脱法ハーブと夏の思い出

 2012年夏、二人の男性が県警の薬物銃器対策課に逮捕された。一人は同県、地方のハーブ店経営者の男性(36)で、男は私の中学2年の頃の担任の教師と同姓同名であった。
 今思うと彼はテニス部主将のような浅黒い肌にいつもポロシャツの襟を立てていて、瞳孔がバキバキに開いていそうな目をしていた。
 私の知っている彼の住所とは違うし恐らく、赤の他人であろうとは思うがなんだか私の中で妙にリンクした。何かと熱く語るタイプの教師で一部の生徒からは人気があったが中学時代斜に構えていた私とは絶望的にソリが合わず、一度胸ぐらを掴まれて怒られたのを今でもよく覚えている。その日の夜”厳しく指導をしてしまって”という旨の電話が彼から母親に掛かってきた。きっと冷静になって焦ったのだろうと今では思う。そして母親からは呆れられた。
 彼は今でも熱血指導をしているのだろうか。
 
 逮捕されたもう一人の同店アルバイトの大学生は私の同級生の兄であった。
 
 二人は指定薬物「MDPV」を含むハーブを販売目的で保管した疑いで逮捕された。二人は「指定薬物が入っているとは知らなかった」と供述していたという。危険ドラッグの販売や製造に携わり逮捕された人の多くはこのセリフを吐く。どこまで本気でその主張が通るものと思って言っているのだろう。
 脱法ハーブ店は逮捕の2年前、同県内の隣町ではじめ翌々年に移転。月に百万程度の売上があったという。
 
 脱法ハーブ・ドラッグというと90年代半ばから一部の人間の間で流行した薬物である。ラッシュなどはその先駆けとなったもので、比較的知っている人も多いのでは無いだろうか。2004年頃からは「スパイス」や「K2」といった合成大麻が欧米で流通し始め、2008年頃になると日本国内でも流通し始めた。その系譜が「脱法ハーブ」である。
 2014年に起きた池袋危険ドラッグ吸引による暴走死亡事故など、その名前に聞き覚えがある人も多いだろう。
 
 逮捕されたアルバイトの男性ことTくんは私の中学校時代の同級生Kくんの兄で、Kくんとは中学一年生の頃、同じクラスだった。

 私と彼にはには2歳年上の兄弟がおり、そのこともあって”仲が良かった”とまでは言わないがそれなりに交流があった。とはいえ、学校の外で会ったのは一度きりだったし、共通の趣味などもなくやはりただの同級生だった。

 ある夏休みの最終日の夜、彼の祖父が持つ船に乗ってアジ釣りに連れて行ってもらったことがある。
 門限なんかに厳しかった親に懇願してなんとか許可を貰ったのをよく覚えている。
 その日の釣果は貧相なものであったが夜釣りに行くのは初めての事だったし、釣りで船に乗るというのも初めて、同級生と夜遅くまで(夜遅くに家を抜け出してフラフラすることはあったが)遊ぶということも初めてだった。
 
 釣りの後、確かもう日付も超えていたくらいの時間だったと思う。どこか粗暴そうだが温かみのある彼の祖父が営む小料理屋で祖母が作る焼きラーメンをご馳走になった。夏の汗ばむ夜に、閉店後の小料理屋のカウンターで食べる焼きラーメンは最高に美味しかった。思い出補正も大いにあったとは思うがあの焼きラーメンを超える焼きラーメンに未だに巡り会えていない。

 母親からは「あそこの家とはあんまり関わらないで」というような事を言われていたが、当時の私はそんな事は気にしなかった。今では言わんとする事は分からないこともないが、当時の私としては「本人の事を知りもしないで」と、思っていた。そして今でもきっとそう思うだろう。親不孝で申し訳ないがそういう苦情は製造元へお願いしたい。
 
 彼の家は当時私の暮らしていた家の前を通る国道を車で5分ほど上ったところにある。その3階建ての家の横には彼の父親が営む鉄工所があった。

 中学生頃になると月の小遣いの金額がその人の家の”太さ”をはかる指標になる。
 私はというと当時、携帯電話と引き換えに小遣いを失っていたが、Kくんは親が経営者という事もあってか当時の同級生の中では結構もらっていた様で周囲からは「金遣いが粗くてやんちゃ」なキャラとして認知されていた。
 それでも、顔はどこか優しげでやんちゃそうな雰囲気はあったが”ワル”ではなかった。そもそも私の世代には当時そこまでぶっ飛んだ人は当時居なかった。
 彼とはその後、学校で事件を起こし仲良く二人揃って夜の学校に保護者同伴で呼び出されたり色々あったが進級してからはめっきり疎遠になった。

 しかし、彼の兄は怖かった。初めてTくんに会ったとき、彼は少年のような(実際に少年だったが)笑顔を浮かべていたものの、カマキリの様に”突然牙を向いてくるのではないか”という様な雰囲気をまとっていた。私の兄弟とは顔見知りだったおかげか敵意を向けられることはなかったが内心では「やっべぇ、こえぇ・・・」と震えていた。当時はそれを悟られないように必死になって平常心を装っていた。
 当時の私は(そして今も)クールとは程遠い生き物だったがそれでもクールでありたいと思っていた年頃だったのだ。
 
 そんなTくんはどこか目の細かい砥石で研ぎ上げた様な鋭さを持っていた。そしてその弟のKくんはというとどこか間の悪さのようなものを帯びており、Tくんと比べるとやはり”ゆるい”印象を受けた。
 もしかしたら私も兄弟と比べてそういった印象を周囲から抱かれているかもしれない。
 
 冒頭の脱法ハーブの事件の報道からもう12年。

 僕らが住んでいた町は随分と変わった。市役所は新しくなり、駅前は栄えては廃れ、廃れ、今では死にかけているが、昼時に駅前のマクドナルドが混雑し、その混雑が交差点をも巻き込んでいるという事は今でも変わらない。

 先日、TくんとKくんが育った家の前の道を走る機会があった。
 ふと目を向けると鉄工所の窓は割れ、その”内側”からは青々とした緑が伸びてきていた。もう誰も住んでいないのか、今では老いた両親が静かに暮らしているのか。少しさびしい様な気持ちから逃げるように私はそのまま帰路に着いた。
 
 脱法ドラッグビジネスも他の密売のような犯罪と同じで小売する人間というのは限りなく下っ端である。
 たとえ月の売上が100万を超えていても、テナントの家賃に光熱費などでそこそこに引かれる。田舎であっても、今回逮捕に至った店舗があった駅前のテナントの家賃はどうしてもそれなりに掛かってしまうだろう。
 労働に対して得られる金額としては大きいがそもそもの稼ぎとしてはあまりにもリスクが大きすぎる。
 これに対して製造業者はネットを介して中国などの化学会社に化学物質を注文し、漂白剤や染料などの名目で入手する。ここでも相手方の業者が”うっかり”規制薬物を含有するものを納入してきて逮捕されるリスクはあるものの、当時化学物質の価格は日本円で14〜20万程度で、ベースとなるハーブの原価はキロあたり1万。そこに加工に必要になるアセトンが一斗缶で1万円程、そこに安価な香料とパッケージ代。1パッケージ3グラムの卸値が1500〜2000円。人件費、輸送費などを鑑みてもそれなりに儲かるシステムである。それも、大規模な工場などで製造していたという訳でなくごく普通のマンションの一室などで行われていた。
 ある摘発現場の部屋では、バスタブ大のプラスチックケースが部屋の真ん中に置かれ、そこで製造が行われていたという。その従業員たちへの給与として月に50〜70万程が支払われていた。その金額からも小売店とは比べ物にならない利益を得ていることが伺える。とはいえ、やはりここでも実際に違法薬物を扱う可能性があり、いつ合法だった薬物が指定薬物とされるか分からないリスクが常に付きまとう。
 
 そして、そういった製造業者に対して中国の業者やレシピなどを売る人も存在する。科学知識や法律などに詳しい所謂インテリ層とでもいうのだろうか。この層には「カリスマ」の様な人間が居たようで薬物のブレンダーとして名を上げる人が居たという。しかし危険ドラッグのカリスマというとなんだか馬鹿っぽい。あまり欲しくない肩書きである。とはいえ、このポジションまで上り詰めると利益に対してのリスクが随分と低くなる。
 そうした人間は概ね、黎明期から市場に目を向け、動き始めていた人間だ。

 ビジネスというものはある程度、流行のような”流れ”が産まれたあとはオートマチックに進む。そしてそうなった頃には末端にいる人間は背負うものと比べて得られる金銭は小さくなる。かつて日本を支えた製造業の姿を見ればよく分かる。ITの世界だってそうだ。これはもう違法・合法問わず歴史を見れば明白だ。
 
 そして、そうやってビジネスとして確立された頃にはもう規制が厳しくなっている。一発当てようなんて思った頃にはもう市場は出来上がっており、場合によってはもう祭りの終盤だ。そうしてTくんや経営者の男は逮捕されるに至った。
 
 そんなTくんと同じ血が流れているせいか、そんな兄に影響されてか、Kくんは今では地元の人間から要注意人物として認定されているという話を聞いた。
 ギャンブルに狂い方々に借金を繰り返した後に行方をくらませたらしい。やり方としてはどこか間の抜けたソレだがどこか彼らしい気もする。
 中学を卒業してからというもの、彼とは一度も会っていない。18歳くらいの頃にフェイスブックで”もしかして知り合いかも”みたいに出てきたがフォローもしないまま、今ではフェイスブックもアンインストールした。
 
 最後に見た彼のプロフィール画像は満面の笑みでビールジョッキを手にした姿であった。
 
 同級生の一人は借金を重ねた挙げ句に駅のホームから電車に飛び込んだ。そしてまた一人は会社のお金を横領しクビになった。

 もしかすると私の同級生や地元にはこういう人が多いのかもしれない。と思ったが、私達が気づいていなかったり耳にしていないだけで結構こういう人は少なくないような気もする。

 実際に、裁判所で日々結構な人数が法廷に立たされているのを見るとそう思わずに居られない。

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