#55【ティーチングとコーチング】わかりにくさは価値がある
高校の頃に物理の先生が、こう言っていた。
「授業はわかりにくくないといけない。」
当時は意味が分からなかった。
授業はわかりやすいのが一番良いと思っていた。
しかし、わかりにくい授業が良い理由が最近つかめてきた。
答えは「ティーチングとコーチング」という考えにあったのだ。
先日「アオアシ」という漫画を読んだ。
この漫画は少年達が成長していくサッカー漫画なのだが、
同時に少年達を育成させるサッカー監督の話でもある。
サッカーだけでなく、教育的題材を扱った漫画だ。
この漫画の中で監督たちが意識していることがある。
コーチングだ。
コーチングとは教育方法の中でも、ティーチングとは異なるものである。
ティーチングが答えを教えるものであれば、コーチングは答えに導くものである。
漫画の中でコーチングされた少年達は、自ら最適解を体得し成長していく。
この解は自分で得たものなので簡単になくならず、本当に自己のためとなる。
コーチングの魅力はここにある。
外から植えられる木は簡単に倒れるかもしれないが、自分で根を生やした木はしぶとく倒れない。
そしてその木は持ち込まれたものではないので、環境にとても適応しているのである。
サッカーから勉強へと話をうつせば、
わかりやすい授業がティーチングで、わかりにくい授業がコーチングである。
わかりやすい授業は生徒にはとても楽なものだが、頭を使って答えを探すきっかけとはならない。すぐに忘れてしまう知識を植え込む行為に過ぎない。
これでは良い教育と言えない。
生徒に「試験合格へのきっかけ」ではなく、「良い人生へのきっかけ」を与えたいのなら、
生徒には一時の苦かもしれないが、頭を使って一生忘れない答えを探させる、わかりにくい授業を展開しなければならない。
生徒の中に答えという木を生やすために、教育者はわかりにくい授業を提供しなければならないのだ。
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