雨穿つ、我が心、日曜日。

 最早、連載と化した日曜定番。今朝は雨が降る前に枝草刈りを済ませ、エアコンのフィルター掃除、その他をしっかり終わらせた。パソコンのバッテリーリフレッシュを開始、惰性の栄光ナイン(実況パワフルプロ野球、栄光ナインで検索のこと)、夕食の買い出し。
 いつもの流れである。ふと、望まぬ昼寝により時間を強奪されないため、ひとつの策を弄する。
「イコライザー2を観よう」
 映画を観て、読書、そしてnote。これで午後二時~四時半を乗り切れる。そう踏んだ。テレビにヘッドホンを挿し、昨日の酒盛りの残りである宮崎地鶏の炭火焼で、昼から酒盛りしつつ、映画鑑賞という至福を開始する。
 やはり容赦なく強く、優しいマッコールさん。最高である。主演のデンゼル・ワシントンが来年で七十歳を迎えることに驚きつつ、悪人が始末される様子に溜飲を下げる。その完璧な出来に感動する。惚れ直す。
 やがて物語は終わり、アルコールでぼんやりした頭で、小説『未必のマクベス』を開く。時間は午後三時。今日こそは、日曜の睡魔に負けぬと意識をしっかと保ち、日曜定番の最終回を想定していた。
 そして、時計の針は、午後四時を指す。
 意識に背後があるのなら、気配は皆無だった。アルコールの残りで頭はぼんやりとして、日曜の睡魔との戦いに敗北した事実を誤魔化すように、栄光ナイン(とっくにプレイ年数六百年越え)をプレイ。未必のマクベスを読み、本稿に辿り着く。今日は十一月最後の日曜日だった。
 
 ここで、未必のマクベスの作中ででた単語を紹介しよう。
「アペンディックス(appendix)」
 書籍や文書の付録や補遺(ほい)を意味する。またプレゼンにおける配布資料の関連用語でもある。
 ビジネス・プレゼンにおいては「本文に関連する事柄を補足する参考資料・補足資料」という意味で使われる。
 ですって。カタカナ語はややこしい。参考資料でいいじゃない。
 
 閑話休題。たかが一時間程度とはいえ、年間で言えば丸二日にあたる。これを由々しき事態と捉えるか、昼寝くらい大目に見るかはその人次第だが、私は看過できない。人生は有限である。いつ終わるか分からない。三十代後半の年回り、無駄にしたくないのだ。
 しかし、日曜の睡魔にどうしても勝てない。
 その手捌きはCIAのエージェントの如く鮮やかさで、運命のように避けがたく、習慣化の地獄の底はもうすぐといった具合。どうしろというのか。木曜日の勤労感謝の日に映画『首』を観に行ったので、金は使えなかった。
 ちなみに本は買いました。積読が益々充実です。

『暴力の解剖学 神経犯罪学への招待』エイドリアン・レイン(高橋洋・訳)
『21世紀SF1000』大森望
『21世紀SF1000 PART2』大森望

 平山夢明先生の『独白するユニバーサル横メルカトル』が欲しかったが、紀伊国屋書店をもってしても、それは無かった。そのうち見つける。
 と、いうことで、金を使って外出するわけにいかず、この様ですね。それはもうダイナミックにデジャヴで、愚図なリリカルさを讃えた休日だった。
 リリカルは使いたかっただけなので、特に意味はありませんので、悪しからず。さて。どうしたものか。どうするべきか。しょうもない休日についてエッセーにするのは、飽きたと書いた気がする。だが、今回も繰り返している。もしかして、タイムリープしてる? 
 そんな疑惑を妄想する我が日曜日。来週はもう十二月である。師走。もう2023年も終ってしまう。時間がないぞ。
「年内に日曜の睡魔に大勝利し、充実した休日を過ごす」
 これは人生の目標です。遠くの見るのは怖く、不確かなので、近くをギョロりと見てやります。心の近眼が進みそうです。
 あ、1500字を超えました。
 い、う、え、おっともう書くことがない。尿意が限界なので、了です。

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