【観劇レポ】2023.7.18公演『広田ゆうみ 朗読の会#26』
0.公演概要
・日時・場所:2023年7月18日(火)於MOLLY
・作:別役実
・作品:『ひとをたべるねずみ』
(「星の街のものがたり」、三一書房、1977)
『ハメルンの笛吹き』(「星の街のものがたり」、三一書房、1977)
『ヘンゼルとグレーテル』
(「星の街のものがたり」、三一書房、1977)
『眠り姫』 (「星の街のものがたり」、三一書房、1977)
『ハイネンマイネン博士の植木鉢』
(「おさかなの手紙」、三一書房、1984)
『マヨネーズのように哀しい』(「風の研究」、三一書房、1979)
・朗読:広田ゆうみ
・協力:二口大学
1.感想
今回お邪魔した朗読の会の主宰、広田ゆうみさんについて。
広田さんは、京都を拠点に活動されている俳優さんです。現在、ユニット≪このしたやみ≫に参加されており、外部出演も含めて国内外の多くの舞台に出演されています。
劇研アクターズラボという団体と≪このしたやみ≫さんが一緒に行った演劇のワークショップに自分が参加したことからご縁をいただきました。
朗読の会のはじめに、広田さんからご挨拶がありました。
いわく、「別役作品は、日常の中にある薄い幕をめくったような感覚になる」。
別役実さんの作品は「不条理」が特徴なので、いつも観劇後は不思議な後味がします。
今回は広田さんの感じる「薄い幕」はどういうものなのだろうと思いながら、朗読を聞きました。
先の公演概要で作品名を挙げた作品はいずれも、現実にはあり得ない世界観ばかり。
ねずみからすれば人を食べるのは不思議でもないでもないけど、「中毒になるから食べない」だけだったり、言葉を覚えないはずのミミズを対象に文章修飾法を研究したり。
しかし、作り話だから、と片付けてしまうには妙にリアリティを持っているときもある。
たとえば先ほどのミミズの研究。
寒冷地の高原にいるミミズを研究対象に決めた一方で、そんなところに普通ミミズはいないから、探すことは非常に困難を極めた。さらには、そもそもミミズは文字を持たないから言葉を教え込むのにも年単位かかった、と語る。
聞きながら、そりゃそうだよね?!となってきて、じわじわとおかしみが込み上げてくるところもありました。
ただ、どの作品も、おかしいなあと笑って終わりということはなく。
会のはじまりに「幕」という言葉があったように、一見きれいな白いカーテンに見えるけれど、そっと裏をめくってみたら、太くて黒い刺繍糸でたくさんの縫い目があった。
その縫い目は、別役さんを通じて世界を見たときに現れたのだと思います。
自分が気づいていないだけで、本当はねずみは人を食べるんじゃないか。
知っていたはずのおとぎ話は、見方を変えれば全く知らないお話になってしまう。
そんな風に思いました。
また、今回は「朗読」という形で作品に触れたこともいい体験でした。
集まったお客さんは全部で20名弱ほどでしたが、こじんまりしたバーということもあり、満席。
互いに肩を寄せ合うようにして、広田さんの朗読に聞き入りました。
広田さんの声は物語をなめらかに聴覚へ運ぶので、その場面を想像したり湧いてくる感情に向き合ったりする静かな時間をくれます。
そうやってひたすら聞くことに集中していると、段々と朗読の声以外にも、呼吸や身じろぎしたときの衣擦れの音、照明の熱を感じるようになっていきます。
ふと視線を上げればまわりのお客さんがさまざまな表情で聞き入っているのが見えて、この日、この場所にいる全員で、この時間を作りあげているのだと思いつきました。
文章と同じく、朗読も読み手と受け手の両方がいないと成立しません。
このとき、読み手は媒介のように作品に関わり、受け手はそこにいることが必要なのではないかと思います。
朗読は文章とは表現の方法が異なりますが、読むにしても聞くにしても「受け手に集中してもらう」ことが大切だと気がつきました。
ただただ、作品の世界に没頭する。
今回も不思議な後味の作品ばかりでしたが、なぜか心は満たされたように感じました。
そのような「場」であったから心満たされたのか、それとも心満たされたから「場」となったのか。
観劇は、自分にとって日ごろ意識の外に追いやっているいろいろなことに気づかせてくれるんだなぁと感じた朗読の会でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
追記
【広田さんについてもっと詳しく知りたい方は以下のブログをチェック】