![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/155796074/rectangle_large_type_2_d68fcdc428936e36853c4aa3e314e8da.jpeg?width=1200)
円の発想の縄文・・きまぐれコラム#115
こんにちは
CocoNaocoです
Cocoハウスにいると
自然界の循環 季節の移り変わりが
五感で感じられます
秋分の日は
Cocoらの日中は湿った熱風が吹いたり
急に雨が降ったり
変わりやすい天候でした
ところがある瞬間から
吹いてくる風の質がガラッと変わり
スゥゥと爽快なものになったんです
広い縁側でチェアに腰かけ
寛いでいたわたしにめがけて
それ今だ とばかりに
霊氣が飛んできたような感じでした
あと数時間で
秋分点に達しようというタイミング
こんなことを感じられたんです
![](https://assets.st-note.com/img/1727388483-Kq5Xb67Zjxp3mGvS0TNonCaI.jpg?width=1200)
縄文人は特徴のひとつとして
「円の発想」を持っていたという
弥生人は「区分の発想」
「円の発想」というのは
アニミズム(精霊崇拝)から生じたもので
人間も生き物も
風 雨 太陽 月 星等の自然現象も
すべて精霊を宿した平等な存在とみる
むやみに木を切ったり
動物を殺したりせず
狩りで捕えた獲物にしても
粗末にはしないで手厚く祭り
人間も動物も
死ねば同じところに葬むられた
自然の恵みのままに
自然を壊さないで
自然の一部として
生活していこうという考え方
自然との差別もないし区別もない
人間同士も平等で
今の世の中からすると本当に
うらやましいような世界だわね …
それに対して弥生人は
人間は自然の一部ではなく
有益な動植物を増やし
有害な生き物を
排除する権利を持っている
そして
人間には能力差があり
それに見合った身分が必要だという
これが「区分の発想」です
そういう発想があったからこそ
土地を拓き先住の動植物を追い出し
水田を作ることができたのだと
いうことになるでしょう
縄文人が農耕を知っても
森林や草原を壊さない範囲で耕作をし
決して自然の生態系には
手を触れようとしなかったのとは
対照的なんですね
また人々の信仰も
精霊信仰に代わり弥生人の間では
人間中心の祖霊信仰が
もてはやされるようになりました
祖霊が
太陽の神 水の神 山の神などになり
自然物を支配し人々を支える
という発想です
そして祖霊のお告げを聴く
巫女(シャーマン)が
集落の人々の農作業や祭祀を指揮する
指導者になっていったのです
邪馬台国の卑弥呼もその一つ
当然身分差も生まれました
![](https://assets.st-note.com/img/1727636489-HPYrJmAkTaKXp8IE7fnZx3Rs.jpg?width=1200)
そして
それらのエネルギーの記憶は
善も惡もすべてまるごと
わたし達一人ひとりの
ゲノムにしっかりと刻まれている
その上で想う
… 魂の望みは …
縄文の人々のアイデンティティ
精霊信仰と
弥生の人々のアイデンティティ
祖霊信仰と
その両方が融合して
ともに共同創造している世界を
望み観て願っている
前よりも強く … ね
これも
先人たちの
大願であるかのようです
![](https://assets.st-note.com/img/1727636894-yzkrZQNLClcu5Kf4A8HtW20h.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1727636894-9Xi8RUce7va5Pbgqo4FxfDzw.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1727636895-WLHuOkBMgzlh8yo9DqPiSG7I.jpg?width=1200)