【思うVS判断】2つの思考のポイントは?
はじめに
風邪をひいた時、医者に行くことがあるかもしれない。このとき、「医者に行こうと思った」とは言うが、「医者に行こうと判断した」と0は、あまり聞かない。「行く」「行かない」の2つしか選択肢が無いからだ。
「思う」と「判断」
思うか思わないかは、結局の所、ただの脳の電気信号でしかない。そのため、「思う」ことで周囲に与える影響はごく小さい。
反対に、「判断」とは、いくつかの選択肢を選び、選択に行動を伴わせることだ。
「骨折をしていると判断したので、すぐに救急車を呼んだ」のように、判断の後に行動が結びつく。行動を取り消すのは、思いを取り消すより難しい。気軽には元に戻れないのが判断だ。
整理してみると
判断と思うを比較し、整理してみよう。
思う⋯なにげなさ、思慮のなさがある。取り消しは頭の中で行う。
判断⋯論理的かつ慎重に複数の選択肢から、次に取るべき行動を選ぶ。取り消しは周囲に影響を与える。
つまり、判断とは「次に取るべき行動としての複数の選択肢の中から、自分が最善となるものを論理的かつ慎重に選択する」ということだ。
脳内の処理にとどまる「思う」は、周囲に影響を与えず、取り消すことが出来る。しかし、行動を伴う「判断」は、選択すれば元に戻れない可能性もある。
行動という重みこそが「思う」と「判断の」違いなのだ。
締め
本日は、判断と思うの違いを紹介させてもらった。いつも口だけの人間を想像してもらうと、より分かりやすい。口先だけだから、いつまでも行動という重みが伴わない。判断は行動する分、それによって生じる痛みも引き受けることになる。判断を続けてきた人間との口先だけの人間では、将来大きな差になって現れるのだ。
この記事が、あなたの悩みを解決する導火線に火を点けることを、心から祈っている。