていった。
世界の本質
あるとき何の因果か彼ら4人は出会った。
始まりの円を彼らは覚えていないから初対面ということになる。
しかし、一目見て彼らはお互いに懐かしさを覚え、そして互いが互いにとって「重要な点」を所持していることを直感的に悟った。
彼らは一晩中語り合った。
これまでの人生を。
自らの価値観や信念を。
大人になるとそれまでの経験からどうしても固定観念が生じる。
それまでの経験にそぐわない価値観・信念を無意識に否定したくなるものだろう。
彼らにもそれはあった。
しかし、その「弱さ」に負けてしまえばこの語り合いは終り、「重要な点」に辿り着けないことも直感で理解していたのだ。
彼らは否定を避け、
慎重に言葉を選びつつも、
嘘や取り繕うことはないように、
そんなふうに頭をフル回転させ、
わからないことはわからないと、
上手く話せなければもう一度説明させてほしいと、
そうやってお互いのすべてを曝け出していった。
朝焼けに照らされながら、彼らはついにお互いを芯から理解するに至った。
そして悟った。
世界の広さを。高さを。深さを。
彼らが元々同じ場所にいたことを。
何かを知るためにそこを旅立ったこと。
長い旅路の果てに4人とも互いに別々の世界に辿り着いたこと。
そうやって人の数だけ世界があって、それらが重なり合って「層」になっていること。
「層」と「層」を結びつけられるのは寛容さや優しさ、愛であること。
世界がそうやって構築される「作品」であること。
「私」が、「あなた」が、「あの人」が
世界という作品を構築するための「絵具」であること。
「音符」であること。
「地図」であること。
「欠片」であること。
「点」であること。
「線」であること。
彼らは世界の美しさに感嘆した。
この世界を築いた神に心から跪いたのだ。
そして、誓った。
世界の美しさを人々に伝えることを。
彼らは世界にあらゆるメッセージを散りばめた。
これは御伽噺ではあるが、もしもあなたが望むならメッセージを見つけることはできるだろう。
空や海に
木々や
街や
音に、絵に、詩に、
人々に
世界は広くて、高くて、深い。
硬くて、柔らかくて
冷たくて、温かくて
とても美しいことを。
あなたがそれに気づけますように。