人間万事塞翁が馬 河合隼雄先生編
中国の故事で、次のようなお話がもとになっています。
ある時、塞翁(さいおう)さんの馬が、逃げ出しました。
近所の人たちは、慰め、励ましました。
塞翁さんは、平然としていました。
何日かすると馬が戻ってきました。しかも、たくさんの馬を引き連れて。
近所の人は喜びました。「よかったねえ」と。
塞翁さんは、平然としていました。
また、しばらくすると、おじいさんの息子が、その馬から落ちてけがをしました。
近所の人は見まいに行き、慰め、励ましました。
塞翁さんは、平然としていました。
しばらくすると、戦争が起き、若者たちが兵隊に駆り出されました。
しかし、塞翁さんの息子は、けがをしていたため、戦争にいかずにすみました。
何が起こるか分からないし、起こった出来事も、何が将来の幸せや不幸につながっているかも分かりません。だから、一喜一憂しないでいこう、あるいは、幸せや不幸は、後になってみないと分からない、というような意味があるそうです。
亡くなってから10年以上がたちます。河合隼雄先生は、私が尊敬する方の一人です。亡くなられる前は、文化庁長官として活躍されましたが、ご自身は常に、心を病む患者さんと向き合う臨床心理士にアイデンティティを感じておられたようです。自伝の試みでもある「未来の記憶」(上・下)」を読むと、さまざまな偶然が重なって、ご自身が意図した進路とは別に、導かれるようにしてキャリアをつくられたと分かります。
戦後まもなく、将来、何をしたいか分からず、大学を1年休学する。
休学中に高校教師になる事を決意。勤めることになった私立高校の生徒指導の中で、高校生の相談と向き合い、心理学(臨床心理学)を学ぶ必要性を感じる。
高校に勤めながらより良い相談ができるようにと大学院で心理学を学ぶ。
心理学を学んでいるときに、自分の疑問などを手紙に書いて送ったアメリカの教授とのご縁で、留学することになる。高校教師を辞める。
アメリカ留学中、「夢分析」を受ける中で、教授らの推薦で、スイス(ユング派精神分析学を学ぶため)に留学する。
カウンセリングで、クライアントの悩みに耳を傾ける中で、日本社会の歪みや欧米との文化差、その背景にあるものを考察していく。
河合先生は、最初からカウンセラーになろうと思っていたわけではありません。目の前の生徒のため、生徒の相談に少しでもプラスになるようにと心理学を学んだことが、教師とは違うキャリアにつながっていきました。さらに、これからの社会では「臨床心理学が必要となる」と、今できる事に向き合っているうちに、不思議なご縁に導かれて、自分でも思いもしなかった道に進まれていたところ(文化庁長官就任など)が印象的でした。
「トラブル」「困ったなあ」と思う出来事に出遭っても、「どうして、この一件が、未来の幸せにつながっていないと言い切れるだろうか」と勝手に「不幸」と判断しないで、自分にとっての意味を考えると何か見えてくるかも知れないなあと思いました。
皆様の心に残る一言・学びがあれば幸いです。