さち

ホームホスピスをつくろうと思っています。なんでホームホスピスをつくるのか?どんなホームホスピスをつくりたいのか?少しづつ、ここに記していきたいと思っています。

さち

ホームホスピスをつくろうと思っています。なんでホームホスピスをつくるのか?どんなホームホスピスをつくりたいのか?少しづつ、ここに記していきたいと思っています。

最近の記事

かなり久しぶりに思い立って書いてみようと思ってる今

涙そうそうという歌を 一生懸命練習していたお爺さんは 毎日訪問しているお婆さんのご主人 今日は市の文化祭で 練習していた歌を 娘さんと娘婿さんと三人で 大きな舞台に立ち 三線は振りだけだけど 歌えてた お爺さん夫婦には娘が二人 もう一人の娘さんも昨日から来て 賑やかな朝 「お母さんこれ着てそれはこうして」 「お父さんもう歌わんほうがええて本番まで」 何回も何回も 「お母さん」 「お父さん」て 90の親と60の娘 わたしは40代で両親はなく もうそれはいいんだけど 時々突然さ

    • いつから書いてなかったんだろう いつかこの地でホームホスピスができると思ってる今

      ありたいわたしになれている ありがたい 気付けば手を抜かず、一生懸命、丁寧に、やさしく、よく見て、しっかり向き合い、落ち着いて ケアする自分になれている その時間、その場、その相手に 出会えているわたしはラッキーで幸福だ ありがたい わたしを肯定して、認めて、守ってくれるという仲間がいて わたしは何て恵まれてるんだろうと思う これ程ラッキーで貴重な出会いはない ありがたい 母が死んで、母を失って それは関係ないけど それから得たものたち 母を失ったから得られた気持ちとか、行

      • 家族も介護もチームを感じて生きていく

        家族もチームだ 不登校は親子や家族の足りない何かを教えてくれるためにおこるときいた わたしたち家族に足りなかったのはチームとしての連帯 わたしも旦那さんもわがままで自分勝手だ 自分のしたいことに時間を使いたいし いちいちそのことに説明や同意を得ようとしない それでも何となく成り立っていて だいたいそういうことでしょうねって あまり言葉も時間も費やさず それぞれの望みを叶え合っていた 不登校になってから 息子を連れだしたくてよく出かけるようになった 家族5人でのお出かけが増えた

        • note書いてたら手に入ってた

          気づいたら色んなものが手に入ってた こんな介護がしたいなとか 人を雇用したいなとか チームで働きたいなとか 地域を交えた介護がしたいなとか 相方が欲しいなとか 一年前に思い描いて 自分で作ろうと思ってnote書いてた とんとん拍子とはこのことで つぎつぎ出会いに恵まれて これら全部が気づいたら手に入ってた 既存のだけど 思った形にかなり近い 一から作るの途方に暮れてたけど もう既に輪郭は出来上がってる 一からの魅力なんていらない位 十分過ぎる場 わたしってすごい ありがたい

        • かなり久しぶりに思い立って書いてみようと思ってる今

        • いつから書いてなかったんだろう いつかこの地でホームホスピスができると思ってる今

        • 家族も介護もチームを感じて生きていく

        • note書いてたら手に入ってた

          ひさしぶりにnoteが書けた

          文章が書けなかった 書くということは腹に何かが貯まってること ここ最近のわたしは 日々よどみなく流れてく日々 何も考えてないというかとどまる暇なし とどまらしたくなかったのか 学生は学習指導要領というものがあるそうで 毎日毎日課題に追われている こつこつと課題を終えて身に着けて 年相応の人間ができあがるように 社会が求めているようだ 年寄りは社会に求められる課題はなくて 毎日毎日食べて寝て出して暮らしている 人生の先輩とか活躍していた時代があったとか それは確かに 余生と

          ひさしぶりにnoteが書けた

          すごく私的なわたしのnote

          noteとの距離が開いていた6月 激動の2022年激動の6月 今年も半年が経って みんな元気 色々なことが起きたり大きな流れがやってきたり 思うようにいかないことも沢山あるけど みんな元気 それでいい noteを書いてないのは忙しいから わたしはnoteを気持ちが動いた時に書いていた 毎日時間が過ぎてって追われて じっくりわたしの気持ちを見つめ表に出すことができてなかった 物理的な時間のなさと 考え巡らす気持ちの浅さ やっぱり引っかかりごとがあると没頭できないもの 引っかか

          すごく私的なわたしのnote

          ホームホスピスの夢も揺らぐ

          最近よく泣いてるんです 通勤の35分の内の15分くらい車内でとか 皿洗いながらボロボロとか お風呂でわんわんとか 中三の長男が不登校になり半月 理由はさっぱり分からなくて 困ったものだな 涙の理由はスッキリしない心 やっぱり長男の所在というか居場所が決まらないとわたしも不安定 自分のことも気もそぞろ 彼の気持ちが晴れるのは何なのかしら 彼とは0〜6歳までの蜜月があるから それでもきっと大丈夫って思ってる 彼の興味に付き合い続けた時間があるから だからわたしには自信がある

          ホームホスピスの夢も揺らぐ

          ホームホスピスとぜんぜん関係ないこと書いちゃったな

          中三の長男の遅刻がつづいている 「どうせ間に合わないから」「どうせできないし」 どうせどうせがつづいている 先生が心配して策を練ろうと電話で言う わたしは長男に生きててさえいてくれたらいいと思ってる 遅刻しても勉強しなくてもどうせって言っても 「だから先生、このことで先生や学校を責める気持ちはみじんもないから あの時のあれは何やったん?あははていう日がきっと来るから そんなに先生が気をもんでくれなくてもいいですよ」って言った しかし学校到着時刻は日に日に遅くなる 中間テストで

          ホームホスピスとぜんぜん関係ないこと書いちゃったな

          ホームホスピスとか介護とか本気でいい仕事って思ってる

          中三の長男が長崎での修学旅行から帰ってきた 何にも言わないからぜんぜん分からない 行く前も帰って来てからも それでも楽しみにしてるっぽい様子と 楽しかったっぽい感じは全身にまとっていて よかったねって思う 長男の喜びとかわくわくとか 感じて場面を想像するだけで 涙が出てくる 嬉しくて この感覚は何なんだろう すっごい泣ける よかったねえよかったねえ楽しかったろうねえわくわくしただろうねえって 勝手に想像して泣ける こんな姿は誰にも見せないし言わないから 他の人の我が子に対する

          ホームホスピスとか介護とか本気でいい仕事って思ってる

          看護と介護ホームホスピスでも

          新しい職場で3か月 あっという間 楽しい 何がって 主に訪問してるんだけど その決められた時間内精一杯つくすこと 次の時間につなぐこと 二人で行ってケアする時 協力しあう感覚 ああよかったよかったって いちいち一回一回思って帰る 満足 二人でケアする相方は介護職 介護も看護も関係なくフラットな関係 することは同じ上も下もない 何かあった時に看護としての責任を発揮するだけ 普段はすることも立場も一緒ですって 上司の考え わたしも賛同 そうだよねって思ってた しかしだ 一緒にす

          看護と介護ホームホスピスでも

          こんな毎日からいつかホームホスピスに

          3週間前の週末は母の納骨で 兵庫から埼玉に行って 2週間前の週末はおじいちゃんのお葬式があって 先週の週末は3回目ワクチン接種で発熱ダウン そんなわけで仕事は毎週三連休をいただいていて 今週はそれでも肩がバキバキで頭が重たく血圧が高い だるーくてしんどーくてでも休みはあったし これは加齢だと思っていた 血圧と食生活に気を付けた暮らし 45だし考える年頃って 本気で思ってて しかしだるいからテキトーご飯がつづいて とりあえずレタス 早く寝るけど起きちゃうし あー絶対年のせい 好

          こんな毎日からいつかホームホスピスに

          ホームホスピスにつながる今のわたしの目標

          順調である 仕事が楽しくてちょっとしたいいことも続く 桜見に家の裏までお連れできたとか 今日もどっさり便が出たとか 子供が犬の散歩についてきたとか 母は1月30日に亡くなって 義祖父は3月31日に亡くなった どちらも辛く苦しい時もそれぞれにそれぞれの期間あったのかもだけど 今は自身を苦しめる肉体は骨になって 魂だけが地球上にある 楽になれたねと地上にいる人間もホッとする わたしは健康だから 日常的に痛いところしんどいところが今のところない だから人の痛みがわからないところが

          ホームホスピスにつながる今のわたしの目標

          ホームホスピスのきっかけわたしの家族

          97歳の義祖父が亡くなろうとしている わたしは18年前に東京の山奥で林業体験のワークショップに参加して旦那さんと出会った 関西から関東の大学に進学していた旦那さんは 結婚後実家に戻ることになり わたしは1歳だった長男とこちらでの暮らしをスタートさせた 今から13年前のこと 結婚する時は若かったので 離れた旦那さん家族のことなど全く考えもせず ただただ旦那さんとの結婚に突き進んでいた自分がいる 同居生活がスタートする時もあまり何も考えていなかった もともと考えなしのところがある

          ホームホスピスのきっかけわたしの家族

          ホームホスピスでしたいのは人を雇うこと

          わたしがしたいことは 雇用がしたいんだと思う 人を雇ってケアをしてって 雇った人達が質の高いケアを提供できたとしたら嬉しい ケアされた人が喜んで した人も上達してったり満たされたりして ご機嫌に暮らしてく そんな循環のはじまりになりたい ケアの一つ一つをつなぐ人がいたら 雇用になり仕事になり生活になる 関係を作りたい仲介をしたい人をつなぎたい 時間を共に過ごしたい過ごしてもらいたい 影響し合って化学反応が起きてほしい そんな場を作りたい ケア一つはとても小さかったり簡単だった

          ホームホスピスでしたいのは人を雇うこと

          ホームホスピスとはなれたわたしの日常

          中二の長男はとにかく手のかかる子だった 小六まで横についてつきっきりで 一時間以上かけて毎日宿題をみてあげていた 川に行くとか釣りをするとか 遊ぶ時もついてくことが多かった 土日ともなれば小さかった下の子二人と犬を連れて 一日中近所を歩いて回っていた 昨日は午後から2時間のZOOM 次男と長女は近所の子と三人で ヨモギとフキノトウを摂ってきた 小五の次男は食べれる草と料理が好き ヨモギは煮だしてお茶に ティックトックで見たというキャラメルポップコーンも作っていた 長男は丘

          ホームホスピスとはなれたわたしの日常

          ホームホスピスもいいけどやっぱり家がいいのかもわたし

          家にいる人をケアすること 楽しい いくら活動範囲がベットの上だけだとしても そこはその人のお宅でその人が主 訪問者がお客さん その家のベットの上で目の見えてないお婆さん 「ここはわたしの家?」と聞く 「はい、おじゃまさせていただいています」と応えるわたし 納得し威厳のある姿 わたしにはそう見える 家で暮らすこと在宅ケアをしてくこと 非効率で無駄も多い 完璧はもとめられないしリスクもつきまとう きれいと安心が欲しい人は施設がいい 家にいることは我儘な

          ホームホスピスもいいけどやっぱり家がいいのかもわたし