空からブルーベリーが落ちてきた日
小学校6年生の夏、空から何か落ちてきた。
当時、僕の家から自転車で5分くらいのところに四方をフェンスで囲まれた50×50mほどの広い空き地があって、僕はそこでほとんど毎日友達と草野球をやっていた。
始めたきっかけは5年生の時。自転車でその空き地の前を通りかかると、フェンスの内側で手に野球のグローブをはめた同じクラスの男子が3人でテニスボールを使ってキャッチボールをしていたので気になって声をかけた。
「なにしてるん?」
「おう!野球してんねん」
「ふーん。そこどうやって入ったん?」
「フェンス乗り越えてん。一緒にやれへん?」
その日から僕はほとんど毎日その空き地に通うことになる。
僕は生まれて初めてやった野球があまりにも楽しくて、すぐ親にグローブを買ってもらい、人数を増やしたくてみんなで同級生を誘いまくった。
その甲斐あって僕らの野球に参加する人数はすぐに増えていった。毎日やっていることもみんな知っていたのでわざわざ誘わなくても毎回7〜13人くらいは集まるようになった。
それだけ人数が集まると2チームに分かれての試合ができるようになり、僕はますます野球が楽しくなっていった。
その日もいつものように2チームに分かれて試合を行なっていた。
試合中盤。
相手チームの攻撃。
僕はセカンドの守備についていた。
ピッチャーがボールを投げる。
バッターがバットを思い切り振り抜いた。
瞬間。
「バコンッ!」
バッターが打ち返したテニスボールは僕の頭上を遥かに超え、そして太陽と重なった。
その時に見た太陽はやけに大きく、夏だった。
太陽に重なったテニスボールは真っ黒の小さな粒になった。まるでブルーベリーのように。
僕はブルーベリーが大好きだった。
とはいっても、ブルーベリーヨーグルトに入っている潰れたブルーベリーしか食べたことがなかったし、そのパッケージに描かれているイラストでしか見たことがなかったから好きというよりも憧れに近かった。
いつかブルーベリーをそのまま食べてみたい、できればお腹いっぱい食べたい。当時の僕のブルーベリーへの気持ちは膨らんでいくばかりだった。どこか買い物について行った時は毎回ブルーベリーが売っていないか店中を探し回った。憧れを通り越して執着といえるかもしれない。それほどブルーベリーのことばかり考えていた。
だからテニスボールがブルーベリーに見えてしまったのも必然といえる。
「よっしゃー!!!」
特大のホームラン。
ボールはフェンスの外まで飛んでいた。
面倒だったが、小柄で身軽だった僕がボールを拾いに行くことになった。
フェンスを乗り越えた僕は、ほんの5m先に転がっているテニスボールを拾おうと近づ
「パキャッ」
右肩に何かが落ちてきた。
"ブルーベリーだ"
僕は直感的にそう思った。
なぜそう思ったのか分からない。だけどその時の僕は確かにそう思った。絶対にそうだと思ったんだ。
だからそれの正体が鳥の糞だなんて頭の片隅にもなかった。
「パキャッ」
その音でブルーベリーだと確信した僕は、それを確認しようと右肩を見た。
そこには何やら透明な液体となにか小さい黒いものがあった。
"ブルーベリーだ"
思い込みというのは恐ろしいものだと思う。
自分の目で確かめたのにも関わらず、未だに僕はそれがブルーベリーだと思っていた。
落ちた衝撃で潰れたブルーベリーだと思っていた。
そしてあろうことか僕はそれをみんなに見せようと空き地に向かって叫んだ。
「みんな来てくれ!ブルーベリーや!」
だってブルーベリーだと思っていたから。
僕は右肩に乗っているそれを指で摘んでみた。
ドロっというかネバッというかとにかく気持ち悪い感触がして
"ブルーベリーではないかもしれない"
そんな不安が頭をよぎった。
いや待て待てそんなはずはない。
しかし一度疑ってからは早かった
"ブルーベリーではない"
そんな圧倒的な事実が、僕の幻想を覆っていった。
そして魔法が解ける。
その1秒後。
"もしやこれは"
正体に気付いてしまった
しかし今更気付いたところでもう遅い。
顔を上げると
「どういうこと!?」
「ブルーベリー!?」
「見せて見せて!!」
空き地にいた同級生達が我先にと一斉にフェンスを登ろうとしているのが見えた。
こいつらは全員それが鳥の糞だとは知らない。ブルーベリーだと思っているから興奮した様子で口々に何か叫びながら各々がフェンスを乗り越えてこようとしている。
僕はその光景がとても恐ろしくて
走って逃げようかな
そんなことを思ってしまった。
しかし僕はブルーベリーじゃなかったというショックに加えて、鳥の糞が右肩に落ちてしかも指で触ってしまったという二つのショックもあり足が全く動かずその場に立ちすくむばかりだった。
やがてみんながフェンスを乗り越え、僕の手を見て
「ん?」
「それブルーベリー?」
「ブルーベリーちゃうやん」
「なにそれ気持ちわる」
まだ鳥の糞だとは気付いていないようだった。
しかしこの状況はどうしたものか。
「ブルーベリーやと思ったら鳥の糞やったわー」
と笑い話にしようかと思ったものの
「ブルーベリーやと思ったら???」
と、どうしても、一度ブルーベリーと勘違いしてしまったという事実が本来あり得なさすぎて引っ掛かると思ったので咄嗟に
「いや、俺毎朝ヨーグルト食べてるんやけど〜」
自分がどれだけブルーベリーに憧れて執着してきたかというのを全くのゼロから語り始めてしまった。
これを聞いてくれた上で
「ブルーベリーやと思ったら鳥の糞やったわー」
と言えば、ブルーベリーと勘違いしたことも納得してくれると思ったからだ。
しかし全員僕の指についた鳥の糞に夢中で誰も僕の話を聞いていなかった
「待ってこれ鳥の糞やん!」
もうバレてもいた。
「ブルーベリーやと思ってん」
「よう見たらブルーベリーに似てない!?」
「俺ブルーベリー好きすぎるやろお!」
必死におどけている僕を見て
「落ち着け落ち着け、とりあえずあそこの水道で洗お、な?」
とても落ち着いた口調で優しい言葉をくれた
僕だけが、鳥の糞を落とされたショックで気が狂った奴みたいになっていた。
僕はその日からしばらくブルーベリーが食べられなくなった。
今でもブルーベリーを見ると思い出す。
テニスボールと鳥の糞、そしてやけに大きかったあの夏の太陽を。