ホームホスピスとぜんぜん関係ないこと書いちゃったな
中三の長男の遅刻がつづいている
「どうせ間に合わないから」「どうせできないし」
どうせどうせがつづいている
先生が心配して策を練ろうと電話で言う
わたしは長男に生きててさえいてくれたらいいと思ってる
遅刻しても勉強しなくてもどうせって言っても
「だから先生、このことで先生や学校を責める気持ちはみじんもないから
あの時のあれは何やったん?あははていう日がきっと来るから
そんなに先生が気をもんでくれなくてもいいですよ」って言った
しかし学校到着時刻は日に日に遅くなる
中間テストですら
遅刻して被る不利益とか
彼の行動の結果おきる全てのことは
彼が背負うべきもので
わたしは背負わないしどうにもできない
だからつい「あんたの人生だから」と放り投げたように言ってまう
「義務教育の間はあんたを学校に行かす義務がわたしにあるから
だから行ってちょうだいよ」って言ってまう
彼は発達障害があり
変化に適応するのに時間がかかり
毎年年度はじめはよく荒れた
だから今回も恒例行事くらいに思ってるんだけど
渦中の今はいつ過ぎ去るのか
今度はひょっとして過ぎ去らず悪化しまいか
鷹揚にかまえているがわずかな不安も持っている
学校に足が向きにくい原因とか理由とか
何かあるんだろうけど
もう彼の全てを見ることも知ることもわたしにはできない
彼の祖母であるわたしの母と彼は仲がよかった
初孫だったし可愛がって
二人で出かけたり
母が家に来ることを子供たちはとても喜んでいた
祖母の死を彼はどう受け止めているんだろうか
大人はつい感情を隠して日常を生きてしまう
離れてくらしていたし
わたしたちの日常に母の不在はあまり影響を与えず
わたしはつい平気な感じで日常を生きている
平気か平気じゃないかっていったら平気だ
平気に思うことができる
ふりでなく
心から
いないんだなってふと思う
もう来ないんだなって涙が出る
そういえば母の話をしていない
こんなことあったねとか
あれ楽しかったねとか
そういえば蓋をしていたのかもしれない
わたしが平気すぎて
誰もが平気なふりをしてるのかもしれない
父を看取ったのは26歳の時だった
我が家はこんなに大変なのに
わたしは父を失うかもしれない大変な局面にいるのに
どうして世間の人は笑ったりできるのかと
すごく自分軸でしかない気持ちを持っていた
15歳は多感というけれど
多分わかることが増えてきて
わかってわいた感情を処理する術が少ないせいかも
わかること感じることは必要だし貴重なこと
処理することも自分でやっぱりするしかない
「あんたの人生」はやっぱりそうで
よくわからないけどプレッシャーとか
祖母の死とか
彼が抱えた感情も現実も
彼自身で何とかしなきゃ生きてけないし
そのうち何とかなるために
母は
栄養をそそぐ
蓋をあける
みんなで明るく生きていく
生き延びよう
笑ってたくましく