【映画批評】#10「YOLO 百元の恋」自分を幸せにするのは自分しかいない
安藤サクラ主演の大傑作邦画「百円の恋」中国リメイク版、「YOLO 百元の恋」を徹底批評!
静かな闘志を秘めたオリジナル版とは異なり、パワフルな印象に書き換えた新解釈版、猪木映画(!?)
鑑賞メモ
タイトル
YOLO 百元の恋(133分)
鑑賞日
7月7日(日)9:00
映画館
T・ジョイ梅田(梅田)
鑑賞料金
実質0円(ムビチケ:エポスポイント購入)
事前準備
オリジナル版「百円の恋」3回ほど鑑賞済
体調
電車移動→すこぶる良し
点数(100点満点)& X短評
90点
今年一番パワフルでアッパーな映画。
元気が欲しけりゃ、今すぐ観に行こう!
あらすじ
ネタバレあり感想&考察
自分の幸せは自分で掴め!
究極の自己責任推奨映画=猪木映画
「見つけろテメェで!」
かの有名な2002年新日本プロレス札幌大会での【猪木問答】の一説である。(死ぬほど笑えるのでぜひ観てください)
当時、猪木の意向により団体所属選手の総合格闘技参戦と敗戦が相次ぎ、プロレス団体としての格がグラつき始めるなど、本格的に迷走が始まった時期。団体のエースであった武藤敬司がライバル団体の全日本プロレスへ移籍、危機的状況にあった中、大会後に決起集会的なマイク合戦をしたのがいわゆる【猪木問答】である。
蝶野が主体となって猪木を呼び込み、プロレスへの想いを熱弁する。ここまではさすが蝶野正洋、自己主張のうまさ、カッコよさは群を抜いており、期待感も高まる。つまるところ、「俺たちは格闘技じゃなくてプロレスがしたいんだ」という蝶野を中心とした猪木への直談判がスタートだったのだ。ここまでは良かった。
ほぼ猪木の余談だったが、蝶野とのやり取りを終え、お前らはいま何に対して怒ってるんだと猪木が他の選手に問う流れに。中堅選手の中西学、永田裕志、当時若手の鈴木健三、棚橋弘至の4名に無茶ぶりといえる問いを猪木がアドリブで雑に投げつけるという構図だ。
しかも、自分の思うような回答でなければ、雑にあしらうといった有り様。中西は速攻で脱落、永田は食らいついたが惜しくも脱落。棚橋(現新日社長)は意に介さず、自己主張をした。
その中で鈴木健三(現:KENSO、昔ハッスルで和泉元彌と試合した人)が発した「僕は自分の明るい未来が見えませーん(甘噛み)」に対し、猪木が発したのが「見つけろテメェで!」である。
まず聞かれたことに答えられていない鈴木も問題だが、聞いといて「知るか!自分で何とかしろ」と客前で有望な若手選手を突き放す猪木もどうかしている。挙句の果てには決起を促す質問を自分でしておきながら、「お前らのメシの種はお前らで作れ!俺に言うな!」で締める始末。(蝶野が笑いをこらえているのもミソ)
当時中学生だったが、開いた口がふさがらなかったこと、笑いながら「これ何の話してるんだっけ?」と混乱したことをよく覚えている。自分勝手にもほどがあるが、所属選手の不甲斐なさを自覚させるには効果てきめんであった。(客前でやる必要があったかは別だが)
この猪木問答から推察できるのは「究極の自己責任論」である。他責では人生はどうにもならない、道は拓かない。猪木は未だに自分に頼る所属選手の甘さを見逃さなかった。実際、猪木はこのあと本格的に総合格闘技のプロデュースに邁進し、新日の経営権も手放してしまった。そして象徴を失った新日本のゼロ年代は冬の時代を迎える。(のちに復活します)
「自責思考の薄い人間、他責思考の人間は相手にしない」
大人になった自分はいま、猪木からこんなメッセージを受け取ったと勝手に解釈している。
そういう意味でもプロレスの歴史においてエポックメイキングな出来事だったのがこの猪木問答なのだ。お笑いだけで消費するのは実にもったいない。
※以下、お笑いに誘導します
もうそろそろ映画の話に入ろう。
序文にしてはあまりにも蛇足に映るが、決して蛇足ではない。
本作「YOLO 百元の恋」は究極の自己責任を推奨するという意味では、まっすぐに猪木映画、ド真ん中の猪木映画なのである。
オリジナル版と比べると、自身の幸福追求や自己実現、強烈な自律を促すというメッセージが殊更に強調されている。
※オリジナル版は邦画の傑作、武正晴監督、安藤サクラ主演作「百円の恋」を指す(本作のリメイク元)
このオリジナル版は自分も好きな映画だが、低予算だし、ギャグ要素は多少あるもののテイストは決して明るくなく、エンタメ映画という印象は薄い。
本作はこの「百円の恋」の中国版リメイクだが、テイストはかなり明るくポップで、スポーツエンタメ映画の王道のような作りである。
「百円の恋」が総合格闘技寄りの硬派なUWF的アプローチとするなら、本作「YOLO 百元の恋」は明るく楽しく健康的な王道、全日本プロレス的なアプローチであり、ハッキリと印象は異なる。
武監督、脚本の足立さんも製作にかかわるなど、オリジナルへのリスペクトはしっかり感じられる作りになっており、新解釈のリメイク版としては完璧といっていい。
なかなか甲乙つけがたいが、リメイクの本作の方が好きかもレベルだし、人にすすめるなら圧倒的にこっちである。それぐらいみやすいし、楽しいし、泣ける。そしてちゃんと苦さもある。
ある意味、エンタメ映画として隙がない作りになっている。
流れはこうだ。
引きこもりのダメ人間が家出
↓
ボクサーと出会う
↓
恋仲になるが破局
↓
本格的にボクシングを始める
↓
プロを目指し一念発起
↓
運命のプロデビュー戦
↓
敗戦
↓
ラスト
プラスされている話はあるが大筋は大きく変わっていない。
ただラストは大きく異なる。
ここが本作を究極の自己責任論たらしめている要素と感じた。
オリジナル版のラストは試合後、会場を出たところで恋仲だった新井浩文が待っており、「勝ちたかったよー」と泣きながら一緒に歩いていくラストであった。
引きこもりからの家出で曲がりなりにも自立したこと、自活とボクシングで生きる実感を得たこと、他者とのかかわりが今後の人生を良くするであろうことを主眼に置いている。本人は勝ちにこだわっているが、映画自体は勝ちや結果自体にはこだわっていない作りだった。
改めて観なおしたが、最後「勝ちたかったよー」とか言ってたんだと思うぐらい、この映画にはそういう印象を持っていた。しっかりロッキー1的なメッセージだった。
しかし、本作は全く違う。
恋仲だったボクサーが会場前で待っているのは同じだが、その手を振り払いすぐにロードワークを始める。主人公は早速、次の試合、初勝利を見据えて動き始めるのだ。
それぐらい、主人公にとってボクシングで「勝つ」こと、初めて勝ったと周囲にアピールできる経験を得ることが自身の幸せになっている。
これには本当に面を食らった。
「百円の恋」のリメイクだからこういう感じだろうという予想をいい意味で裏切ってくれた。大あっぱれである。
本作は徹頭徹尾、主人公がいかに自分の人生を他人(家族含めた自分以外の誰か)に委ねてきたかを強調している。
ましてや引きこもりを10年してきた負い目からか、他人の図々しいどころではないレベルのお願いも応えてきたこと、そしてそれらに散々裏切られ、傷つけられてきたことを最終盤に明かしていく。
こんなにわかりやすい伏線回収でーす!みたいなアプローチは基本的に好かないが、本作は明るいテイストでそこまで来た分、センブリ茶よろしく、とんでもない苦みをささっとブチこむギャップが相当効いていた。
観た人はわかると思うが、このシーンは珠玉と言っていい。
めちゃくちゃに泣かされた。
フリと回収の効き方は近年イチと言っていいぐらいの回想シーンだと思う。
このシーンがなくても十分感動できる。
ただ、自己責任論の強調として絶対になくてはならないシーンなのだという製作陣の意図を強烈に感じた。
「自分の幸せは自分で定義し、自分で掴め」だけでなく、「自分の幸せを他人に委ねるな」というメッセージを上乗せした【究極の自己責任推奨映画】である。
この精神は完全に【猪木的】である。
もちろん監督は主演のジア・リンであるため、猪木の影響を受けている可能性は限りなくゼロなのはわかっているが、それはさておいても完全な猪木映画である。
「百円の恋」をベースにしながら、"You Only Live Once."(=人生は一度きり)をタイトルにつけたのも納得だ。
この精神の礎は、4000年の歴史を誇る中華思想が由来なのか、集団の外に対しては徹底的に冷たい中国特有の集団主義が由来なのか、実質的な超資本主義社会がもたらす勝ち組信仰が由来なのか、それはわからない。
ただ、このような強烈な自責思考がないとやっていけないのが中国社会であることが何となく理解できた気がする。
本質的にはこの世界の厳しさを突きつけてくるシビアな映画なのだ。
日本生まれで良かったなと正直に思う。
それにしても、個人的に非常に興味深い考察になった。
オレの映画だ、というよりは、オレが熱く語らなきゃいけない映画だ、と強く思った。それはやはり映画が猪木的メッセージを孕んでいるからだ。
ズルなし!照れなし!衒いなし!
だからこそ感動がストレートに届く
ここからは映画のアプローチについて、自分なりに解説する。
王道のストーリーに加え、この映画が纏っている本気を3つの「なし」で表現したい。
ズルなし!
ズルというのは適切ではないがこの映画の場合、序盤の太っていた時期の撮影は特殊メイク等で対処できたはずだ。ただ、監督兼主演のジア・リンはそれを許さない。ボクシングによる肉体作りを描写するため、あろうことか体重の約半分(50kg)をダイエットでそぎ落とすという苦行をリアルタスクとして課し、しかも実現してしまった。
そもそも80kg台だった体重を100kg以上にまで増やして撮影に入るほどの気合の入れよう。もうそのこと自体がドキュメンタリーとして、ド級の価値を持っている。エンドロールでそのダイエット生活のハイライトが示されるが、短い時間ながらその壮絶さが身に染みる。
これだけでもう一本ドキュメンタリー映画が作れるくらいの価値が大いにある。とてつもない覚悟と労力で作られた映画なのである。(実際、1年休業したらしい)
照れなし!
これは「ロッキーのテーマ」を混じりっけなく、そのまま使ったことを指す。まさか「ロッキーのテーマ」をパロディや単純なギャグではなく、こんなにストレートに使用されている映画は初めて観た気がするし、今後ないと思われる。アホかとツッコみ、爆笑しながら泣いてしまった。(実際曲がかかった瞬間に手を叩いて喜んだ)
自分のような地肩のついたロッキーファンは、クロちゃんが「赤ちゃん?」と聞かれて「色違い!バーブー!」と答えてしまうのと同様、条件反射で否応なく泣くようにしつけられている。これには開いた口が塞がらないと同時に、一本取られたとお手上げ降参状態だ。
しかも、ついでとばかりにHIPHOP調の曲でのトレーニングシーンも差し込み、「クリード」のパロディまで雪崩式にブチこむ始末。
この照れのなさには脱帽だ。最高に笑ったし、最高に泣いた。
一部ロッキーファンはおむつかりの可能性はあるが、おそらく概ね好意的だろう。話の大筋は「ロッキー1」なんだけど、ライトなテイストやポップさは3や4に近いし、トレーニングシーンのパキっとしたオシャレさはクリードシリーズの影響も感じる。ロッキーサーガの全体感を一本で味わえるかのような作りになっているのだ。そりゃボクシング映画作るなら、ロッキーやりたいよなと。もうこれだけでニンマリである。
衒いなし!
これは前述した明るく楽しく健康的な王道のスポーツエンタメ映画に仕上げたことを指す。
メッセージは新日本の象徴である猪木映画的であると言いながら、全体感は王道を感じさせる全日本的な作りなのが、プロレスファンとしてはたまらない。オリジナル版「百円の恋」のイメージが残っている映画ファンの方が存分に楽しめるのではないだろうか。
「百円の恋」自体は低予算の分、個々のキャラクターは奇を衒った演出が多く、決して王道ではない。(そこが良い映画ではある)
原作に引っ張られず、奇を衒わずに真っすぐわかりやすい映画にした価値は大きい。邦画オリジナルの中国リメイク映画歴代興収1位(約730億円)、中国のボクシング人口増加に寄与するなど、事実ベースでの結果も伴っている。
本当に多くの人に届いているのだ。素晴らしいことだと思う。
まとめ
なんでボクシング映画でこんなにプロレスの話ばっかしてるんだ?
そういう感想が出るのは当然だと思います。ただボクシングを通じた自己責任論の映画だと思ったので、こういったアプローチをとりました。
それにしても、「百円の恋」、猪木、ロッキーと自分の好きな要素満載の映画なので、テンションの高さも段違いでした。熱くなってしまったのもちょっと大目に見てください。
下半期一発目の映画でしたが、いきなり場外ホームラン級の大当たりでした。また一本思い出の映画が増えました。
2024年の映画たちはマジでスゴイ!
最後に
せっかくなので、私のロッキールーティーンをお教えしたいと思います。
①町山智浩の映画塾「ロッキー」予習編を観ます。
②荻正弘の前口上を聴きます。
③本編を観ます
④町山智浩の映画塾「ロッキー」復習編を観ます。
全部で3時間超かかりますが、「ロッキー」をしがむにはこのルーティーンは絶対に外せません。
これを読んだ人は「ロッキー」を観るたび、これらを観てくださいね!!