「花束みたいな恋をした」の脚本は坂元裕二だけど坂元裕二じゃないみたい
こんにちは、今更ながら「花束〜」を鑑賞した私です。
坂元裕二好きなのになんで?菅田将暉好きなのになんで?って感じですが。
予告だけでなんか「わあ〜(やばそう)」と思って、先に観た人の
noteとか読んじゃったら逆に観れなくなっちゃったんですよね。
友達なんか「良すぎて3回映画館で観た」とか言ってましたけどね当時。
そんなこんなで結局観ないまま今日に至ってしまったのですが、昨日自由時間が降ってきたので「あ、今だ」と思ってアマプラでわくわくしながら観た次第です。
さて、タイトルに戻るのですが…
「花束みたいな恋をした」の脚本は坂元裕二だけど坂元裕二じゃないみたい。
これが感想ですね。
面白かったです。超エリートでも陰キャすぎでもない、ふつーーの大学生〜社会人カップルのリアルって感じで。どうしてこの感じを坂元裕二様(57歳)は描けるのでしょうか。凄いですよね。
私の方が絹や麦と年齢が近いのに、もう思い出せないあの頃の感覚。さすがです。
台詞とか、心の声とか、ああ、坂元さんだなあって思いました。
でも、なんか今回は無かったんですよね。
伝えたい言葉、印象に残る台詞 が。
「泣きながらご飯食べたことある人は 生きていけます」
でも思ったんですよね。これって、カルテットや初恋の悪魔みたいなミステリー要素がある作品ではないですし、闇を背負った主人公のお話ではないんです。
だからと言って、大豆田とわ子ほど特殊な設定でもないですし、本当に「普通の」大学生のお話なんですよ。だからこそ、出てくる台詞もあくまで普通に生活していたら出てくる言葉だけで構成されているのかな〜なんて思いました。
そこまでが坂元裕二脚本?
ごめんなさい、この作品について監督や役者さんのインタビューを読み漁った訳ではありません。本当に、作り手側の意図とか情報を一切入れないで観たまでの感想です。ある意味純粋な感想ですね。
普通の人達の、普通の恋愛。だからこそ特別重くて印象的な言葉は使わない。そこまで世界観を作り出すのが坂元ワールドなのかな。なんて(勝手に)思いました。
女の子って何考えてるか分かんないって言ってる男の子に贈る一本
この作品は、よくある風景描写だけで主人公の心理状態を表現するとかではなく、ちゃんと心の声で絹と麦が何を考えているのかを表現してくれています。
めちゃくちゃ分かりやすい。
だからこそ、「なんか分かんないけど彼女怒ってるんだよね」ってなっちゃう男の子にこそ観てもらいたい。めちゃくちゃ分かりやすく「理由」が描かれています。
「そんなこと?」って感じですが、そこに向き合わないと映画の結末みたいに…。
以上、映画「花束みたいな恋をした」の感想でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
楽しんでもらえたら嬉しいです。