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執筆しまくる病がある 『書きたがる脳 言語と創造性の科学』

概要

人はなぜ「書く」のか?

「人間の脳という不思議な臓器が見せる様々な可能性ーー
情報の洪水の中を生きる現代人に勇気を与えてくれる、秀逸なロマンティック・サイエンスだ」
茂木健一郎

書き出したら止まらない「ハイパーグラフィア」
書き出したいのに書けない「ライターズ・ブロック」
自らが医者であり患者でもある著者が、文章を書くという行為の障害を通じて創造性を生みだす脳のしくみに迫る。

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読書感想文

最初にハイパーグラフィアを報告したエミール・クレペリンは、1921年にこれらの患者について「彼らが読まれることをあてにしていないのは確かだ。書く喜び、それだけが動機なのである」と記している。

同 P50

 「一度書き始めると止まらない」と思えるほど、執筆に熱中した事はあるだろうか?
 今回紹介するのはそんな病、『ハイパーグラフィア』である。
 この症状に悩まされる人は、側頭葉に異常がある。この部位について、分かりやすい説明を引用する。

側頭葉の大半は耳の後ろにある。側頭葉は言葉や音(音楽の理解を含め)を処理する場だから、この場所は理にかなっている。側頭葉のなかの海馬は記憶の貯蔵に、偏桃体は情動反応に不可欠だし、視覚的な対象の認知にも側頭葉が重要な働きをする。

同 P37

  全員が全員というわけではないが、側頭葉に損傷を負った一部の人は、文学的才能を開花させる場合がある。それが、ハイパーグラフィアである。逆に、文学的な事が出来なくなるのが、ライターズ・ブロックである。

ハイパーグラフィアの人は大量の文章を書く――とくに同世代人と比べて――ということだ。

第二に、ハイパーグラフィアは外部の影響よりも強い意識的、内的衝動――喜びと言ってもいい――から生まれる(書いた分量に応じて支払いを受けるので大量に書く、という人はハイパーグラフィアとは言わない)。

第三に、書かれたものが当人にとって非常に高い哲学的、宗教的、あるいは自伝的意味をもっている(支離滅裂な文章を書く脳損傷患者の一部はハイパーグラフィアには含まれない)。

第四に、少なくとも当人にとっては意味があるという緩やかな基準は別として、文章が優れている必要はない(感傷的な日記を書き綴る人はハイパーグラフィアの可能性がある)。

最後に、真の「臨床的」ハイパーグラフィアについては、側頭葉に異常があった、またはあったと思われる神経学的あるいは精神医学的疾患の患者たちを取り上げるときまでとっておきたい。ほかの面では正常でも、上記四つの基準に該当する人々は、ハイパーグラフィアとまとめてよさそうだ。

同 P41

 ハイパーグラフィアと呼ばれる人達は、金儲けの為に本を執筆しているとか、職業上必要だから論文を執筆しているなど、外的要因によって大量の文章を書いている人は当てはまらない。
 ハイパーグラフィアは、自分の中から沸き起こる「文章を書きたい」という欲求に従って書いている。彼らにとって、他人が自分の文章をどう思っているかはさほど問題ではなく、褒められようと貶されようと、書きたいから書きまくる。ただ、それだけだ。
 文章を書きながら死にたい。そう思うくらいである。 

言語を絶した例的な体験をした人はなんとかその体験を説明しようとして大量の文章を書くことが多い。アビラの聖テレサの長い自叙伝がその古典的な例である。神秘体験をした人の多くは、言語を絶する体験に駆り立てられ、自分の世界観を人に伝えようとして伝道者になる。言葉で伝えられないとなると、逆になんとかして言語化しようとするものらしい。それがコミュニケーション意欲を生むことは確かなようだ。

同 P330

 この点について、私は心当たりがあった。自分自身、神秘体験を経験している。

 それ以前から長文を書く癖はあったので、この経験に起因するものではないが、確かにこの出来事を何万文字をかけて綴ったのは事実である。確かに、神秘体験をした人は、その事実を長文で書き記そうとするみたいだ。
 もちろん、脳の損傷が文学的才能の開花に繋がる事例もある。
 これについては、茂木健一郎の解説が興味深い。

もともと、最高度に創造的な状態は、脳の病態と紙一重でもある。本書でも紹介されている、神経学者のブルース・ミラーによって報告された側頭葉の病気がきっかけで絵画の才能を開花させた患者の事例は有名である。一時的に左の側頭葉の機能を低下させて、「天才」的な潜在能力を発揮させようという研究まで存在する。

同 P350

 ハイパーグラフィアに関する知られざる事実。いかがだろうか。
 「読書感想文を書くのは嫌いだ」と言う人は小学生の時から何人もいたけれど、「書くの大好きです!」なんて言う人は珍しかった。
 宿題で日記を書かされた時も、大抵の人は三行から五行で済ませていたのに対し、執筆に意欲のある私は、三ページ以上書いた。
 言いそびれたが、私は複雑性PTSDである。
 簡単に説明すると、側頭葉が萎縮して海馬が変形してしまった人がなる障害だ。主治医にも「執筆の特性がある」と言われている。
 本著が発行された2006年当時は、「複雑性PTSD」という障害は存在しなかったので、この本では触れられていない。だが、もしハイパーグラフィアに関する本がまた世に出回るなら、複雑性PTSDがハイパーグラフィアになる可能性について説明される事だろう。
 最後に、この本は既に絶版となっている。もし読みたければ、中古本を購入するか、図書館で読むしかない。


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