躁鬱人を好きになったんだけど

最近好きな人が出来ました。

その人は躁鬱らしいです。

周りにもその事を公開していています。


その人はアーティストです。

はじめは何を言っているかよくわからない人だなと思いました。アートや哲学の専門用語など、知識のない自分にはチンプンカンプンでした。

でも不思議と嫌な印象はありませんでした。


1年ぶりくらいに何気なく連絡してみて会った時、”意外に話せるじゃん”、というのと”壊れそうに繊細”と印象を受けました。

3回目に会った時に一緒に絵を描いたり作業をしたりしました。その時には、弱さや繊細さと共存する、力強さや冷静さ、自身の中にある軸を感じてドキッとしました。

素直に自分の心と向き合い、弱さを隠さない。”男らしい”とか”女らしい”とかではなく、”自分らしい”人です。


私の周囲には他にも躁鬱や鬱、ADHDなど抱えていて苦労している人がいます。


3回目の出会い以降、躁鬱人やADHDなどについて調べてみたところ、自分もこれらの傾向がある事がわかりました。

ADHDについては、普段から遅刻や物忘れが激しく、悩んでいたので精神科で検査をしました。

結果は、ADHDと判断される基準には満たないものの、その傾向はあるという事でした。


躁鬱について、私自身躁も鬱も無い事は自覚しておりますが、有名な”神田橋語録”や坂口恭平さんの”躁鬱大学”を読んで、”この通り生きたら楽だな”、”自分の生き方にぴったりだな”と、躁鬱人へ勧められる考え方や生き方に非常に共感しました。


さて、躁鬱人のアーティストは、繊細な心の持ち主なので私の気持ちを伝えて動揺させてはいけないと思い、気持ちを打ち明けられずにいます。(尊敬の念は伝えています)


私自身成長するにつれて、”恋愛に依存する事は良くない”と思うようになりました。恋愛だけでなく全ての人間関係においてそう思います。

依存が全くダメという事ではなく、バランスが重要だと思っています。依存する、つまり相手に期待する事。

”こっちの方がいいよ”、とか、”頑張って”、とかいう想いは、相手の事を考えているようで実は自我を押し付けています。


”愛する”のは必要な事で、それは受け入れる事だと思っています。

世の中には言葉がありますが、それはあくまでも人間同士が意思疎通しやすくする為に先人が創り出したもの。(坂口さんがいってた、多分)

それぞれの感性や感覚は本人にしかわからず、言葉だけで分かり合えるはずがありません。

だから、対躁鬱人でなくても、人間同士は”他者とは分かり合えない”事を前提に向き合うと、お互いが心地良くいられて楽なんじゃないかなと思います。

お互いにこの考えを(又は価値観を)共有していることが大事。


長くなりましたが、躁鬱人のアーティストとはこういった心の交流をしていきたいです。まだまだ時間がかかりそうですが。

躁鬱人と、躁鬱人を好きになった皆さんは、どんな恋愛をされているんでしょうか。


Noteの内容はあくまで私の主観で、科学的根拠に基づいたものではありません、ご理解のほど。




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