週刊「我がヂレンマ」<1月6日号>

 冬の、雨降る夜。路面の水溜まりに照明が反射、私は帰宅している。
 寒々とする屋外から、行きつけのローソン100で夕食を買い求める。昨日叔父からもらった崎陽軒の焼売、残りの明太子があるため、白米のみカゴへいれた。
 私は同じ店で朝食のオニギリ二個と、昼食のパンと野菜総菜二つを買っているので、平日の月曜から金曜日までは、ほぼここで生かされている。
 ここが無くなったらもう終わり、ジ・エンド。
 飯を減らすしかない。
 その時は涙が止まらないだろう。
 それにしても仕事始め。やることは分かっていたので、あっさり終わる。
 さて、今週のコンテンツ(いつも同じだが)。
<メモについての解説と考察>
<購入した書籍の紹介>
<月曜、ひとり歌会>
「たぶんトイレがしたかった」
 俳優の吉沢亮さんが、住居不法侵入だそうです。
 さて始めようか。

<メモについての解説と考察>

「牛馬(社畜)」
 中国語では、(比喩的に)生活のために、牛馬のようにこき使われる人間のこと。
・当時、私は地主の家で作男になり、牛馬のように働かされた。
・牛馬にさえ及ばない生活を送っている。
・日本に来たら14000円の靴を買ったぐらいで、跪いて接客してもらい、まるで貴族のようだ。普段は牛馬のように働いているというのに。

「献花するほど仲がいい」
 喧嘩するほど仲がいい。そのモジり。事故や事件で亡くなった人を悼むために献花するわけだが、仲が良かったとは限らない。これは単なる思いつきであって、特に意味などない。単なるメモにすぎない。考える余地などない。面白いわけでもない。
 そういうことです。

「人工知能という単語は差別用語になる」
 出典不明。おそらくユーチューブの動画だろう。チャットGPTや生成AIなど人工知能が身近になってきているが、完全に知能を再現しているわけではない。しかし将来、シンギュラリティによって人間と変わらなくなった場合、"人工"と冠するのは差別になる、ということか。
 つまり"第二知的生命体"、人間を模したアンドロイドか?
 その時は人間の知能を遥かに超えて、主従関係になっていそう。

「六畳一間宇宙旅行」
「四畳半神話大系」の偽物のようです。
 六畳一間から一歩も出ることなく、なぜか、襤褸アパートが宇宙船となり地球を離れ、星々を大航海。めくるめく異星人との出会いと別れ、サスペンス、アクション、ラブコメディ、ホラー、ハードSFとジャンルを横断するファンタスティック・エンタテイメント。
 適当です。

「竹久夢二(1884年9月16日-1934年9月1日)」
 日本の画家・詩人。本名は竹久茂次郎。出身は岡山県邑久郡本庄村(現在の瀬戸内市)。
 数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。
 文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、中でも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。
 また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けの一人ともいえる。

「ナッシュ均衡」
 ゲーム理論における非協力ゲームの解の一種であり、いくつかの解の概念の中で最も基本的な概念である。数学者のジョン・フォーブス・ナッシュにちなんで名付けられた。
 ナッシュ均衡は、他のプレーヤーの戦略を所与とした場合、どのプレーヤーも自分の戦略を変更することによって、より高い利得を得ることが出来ない戦略の組み合わせである。ナッシュ均衡の下では、どのプレーヤーも戦略を変更する誘因を持たない。
 ナッシュ均衡は必ずしもパレート効率的(経済学の中でも資源配分に関する概念の一つ。パレート最適ともいう。イタリアの経済学者であり社会学者のヴィルフレド・パレートが提唱)ではない。
 その代表例が囚人のジレンマである。
 なるほど。
 わからん。
 でもカッコエエなぁ。響きが。

「ゾルゲル法」
 セラミックス原料粉末の調製法の中で液相法に分類されるものの一つである。コロイドの一種であるゾルを濃縮や重合反応によってゲル化する手順を経るためこの様に呼ばれる。
 核燃料である二酸化ウランを作る工程でも利用される。
‥‥‥ゾルゲル。その怪しく力強い響きに惹かれてメモした。おそらくEテレの筒井康隆先生を題材にした一種の討論(議論)番組で、菊池成孔さんが使っていたような。私も語彙力をつけていきたい。もっと言語化していきたい。内なる魂に光を照射したい‥‥‥。

<購入した書籍の紹介>

『山尾悠子作品集成』
                              山尾悠子

二十年の眠りから目覚める、
幻の傑作群。

1970年代後半、彗星の如く日本の幻想文学シーンを駆け抜けた、
《伝説の作家》山尾悠子が残した幻想文学の極北ともいうべき、
32篇の小説を一巻に集大成。
 約7割の作品が単行本初収録(初版は2001年3月17日発売)

二十年を経て、希有の物語師が、我々のもとに帰って来たのだ。
                            ――佐藤亜紀

みずみずしく、しかも深みのあるSF感覚を表わした作品。
                            ――小松左京

〔夢の棲む街〕
・夢の棲む街
・月蝕
・ムーンゲイト
・堕天使
・遠近法
・シメールの領地
・ファンタジア領

〔耶路庭国異聞(えるにやこく‐いぶん)〕
・耶路庭国異聞
・街の人名簿
・巨人
・蝕
・スターストーン
・黒金
・童話・支那風小夜曲集
・透明族に関するエスキス
・私はその男にハンザ街で出会った
・遠近法・補遺

〔破壊王〕
・パラス・アテネ
・火焔圖
・夜半楽
・繭

〔掌篇集・綴れ織〕
・支那の禽
・秋宵
・菊
・眠れる美女
・傅説
・月齢
・蟬丸
・赤い糸
・塔
・天使論

〔ゴーレム〕

 前々から欲しかったが、税込み9,680円とそこそこ高価だったので、購入がのびのびになっていた。年始、一発目ということで「エイヤ」と入手。
 Amazonレビューは数が20で平均が星5。それぞれいかにも、それも古参の文学好きで、絶賛の連続。
 それにしても柳川貴代さんの装幀が美しい。布クロス装の肌触り、手の納まりが至福すぎる。これだけでも買った価値がある。勿論、内容も楽しみであり、何か、姿勢が正される気分です。

『さようなら、ギャングたち』
                             高橋源一郎

詩人の「わたし」と恋人の「S・B(ソングブック)」と猫の「ヘンリー4世」が営む超現実的な愛の生活を独創的な文体で描く。
発表時、吉本隆明が「現在までのところポップ文学の最高の作品だと思う。村上春樹があり糸井重里があり、村上龍があり、それ以前には筒井康隆があり栗本薫があり、というような優れた達成が無意識に踏まえられてはじめて、出てきたものだ」と絶賛した高橋源一郎のデビュー作。

1981年に第4回群像新人長篇小説賞の優秀作に選ばれた。
同年『群像』12月号に掲載され、翌1982年10月に講談社より刊行された、
著者のデビュー作である。
人々が名前を失った世界を舞台にした語り手の物語を、古典文学から現代の大衆文化まで様々な引用を散りばめながら断章形式で描いた作品であり、吉本隆明などによりポップ文学の傑作として評価された。
高橋はこの作品と『虹の彼方に』『ジョン・レノン対火星人』の3作で、「自分の個人的な1960年代を書きたかった」としている。

 高橋源一郎先生は、名前は知っていたものの、詳しくは知らなかった。
 ユーチューブの動画で発見し、気になり購入。講談社現代文庫なので約2000円と高価だが、まぁいいだろう。面白そうだし。

『銃』
                              中村文則

雨が降りしきる河原で大学生の西川が出会った動かなくなっていた男、その傍らに落ちていた黒い物体。
圧倒的な美しさと存在感を持つ「銃」に魅せられた彼はやがて、「私はいつか拳銃を撃つ」という確信を持つようになるのだが‥‥‥。
TVで流れる事件のニュース、
突然の刑事の訪問――次第に追いつめられて行く中、西川が下した決断とは?
新潮新人賞を受賞した衝撃のデビュー作!
単行本未収録小説「火」を併録。

「衝撃でした。より一層、僕が文学を好きになる契機になった小説」
                           ――又吉直樹氏

「孤独は向かってくるのではない、帰ってくるのだ」
                            ――綾野剛氏

 2025年2月21日に公開される映画『奇麗な、悪」の帯がされ、「嘘があってもいつも真実」と書かれた映画の栞が挟まれていた。さらに、それが落下しないよう透明フィルムでパッキングされていた。
 それはそれとして、これも「前々からほしかった」シリーズです。
 漢字一文字のタイトルが好き。
 潔く、その物体その物が、忽然と置かれたような重み。静かな威圧感、僅かな昂揚感を感じとれる。そして危機感も。

『限りなく透明に近いブルー』
                               村上龍

芥川賞史上、累計発行部数(単行本・文庫含む)、第1位〔368万部〕
                           解説・綿矢りさ

米軍基地の街・福生のハウスには、音楽に彩られながらドラッグとセックスと嬌声が満ちている。そんな退廃の日々の向こうには、空虚さを超えた希望がきらめく――。
著者の原点であり、発表以来ベストセラーとして読み継がれてきた、
永遠の文学の金字塔が新装版に!
〈群像新人賞、芥川賞受賞のデビュー作〉

 これこそ〈言わずと知れた〉名作なんだろう。聞いたことあるし。前にも買おうと手にとったが、本の状態が悪く、タイミングの逃していた。
 しかし、紀伊国屋書店・新宿本店で完璧な状態の品があったので、迷わず購入。薄いので読むときはその日のうちに読み終えよう。

『八月の光』(光文社[古典新訳]文庫)
                      ウィリアム・フォークナー
                            黒原敏行=訳

お腹の子の父親を追って旅する女、肌は白いが黒人の血を引いているという労働者、支離滅裂な言動から辞職を余儀なくされた牧師‥‥‥米国南部の町ジェファソンで、過去に呪われたように生きる人々の生は、一連の壮絶な事件へと収斂していく‥‥‥。
ノーベル賞受賞作家の代表的作品。

〔原題について〕
フォークナーは当初題名を『暗い家(Dark House)』としようと考えていた。これはその4年後に出版された『アブサロム、アブサロム!』執筆時の題でもあった。
フォークナーが露台(ポーチ)で座っているときに、彼の妻が八月という月の南部の光が持つ異様な性質について、感想を述べたと想像されている。
フォークナーは原稿を置いてある机に走り、当初の題名を消して『八月の光』と書き直した。しかし、小説の筋は恐らく、光と、八月という月が果たす象徴的な役割を与えられた創作である。

フォークナー自身はその由来を次のように語っている。

「ミシシッピ州の八月には、月の半ばごろ、とつぜん秋の前触れのような日がやってくる。暑さが落ちて、大気に満ちる光は、今日の太陽からくるというよりも、古代ギリシアのオリンポス山あたりから差しこんでくる感じになる(中略)しいて言えば、この"古代そのもののような光"は(中略)子を産むために世間体や宗教的倫理などを気にしない女・リーナと結びつくかもしれない」

 アメリカ文学の名作みたいです。存在は知っていたが、手をだしていなかったやつ。本棚に『土にまみれた旗』がありますが読んでません。死ぬほど積読だらけです。これは早めに読みたいです。厚いですけど。

<月曜、ひとり歌会>

「五・七・五・七・七」「季語はいらない(使用可)」という最低限のルールを守り、言葉を研くために始めたこの企画。効果のほどは観測不能なので分かりかねますが、マイペースにつづけています。平日であるため、時間が限られているので、大体午後10時あたりから、10首捻りだすことになる。
 非常に、非情なる時間の無さです。作品を詠む、というよりは、「でっち上げる」感覚に近く、悩ましいところ。
 かといって、独立した企画にして時間を確保したところで、良いモノが出来るとは限らない。
 と、
 前置きを書いている時間などない。詠おう。

〇青空を写真に撮り趣味ですか 料理ならば茹で卵です

〇水飲んだ「いや大事やで」乾くから 潤いすぎて乾き求める

〇道端の、街角、隅に、招き猫。 招く手欠けて虚しく光り

〇エレガント どんな時でも エレガント あの人ずっと 舞ってるオヤジ

〇現在地示す指針はぐーるぐる 軸はブレブレ涙脆いな

〇そっと置きアベノマスクは何処行った? 屹度、黴黴、今度は捨てよ

〇暗い道 光辿って暗がりへ 灯るケイタイ消えるツナガリ

〇ぶら下がり腕が痛くて離したら落ちて痛いな折れて立てない

〇ふとあるく かわいたビルの さわやかさ 不安おしよせ転ぶ半地下

〇もう終わり 死んでねぇから終わらない ふくらむ思い凹ますタスク

 終わった。
 10首詠み終えた。
 捻りだしたぞ。
 捻りだしてばかりです。
「短歌を詠う」ことに意味があるのか。そもそも意味なんて求めてどうするのか、という現実逃避、逃避先を転々とす。
 文学、漫画、映画、ネット、ゲーム、米、酒なんかを‥‥‥。
 惰性の平野をゆく思いですが、それもまた一興。
 他に変わる企画もないですし、まぁ、いいでしょう。無駄に続けてきてしまって、今更やめられないのが現状。
 そろそろ時間です。
 最低限、推敲しなくてはいけないのでここで終わり。
 明日から、三日連続ショートショートなんでファイトです。
 
 


   




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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