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「時間旅行」タケミナカタと北条時行でユング心理学への導入「コンステレーション」(振り返りを兼ねて)
〇はじめに「逃げ上手の若君」の紹介
現在以下の記事でも少しだけ紹介した「逃げ上手の若君(通称 逃げ若)」というアニメが放送中です。
ざっくりとストーリーを紹介させていただきますと、
時代は鎌倉から南北朝時代への移り変わり。
主人公は鎌倉幕府、北条得宗家の跡取りである北条時行(ほうじょうときゆき)。
鎌倉幕府滅亡に際して当時の諏訪大社の大祝であり北条家の被官でもあった諏訪頼重(盛高)(すわよりしげ(もりたか))が時行を匿います。両者は鎌倉幕府を裏切って滅亡させた足利尊氏に対して、逃げながら爪を研ぎ、牙を向けていく。
幼い時行は幕府の滅亡に際して、足利一門、昨日まで付き従っていた武家、さらには身内の裏切りにひどく心を痛めながらも、諏訪頼重の元で力をつけていくことになります。
この時代の史料は少ないこと、
頼りとしている太平記の信頼性に対する疑問、
これらはよく言われることではありますが、それでも逃げ若自体の物語は史実と監修に基づいていることもあり、面白いだけでなくとても勉強になります。
おススメです。
〇「逃げ上手の若君」とタケミナカタ
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上記の「逃げ上手の若君」のストーリーですが、私にはとても興味深い点をいくつも感じられました。
国が亡ぶとき、他の多くの者が裏切り、自害し、逃亡する中で諏訪大社の大祝、諏訪頼重は最後まで北条を裏切らず遺児の時行を匿い、戦う。
この物語はタケミナカタの神話とほとんど同じだとは感じませんか?
このとき、出雲の王族たちの行動を辛口に振り返ってみましょう。
・大国主
自分は引退しているからと我関せずの態度で息子たちに責任を押し付けた
・事代主
戦うことをせず自死を選ぶ
・味鋤高彦根
裏で謀略を重ね自らの私利私欲で動く
もしあなたがこの国の国民であったときどう思いますか?
「自分たちは王族に見捨てられた」
「裏切られた」
「悲しい」
「悔しい」
「王族達が戦わないなら自分たちが戦うしかない」
そんなふうに思ったかもしれませんね。
だからこそ王族として最後まで戦う存在が必要だったのです。
タケミナカタはそのために立ち上がったのでしょう。
勝つか、負けるかそんなことは関係ありません。
人々の悔しさや恨みを背負うため、
出雲の王族と国民の名誉のため、
自分一人が戦うことで余計な犠牲が増えることを避けるため、
ケジメとして、
区切りとして、
前へ進むため
この記事を開いていただいているあなたならきっとご存じでしょうが、タケミナカタとは諏訪大明神のことであり(厳密には色々とややこしいのですが…)、諏訪大社の大祝とはその諏訪大明神をその身に宿した現人神のこと、つまり、諏訪頼重もある意味タケミナカタ、という事が言えるのです。
「逃げ上手の若君」は前述のとおり史実に基づいており、言うなれば南北朝時代にタケミナカタ神話が再び起こった、と言えます。
「逃げ上手」という言葉も面白い。
もちろんこれは、主人公である時行を表したものでありますが、神話のタケミナカタもタケミカヅチに敗れた後、諏訪まで逃げ延びて最後はその地に鎮座しました。
そして何よりも面白いのが、このコンテンツが「今」、連載・放送されている、ということでしょう…。
〇他アニメ・漫画における諏訪やタケミナカタ
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他にも諏訪に関して共有させていただきたい「面白い」ことがあります。
「逃げ上手の若君」の諏訪頼重は神力によって「未来を見る」能力を持っています(かなりあやふやではあるものの)。
例えばこのアニメ。
このアニメもタケミナカタをモデルとした人物が描かれており、それが南方ひづる(竜之介)。
彼女(彼)も2秒後ではありますが未来が見える設定なのです。
そしてこの漫画。
明言はされていませんが、主人公は阿曇磯良(あずみのいそら)の血筋であることが推測され、諏訪の神官家である守矢家の女性と結婚。夢での啓示で古代に起こった事象を見て、最終的には自身も「時代を渡り歩く迷い霊」となってしまうのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1720970050837-yjRqlEPsTN.jpg?width=1200)
さらにはこの漫画。
ゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげる氏が古代出雲に惹かれて書いた漫画で、この中で自身が夢の中でタケミナカタが戦っている場面を見たことを漫画にしています。
諏訪やタケミナカタにおける神話や伝承で、直接的な「未来視」や「夢のお告げ」に関するものは私の知る限りではありません。にもかかわらず、現代の人々が諏訪やタケミナカタに関するものを表現しようとするとき、「予知」や「夢のお告げ」によって未来や過去を行き来する能力を付け加えようとするのです。
諏訪という地域は、こういった不思議な縁(〇)が形成され、集約されやすい場所であるのです。
〇偶然?何か理由があるの??それとも…
もちろんそれらを「偶然」と片付けてしまうことは簡単ですし、理屈をつけていくこともできるでしょう。
例えば「逃げ上手の若君」に関しては、頼重は大祝としてタケミナカタの神話も学んでいたから、いざというときに裏切らずに最後まで戦うことを大切にしたのだ、とか
ひねくれた考え方であれば、タケミナカタの神話が書かれている「古事記」や「旧事紀」は改竄されており、タケミナカタの神話や諏訪との関りは頼重と時行、さらには宗良親王といった人物を元に創作され、この時に付け加えられたのだ、とか、
もしくは、そういった歴史の中での同じような出来事の反復が起きる構造が何かしらあるのだ、とか。(地理的要因、地域性、貴種を保存しようとする集団・組織・心理作用・力)
あるいは、それらをすべて含むような全体としての何か大きな力。
布置(コンステレーション)であったり…。
布置 (constellation)
個人の精神が困難な状態に直面したり、発達の過程において重要な局面に出逢ったとき、個人の心の内的世界における問題のありようと、ちょうど対応するように、外的世界の事物や事象が、ある特定の配置を持って現れてくることです。
共時性の一つの現れであると考えられます。
〇ユング心理学の導入
「コンステレーション」
これはカール・グスタフ・ユングが提唱したものです。
心理学にあまり興味がない方にはユングという人物のすごさが中々理解できないかもしれません。
今後の記事で丁寧に紹介していこうと考えていますが「内向的」、「外交的」という概念を人々に初めて理論的に広めたのが彼だ、といえば少しは興味を持っていただけるでしょうか。
他にも「コンプレックス」という概念もそうです。
バナナといったら黄色
黄色と言ったら信号
信号といったら止まる
止まるといったら家のwifi
簡単に言うと、こういった言語連想ゲームの中でどうしても瞬時に次の言葉が出てこない単語があって、それをさせているのがコンプレックスであることを統計的につきとめたのです。
コンプレックスは自我の統制の外側で、まるでもう一つの自我のように振舞い、自我の動きを阻害する。その動きが強くなりすぎると多重人格のようなことが生じることもユングはつきとめました。このことで「意識の外側の自分」が存在することを確信し、同時期に「無意識」の存在を主張し始めたジークムント・フロイトと繋がり、無意識の海に「存在」する「元型」の研究に至ったのです。
「元型(アーキタイプ)」とはユングが提唱した概念で、夢に現れる内容や、神話や物語に現れる古今東西での共通する象徴・イメージは人類が共通して持つ無意識から発するエネルギーである、というものです。
例を挙げると、場所や時代、文化が異なっても「母」がもつ象徴、イメージは大きくは変わらない。それを作り出す無意識からのエネルギーのことを指すわけです。
私はそのエネルギーという「存在」こそが神に他ならないと考えているのです。
さらにはこの「元型」が存在する人類普遍の無意識には「過去」や「未来」、「現在」、そして「空間」も関係なく、無意識の中の動きが共時性(シンクロニシティ)、つまり「「原因」と「結果」では説明のできない意味のある一致(非因果的連関の原理)」の存在まで想定したのです。
所謂、虫の知らせ、というもので、
夢で親族が亡くなった。
朝、連絡がきて本当に亡くなったことを知る。
という例が挙げられます。
アニメの紹介をたくさんしたので、ここでもアニメを使って説明しましょう。
ちなみにユングの元型の考えを発展させれば、現在無意識の中の元型の動きを表す神話にあたるものは「漫画」や「アニメ」であるといえます。
「進撃の巨人」における「座標」
![](https://assets.st-note.com/img/1720967507011-owgpC4ZXkH.png)
「機動戦士ガンダム」における「ニュータイプ」
![](https://assets.st-note.com/img/1720967571611-sGNw4B6fQI.png)
こういったものになります。
そして、この共時性の働きの一つがコンステレーション(布置)となります。訳すと「星座」になります。
何か「現実」の世界で解決されるべき、
向き合うべき、対決されるべき、
乗り越えるべき課題が存在するとき、
その「心の問題」と対応するように現実の問題として「顕現する」。
これがコンステレーションです。
拡大解釈するなら、「無意識」という「真実の世界」から「現実」という「箱庭、仮想世界」に出来事が「顕現」した、と言えるでしょう。
以下の記事で述べたことになります。
そして、タケミナカタはそういう存在なのです。
オオクニヌシの子タケミナカタの神は国譲りの時、最後まで反対して戦いました。
周りの力に屈する事なく自分の氣持ちに忠実にチャレンジしたのです。
勇壮な軍神として崇められているタケミナカタの神ですが、彼は内側に入り瞑想する様に伝えています。
「自らの疑いに勝ち、信じるものによって立て。起きる事を信頼せよ」と。
瞑想して内側に入ると自分自身の魂の
透明な結晶が見えてきます。
それは一つとして同じものがない
完璧な美しさを持った形です。
その形は、諏訪の湖に御渡りの水の道が出来る様に
あなたを魂の目的へと導いてくれるでしょう。
ちなみにユングはニーチェに影響を受けており
ユングは『ツァラトゥストラ』や『反時代的考察』に感銘を受ける。No.2はツァラトゥストラがモデルとなったという[4]。また後に「ニーチェによって近代心理学を受け入れる準備」をしたと語っている[5]。『無意識の心理』(1916) ではフロイトとアドラーとの分岐点をニーチェの「自己保存の衝動(性衝動に対する)」として紹介している。更には『心理学的類型』(1921) ではニーチェの「アポロン」と「デュオニソス」がユングの類型と連関していると明記。『心理学と宗教』(1940) では「神が死んだ時代」を論じ、またニーチェの精神障害は無意識に呑み込まれて分裂症的(自分をデュオニソスと署名した)になったという分析を行っている。1934年から1939年にかけてはチューリッヒの心理学クラブにて英語のゼミナールで『ニーチェのツァラトゥストラの心理学的分析』を行っている。
グノーシス主義の研究家でもあったのです。
人間の心を自由にする知識をグノーシスという。もしグノーシスを得たいなら、条件づけされた心が生み出す偽りのコスモスから己を解放しなければならない。
ニーチェの「超人」、エヴァの「碇シンジ」、諏訪大社の「タケミナカタ」、武士道。
これらは同心円上にある思想です。
そしてグノーシス主義。
カトリック側が正統にされるにあたってグノーシス派は異端とされ、迫害され、埋もれていったものの、地下水として脈々と残り、ニーチェやドフトエフスキー、トルストイ、といった形で吹き出してきた、みたいなことも言ってました。
その中でグノーシス派の一部が信仰を守ために行った手法が「神の名をみだりに口にしない」、どころか、発音困難な造語によって神を信仰する、というスタイルをとりました。
これは旧約聖書でも「主」の名はみだらに口にしないことを信者に指示されており、また一概にまとめることはできませんが、「物部」もそうであったのです。そして物部守屋の一派が諏訪に逃れてきたこと。
これらははたして「偶然」?
それとも何か「理屈」があるのでしょうか?
歴史の中での同じような出来事の反復が起きる構造が何かしらあるのだ、とか(地理的要因、地域性、貴種を保存しようとする集団・組織・心理作用・力)。
あるいは、それらをすべて含むような全体としての何か大きな力。
布置(コンステレーション)であったり…。
あれれ???
〇最後に
以前私は下記のようなことを書かせていただきました。
「夢のおつげ」や「降りてくる」、といった体験をすることになります。
これは本気で日本神話に向き合っている方にはよくある現象です。
私の場合、星と星を繋ぐ線が見えるようになりました。
他にも不思議なことは色々とあるのですが、重要なのはそこではなく「そういうことがこの世界では存在する」ということを実感することです。
それが世界の深さ、高さ、広さを知ることです。
「星と星を繋ぐ線が見える」、というのは比喩ではなく、本当に本に書かれる星座のように線が見えるのです。そして、それが見えるようになったのは、事象と事象の繋がりを認識できるようになり始めたころなのです。
つまり、文字通りコンステレーション(星座)が起きている、といえるでしょう。
そして、そのことが重要なのではなく「そういうことがこの世界では存在する」、ということを「認識(グノーシス)」即ち、「スパーク」するということが重要なのです。
アニミズムが「表」とするならグノーシスは「裏」の位置づけになります。
あまり深入りはお勧めできませんが、「まごころ」に繋がる近道ではあるのです。
本居宣長は自身の主張において「真心」という言葉を使用したが、その用法は現代の「真心」とは異なる。本居宣長は事物に触れて「うれしかなし」と感じることそのものが「心」というものの本性、すなわち「真心」であると主張した[2]。そして、理論理屈ではなく「生まれながらの真心」に身を任せることで、事物の真実・真相(「道」)が捉えられると説いた[2][3]。
また、日本人は「善悪是非」や「物の理」といった発想(「漢意」、からごころ)を漢籍などを通して身に付け「真心」や「大和魂」を失ってしまったと主張し、今日のその状況を慨嘆すると同時に、漢意を批判し、それを排除すべきだと説いた[3]。宣長の言う「真心」には、美しい服を着たい、良い家に住みたい、宝が欲しいといった私利・欲望も含まれる。宣長はこれを「女々しい」と表現し、自身の欲望を統制しようとする男性的な儒教的精神を批判すると同時に、儒教的精神が人の心を歪めてしまうため、儒教の盛んな国では国を平和に治めることができていないとした[4]。
そして、優れた歌や物語は「もののあはれ」を知ることで生まれると同時に、そのような作品は人々の「真心」に訴え、「真心」を鍛えていく[4]。そのため、「漢意」に基づいた漢籍ではなく『古事記』や『日本書紀』、『源氏物語』、『万葉集』などの日本の書物を学ぶことで、「真心」を再形成できると主張した[5]。
ちなみにユングやフロイトが提唱した「無意識」という概念ですが。
実はこのことに近いことを述べているものは古今東西で案外存在していて、その内の一人が南方熊楠(みなかたくまぐす)。
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また「みなかた」。
この世界は本当に面白いですね。
このシリーズの最初に日本神話は日本の神話ではないことをお伝えしました。そして、今残っている日本神話は暗号であるともお伝えしました。
私はこの暗号にみなさん一人一人が向き合って、一人一人の答えを見つけだしてほしいと願っています。
なぜなら、日本神話は日本人にとって「最強の覚醒ツール」だからです。
ユングは人類普遍の無意識には「過去」や「未来」、「現在」、そして「空間」も関係なく、無意識の中の動きが共時性(シンクロニシティ)、として現れる、つまり「「原因」と「結果」では説明のできない意味のある一致(非因果的連関の原理)」の存在まで想定した。
その中に瞑想によって入っていく作用が「タケミナカタ」や「諏訪」とコンステレートしている、ということ。
即ち、普遍的無意識の中で「過去」と「未来」を手繰り寄せる存在がそれらに紐づけられていくように現実に顕現される、ということです。
それこそが本来日本人が持っている能力「時間旅行」で、それは日本神話と関わることで開化していくものであり、救世主の素養の一つであるということです。
読んでいただきありがとうございました。
星座になれたら
星のかがやきよ