時には戦うエネルギーを使わないということ
今までは自分の正義感で間違ってることには相手と戦ってきました。
職場である曜日でほぼ全部と言っていいほど私の担当範囲に仕事の振り分けが当てられてました。一人でこなしとうとう腕を酷使しすぎ痛すぎて夜も眠れない日々が数ヶ月続きストレスが募る一方。
他のスタッフは座談会に花が咲いてる。
手伝うという意識すらなくお茶を飲みながら。
そういう光景をオーナーはニヤリと眺めてる。
思い切ってその日を抜けることにした日は自分の決断を自分自身で褒めてあげることができました。そして今まで溜まってた涙が一気に流れすっきりした気分で以前なら戦ってた。例え味方が誰もいなくて一人でも。
自分の正義と戦わず一歩引いてみるとこんなに楽なんだって知ったこと。
”ちょっとオンラインのクラスがあってその日が働けなくなったんです!”と適当な理由をつけてシフトの管理をしてる人へ伝えるだけ。
そうすると怒りもなく自分のプライベートな時間をもっと充実させていこうとそっちに意識が向いていきました。
それから不思議なことが立て続けに起こったのです。
職場の入り口のガラスドアの玄関が2回ほど夜中に誰かに割られてしまったことや
他の従業員が勤務中に手に怪我をし労働基準局へ職場の労働環境に問題があると訴え賠償金を請求し始めたことや私が抜けた日は売上がどーんと下がって暇になったなど耳にしました。
世の中の波動って本当にあるもんなんだなあ。
その人は悪くなく真面目にやってもグループで虐められると虐められる対象の人に何か問題があるんだって目で見られてしまうこともある。そして今まで仲良くしていた人も自分が巻き添えに喰らうのが怖くて距離を置いて虐めの対象の人はますます孤独感が増す。
大人になっても辛いけど大人はまだ環境を自分の手で変えられ長年の経験から対処はできる。ただ子供はそこの世界でしかまだ生きていく術を知らないだけあって死ぬほど辛いんだろうな。
でも必ずなんだかの形で本人へと戻ってくる
そこを去る、戦うエネルギーを使わないという選択も時には大切なこと。
水が無くなれば人々は水のある場所へと移動するように。
自分の時間をもっと有意義に過ごすことに意識を向け自分自身の味方になってあげること。みんなが自分を責めて酷い扱いをされると自分の価値がないもんだと勘違いしてしまうけど、”そんなこと絶対にないから!あなたは素晴らしい価値のある人だから!そう信じてあげて!”