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異質な鎌倉幕府という存在

鎌倉幕府は、源頼朝が後白河上皇から征夷大将軍に任命されて開いた初の武士による政権です。

鎌倉幕府が開かれるだいぶ前から武士自体は存在していました。


しかし、初期の武士は平将門のようにただ地方で反乱を起こしているにすぎないとても政権をにぎるような力はありませんでした。


しかし、ある時を境に武士は力を持つようになります。
その出来事が1156年に起きた保元の乱です。これは天皇の身内同士の争いから発展したもので、この戦いに武士が動員されます。

平安時代を通じて、久しぶりの武力を用いた戦争となった点に注目しなければなりません。つまり、武士という存在が戦うことで、天皇の地位が決まるというような争いが起きたこと自体が、ひとつの画期だったわけです。

「喧嘩の日本史」幻冬舎新書p21より引用

ここから武士の勢いは拡大していき、最終的には源頼朝による本格的な武士政権が誕生します。

それ以降にも続く室町幕府や江戸幕府などの武家政権の基礎となるのがこの鎌倉幕府です。

しかし、この鎌倉幕府は室町幕府や江戸幕府と決定的に違う点があります。

それは鎌倉幕府の源氏将軍の血筋が3代で途絶えてしまったことにあります。

ここでそれぞれの幕府を開いた人が誰なのか振り返ってみたいと思います。

鎌倉幕府=源頼朝
室町幕府=足利尊氏
江戸幕府=徳川家康

室町幕府と江戸幕府の将軍はどちらも15代まで続きますが、すべての将軍が室町幕府では足利一族、江戸幕府では徳川一族の人が就任しました。

つまり両方の幕府とも初代将軍の子孫が最後まで将軍職を世襲する体制となりました。

これに対し、鎌倉幕府は全く違います

鎌倉幕府では将軍は歴代9人いたのですが、

頼朝の子孫は3代で途絶えてしまったためその後は藤原氏から将軍を迎え、さらにその後は皇族が将軍になりました。

鎌倉幕府の将軍は
源氏⇒藤原氏⇒皇族というふうに色々な家の人が将軍になりました。


鎌倉幕府といったら将軍よりも、ナンバー2にあたる執権職を世襲していた北条氏の方が有名ですよね。

この執権職は最後まで初代執権の北条時政の子孫が就任しています。

鎌倉幕府の将軍は当初からあまり力がなく、源氏の将軍が途絶えたことによって完全に北条氏に乗っ取られる形となりました。

その後の藤原将軍や皇族将軍も政治は北条氏がすべておこなったために完全なお飾り状態でした。

途中で名君とよばれるような将軍が現れることもなくそのまま鎌倉幕府は1333年に滅びてしまいます。

倒幕側の目線からしても将軍の存在は無視され、時の北条氏の有力者であった北条高時の方にばかり目を向けられていたと言われています。

最後まで鎌倉幕府将軍は可哀想な形で終わることとなってしまいます。

これに対し、

室町幕府最後の将軍足利義昭は織田信長に対して抵抗するなどの行動を見せたり、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜に至っては大政奉還という将軍だからこそできる仕事をしています。

こういった活躍が鎌倉幕府最後の将軍にはないため、自分は鎌倉幕府の終わり方が一番寂しいなと感じるわけです。

あなたはどの幕府が一番好きですか?
コメントでぜひ教えてください
ではまた~

参考文献
喧嘩の日本史 幻冬舎新書




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