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【グリーフケア】わたしは母を二度失った
朝、7時45分、娘の登校を見送る。
50分、夫を見送る。
わーいわーい1人だー。とリズムに乗りながら台所に向かう。
朝ごはんの食器を洗って、お湯を沸かし、お茶を入れる。
チャイだから、ミルクとお砂糖も入れちゃうもんねー。
それを持ってリビングへ。テレビの前に座り、朝ドラを見た。「おむすび」だ。
病気で妻を失い、阪神淡路大震災で、一人娘を失った男性を緒方直人さんが演じている。
朝ドラの後、朝イチでゲストで緒形直人さんが、プレミアムゲスト出演していた。その時どんな気持ちで演じていたのかを話していた。
“親を亡くすことは過去をなくすこと
妻や夫、恋人を亡くすことは今をなくすこと
子供を亡くすことは明日をなくすこと”
という話を聞いていて、そんな気持ちを持ちながら演じていました。
親を亡くすことは過去をなくすこと ではないけれど、過去をなくしたような気持ちになることは事実だ。
自分の母は2023年の7月に救急搬送された。
母が入院して、意識がやっと回復した時、
「お母さん、りかだよ!わかる!?」と声をかけた。
酸素マスクをしていた母は、
「???私は四姉妹の長女だけど・・・?」
とぎれとぎれに答えた。
母は、肺の病気だったので、酸素が脳に充分取り込まれず意識が不鮮明になっていると医者は言っていた。
「え、これが認知症の症状というものか」と妙に冷静な自分がいた。
「ちがうよ!りかだよ!娘ー!」と言いながらも、あまり言ってもよくないよな。と思っている自分もいた。
しかし、病室をでて、一緒に面会に来ていた叔母と、とぼとぼと歩いていた時「お母さん・・・私のこと、わからなかった・・・」とつぶやいた。とたんに大粒の涙がとめどなくこぼれてきた。
「りかちゃん。。。。」叔母は私を抱きしめてくれた。
黙っていればこぼれなかった私の感情が、つぶやきと共にあふれ出したのだ。
「私のことを思い出せない母は、果たして、母なのだろうか」
私のことを思って、心配して、気にかけて、怒って、という私の記憶を持っている人が母だよね。なのに、それがないって、母?なの? と。
母が亡くなる前に、母を失った気持ちになった。私を覚えている母は、もういない。と。
認知症の親を持つ方の気持ちとは、こういうものだったのか。
その後、母は記憶が戻ってきた。母が黄泉の国から帰ってきてくれた気がした。もう明日が峠です。と言われてから二か月、母は頑張ってくれた。
ちょうど夏休みだったので私もたっぷりと沖縄にいられた。ゆっくりとお別れができたのではと思っている。
本当に最期のさいごのとき、看護師さんに、「話しかけてあげてくださいね」って言われたけれど、もう二か月も話しかけていたら、ちょっと笑えて来たし、もう話すことも尽きていたのはここだけの話。
実際に母が亡くなったときは、悲しくてどうしようもなかったけれど、母が私を思い出せなかった、あの時も、私は母を失っていた。
緒方直人さんがおっしゃっていた「親を亡くすということは過去をなくすということ」が少しわかった気がした。
沖縄の実家の管理人さんから送られてきた実家の庭の赤々と花開く桜の写真を眺めがら、そんなことを思い出していた。
全部、ぜんぶ、母との思い出だから、嬉しかったことも、悲しかったことも、スポットライトを当ててあげたい。