部活の思い出:陸上部
僕の部活は小5の時のスピードスケートの陸上競技トレーニングから始まった。
変形ダッシュ(後ろを向いたり、長座になったりなどの状態から、合図とともにダッシュする)が速い、というのがその理由だった。
まあそれなりには速いが、そうなんか?そんなに速いのか?と疑いの目で見ながら、雪解けとともに体育が始まってから理由が分かった。
ああ確かに何やら速いようだ、しかも異様に速くなっている、去年は全然だったのに今年は見違えるほどに速くなってる、そりゃ何か言われるわけだ…
中学生のときにはスピードスケートの全日本チャンピオンが入学してきた。彼と何でも比較されたので堪らなかったが、彼も昔からそうだったろうから堪らなかっただろう(後で聞いてみたら『別に』とのことだった)。
才能が劣っていることへの認識が強くあった。だからこそ、誰よりも練習量を積んだ。学年が進むに従って僅差に詰められるようになった。もちろん本業のスケートは誰も勝てないが。
そんな部活は容易くいじめで途切れてしまった。仕方がないので、兄弟とランニング・ウエイトトレーニングを行い、受験勉強に励むことにした。
僕の部活は高校生のときに再び始まり、誰よりも早くにグラウンドに来て走り、円盤を投げ、ウエイトトレーニングを行い、遅くまで走り抜いた。
再びいじめが起こったが、今度は跳ね返せるだけの強さがあった。大会でも強さを発揮できた。
そんな時にてんかんが起こり、そして父親が自殺した。
父親が自殺してから、僕は少し壊れてしまって、進学校の生徒だというのにとんでもなく不真面目になり、毎日のようにタバコを吸い、パチンコに行き、授業をサボる最低の生徒になった。教員から殴られても逆ギレする始末だった。
僕に残っていたのは部活とウエイトトレーニングだけだった。
それから長い浪人時代と大学進学、大学中退を経て、僕の部活は完全に途切れた。
そして僕の部活は、雪解けとともに大学生のときに再び始まった。
坂道をダッシュするだけで息が上がった。でも楽しかった。弱くなっていることの実感と共に、自分を再び高める意欲が湧いてきたことが分かった。あまりの弱さに笑ってしまった。
こんなに弱いってことは、メチャメチャ底上げできるじゃん…めっちゃ楽しみなんだが…おいおいどうすんだよ…という愉快な気持ちで笑っていたら、隣で新入生を勧誘してから一緒に練習してくれている先輩が「何…どうしたの…大丈夫?」とめちゃくちゃ不安そうに心配してくれた。
それから6年間僕は部室に"主”と呼ばれる存在として居座り続けるのだが、3年目から円盤投げで4連覇することになるとは思っても見なかったし、研究室でも“主”と呼ばれる存在になってしまうとは思っても見なかった。
今は青空の下で、走ったり、投げたりをやっている。