週刊「我がヂレンマ」<12月16日号>
昨日、六義園に行ったことで、日本文化、和の世界観にハマりそうである。しかし、ハマりそうでハマりきらないのが私です。
非情に非常なる飽き性であり、来年になる頃にはブームが去っている可能性がある。とはいえあの空間で、穏やかで温和な、風流な感覚を得たのは事実。年内、または来年早々に訪れてもいいだろう。手ぬぐいも購入したことだし、日本人としてハマってみようか‥‥‥。
もういいわ、今週のコンテンツ(毎週、同じだけど)
<メモについての解説と考察>
<購入した書籍の紹介>
<月曜、ひとり歌会>
時間なんてない。余裕なんてない。今週は前置き短めで終わらせよう。こんなことで時間など使っていられない。
よし、もう書こう。
<メモについての解説と考察>
「マイクログリッド」
平常時には再生可能エネルギーを効率よく利用し、非常時には送配電ネットワークから独立し、エリア内でエネルギーの自給自足を行う送配電の仕組みです。非常時の停電を回避し、エリア内の再生可能エネルギーなどを地産地消できるため、平常時、非常時の双方においてメリットがあります。
一方で、一般的な送配電システムとは異なる仕組みであるため、実現には乗り越えるべき課題があります。
「ジャスミン・ウォード(1977年4月1日-)」
アメリカの小説家であり、テュレーン大学の英語教授であり、アンドリュー・W・メロン人文科学教授を務めている。
2冊目の小説『Salvage the Bones』で2011年全米図書賞のフィクション部門を受賞し、2017年には小説『Sing, Unbured Sing』でも同賞を受賞した。また、ハリケーン・カトリーナに立ち向かう家族の愛とコミュニティの物語で、2012年のアレックス賞を受賞した。
全米図書賞フィクション部門を2回受賞した唯一の女性であり、アフリカ系アメリカ人でもある。ウォードの3つの小説はすべて、ミシシッピ州の架空の町、ボア・ソヴァージュを舞台にしている。
「華岡青洲(1760年11月21日‐1835年11月21日)」
江戸時代の外科医。忌み名は震(ふるう)。字は伯行。通称は雲平。号は青洲、随賢。
記録に残るものとして、世界で初めて全身麻酔を用いた乳癌手術を成功させた。欧米で初めて全身麻酔が行われたのは、青洲の手術の成功から約40年後となる。
華岡直道の長男として紀伊国那賀郡名手荘西野山村(現・和歌山県紀の川市西野山)に生まれる。天明2年(1782年)より京都に出て、吉益南涯に古医方を3ヶ月学ぶ。続いて大和見水にカスパル流外科を1年学ぶ。さらに見水の師・伊良子道牛が確立した「伊良子流外科」を学んだ。
その後も長く京都に留まり医学書や医療器具を買い集めた。その中でも特に影響を受けたのが永富独嘯庵の『漫遊雑記』であった。そこには乳癌の治療法の記述があり「欧州では乳癌を手術で治療するが、日本ではまだ行われておらず、後続の医師に期待する」と書かれているのを知ったことが後の伏線となる。
この時、乳癌を根治するほど大きく切るのは、患者が受ける耐え難い痛みを解決しなければ不可能であり、麻酔法の完成こそ、癌の医療を進歩させる最重要の課題と考えた。
「御穂鹿嶋神社(みほかしまじんじゃ)」
東京都港区芝4丁目にある神社。御穂神社と付近にあった鹿嶋神社を2004年(平成16年)に合祀した。御穂鹿嶋神社と称する。
旧社格は村社で、本芝地区(現・芝4丁目)の鎮守。元々は別の神社であったが、どちらも本芝地区の鎮守であったため、古くから「本芝両社」と称された。
氏子地域は芝四丁目、芝浦一丁目、芝浦二丁目、海岸二丁目、海岸三丁目。このため本芝町会、芝浦一丁目町会、芝浦二丁目町会、海岸二・三丁目町会が祭礼に参加している。
落語・芝浜のモデルになった芝浜とはこの地付近を指し、御菜八ヶ浦の一つ本芝浦の陸側の事である。当地には雑魚場の愛称で知られた魚市場があった。
本芝公園から芝浦へ抜けるJRの架道橋は雑魚場架道橋という名称である。
「首肯(しゅこう)」
うなずくこと。納得し、賛成すること。
承諾すること。肯定すること。
「意見に首肯する」は、「意見に納得して肯定する」と言い換えることができる。
・これまで挙げた出会いものは、すべて誰もが首肯するものばかりである。(出典:東海林さだお『トンカツの丸かじり』)
・僕は、殊に誰にでも自分の理論を強ひて首肯させようとするものではない。(出典:岸田国士『築地小劇場の旗挙』)
・記者先生に於いても二百年来の変遷と見て或は首肯せらることある可し。(出典:福沢諭吉『女大学評論』)
「タール42mg ガラム・スーリア・缶」
インドネシアの煙草。ガラム特有の濃厚な甘みと豊かな香りを、適切な状態で保存できる缶入りタイプ。丁子油で香りを付けた、クローブたばこ。太陽(シーリヤ)をイメージした商品。クローブとは、料理の香辛料や、生薬としても使用される、「クローブ(丁子)」という植物。
吸い口が甘く、火を付けるとパチパチと火花が散り、クローブの非常に特徴的な香りが漂うクレテックたばこ。
「秋田県男鹿市・加茂青砂地域」
男鹿半島の西海岸にある小さな漁村です。南北800メートルほどの磯に沿って集落が続き、中央の加茂漁港を挟んで、北の加茂地区と南の青砂地区とに分かれている。
磯は小石が多く、その名のとおり青色に染まる海岸線は、日本海沿岸でも屈指の美しさを誇っています。集落は、県道から50メートルほど下ったところにある。背後には急峻な山が迫り、かつて棚田を築き稲を育てていた。
集落の両端は、北を天ヶ崎、南をカンカネ洞という険しい岩場に阻まれています。このため、昭和40年代に半島西海岸を走る観光道路(県道59号線)が開通するまでは、船での往来が主体で、かつては陸の孤島とも呼ばれていました。
日本海から大きく入り込んだ湾は、北前船が行き交う時代から風待ちの港として利用され、江戸時代には紀行家の菅江真澄も訪れて、加茂青砂の男女が盆踊りを踊るさまを記録しています。
加茂青砂を含む半島西海岸部は、古くから豊かな漁場として知られ、現在でも加茂漁港では漁船や釣り船が活動しています。
釣り場としては、男鹿半島の磯の中でも屈指の人気を誇り、ダイビングスポットとしても知られてる。
また、集落南寄りにある緑地広場には、昭和58年の日本海中部地震で津波の犠牲となった合川南小の子どもたちの慰霊碑があり、今も住民の手で大切に守られています。
<購入した書籍の紹介>
『岩本素白全集 第一巻 山居俗情 素白集』
岩本素白
『山居俗情』(1938年、砂子屋書房刊)及び、『素白集』(1947年、東京出版刊)を底本としたもの
繊細かつ鋭敏な感覚をもって文学の世界に遊び、独りあてもなく街を歩くことを好んだ素白(そはく)先生。古き東京を慕い、また旧友を語るしみじみとした文章は、滋味溢れ、人生の深さを感じさせずにはおかない。温厚な人柄と、洗練された都会人の感性から生み出されたこれらの作品は、随筆文学の最高傑作である。
【山居俗情】
「読我書屋雑筆」「かやつり草」「牛堀と長瀞」「街の灯」「目黒の里」「田舎のうち」「ゆく雲」「山居俗情」「読我書屋」など。
【素白集】
「旧都秋景」「雨の宿」「時雨」「六日月」「西山へ」「花の寺」
「山陰両日」「亡友の跡を」「浴泉」「湯島」など。
正直、買うまで岩本素白の存在を知らなかった。加えて、文芸・小説だと勘違いしていた。期せずして随筆の古書(古本)を入手したことになる。
ちなみに昭和49年(1974年)の初版です。
『岩本素白 第二巻 東海道品川宿 遺珠』
岩本素白
【東海道品川宿】
「逸題」「筑波」「向島」「素湯のような話――南駅余情、序章」
「晩春夜話――南駅余情、一」「こがらし――南駅余情、二」
「板橋夜話(一)――南駅余情、三」「板橋夜話(二)――南駅余情、四」
「野の墓」「独り行く」など。
【遺珠】
「早春」「研ぎ」「憶い出――染谷進君を悼む」「微恙」
「再び散文へ」「こわれ物」「初秋の夜」「ある晩の話」
「古祠」「山里」など。
如何せん、情報が少ない。知る人ぞ知る、そんな作家なのか。どんと来いである。これも初版、昭和50年(1975年)のものです(自慢)。
『岩本素白全集 第三巻 日本文学の写実精神 文芸論叢 信濃詠草』
岩本素白
【日本文学の写実精神】
「日本文学の写実精神」「日本文学に於ける詩精神と散文精神の交流」
「歌物語以前の写実的短篇」「古民謡の味」など。
【文芸論叢】
「日本文学に於ける漫画の創始」「歌人長嘯子」「随筆の底を流るるもの」
「市井を描く人々」「青山掃墓記」「江東訪碑記」
「学生時代の窪田空穂」「窪田空穂と源氏物語」など。
【信濃詠草】
「ああ、岩本素白先生 山路平四郎」
如何せん、情報が少ないパート2。何にせよ、初版であり、全三巻揃っている。14,800円也。まぁじっくり読んでいきます。
【岩本素白〔1883年(明治16年)8月17日-1961年(昭和36年)10月2日〕】
国文学者、随筆家。本名は堅一(けんいち)。
東京都麻布に生まれる。父・竹次郎は旧丸亀藩士で海軍勤務であった。
東京専門高校(現:早稲田大学)文学部国文科卒業。母校の麻布中学教諭(恩師は創立者の江原素六)を経て、1932年(昭和7年)より、早稲田大学文学部国文科講師(のち教授)で随筆文学講座を担当。
戦災で自宅蔵書を失い、信州に疎開した。1954年(昭和29年)に定年退職後は、麻布高校、跡見学園短期大学でも教えた。自宅書斎で執筆中に倒れ、約一カ月後に亡くなった。
義理堅く潔癖な性格なため、自身の著書公刊には積極的ではなく『岩本素白全集』(全3巻)も少部数しか刷られなかった。近年になり、著作や人となりが識者に見直され、新版再刊されている。
早稲田大学での同僚に、歌人の窪田空穂がおり、主宰する歌誌『槻の木』に参加し、短歌や随筆を発表した。同僚の友人は他に、歌人・東洋美術史学者の會津八一がいる。
『palmstories あなた』
津村記久子
岡田利規
町田康
又吉直樹
大崎清夏
「あなた」と「きみ」をめぐる
5つの"てのひら"の小説たち
あなたが私に寄越してくれたさまざまな物が、もしその時に手に入らなかったとしたらと考えると、ちょっと恐ろしいなという気がしてくる。
津村記久子『六階を見習って』
なんであれば出来事とも呼べないかもしれないくらいのもの、きわめてうっすらとした出来事のようなものからでさえ、忘れがたい印象をふいに得る、ということはきみにももちろん時々起こる。
岡田利規『一月、生暖かい月曜日の午後のこと』
此の度は機会を与えてくれてありがとう。本当に感謝している。(…)そんな僕がつい、本当に、と書いてしまったのはマジで貴殿に感謝しているからだ。
町田康『言ひ譯』
あなたは引っ越してきたばかりの街を一人で歩いている。真っ直ぐな道の果てに寺院と思しき白い塀が見える。
又吉直樹『行列』
茂呂木さん、茂呂木さん、聞こえますか。(…)きっとそちらはいま、おくつろぎタイムですよね。
大崎清夏『眼鏡のバレリーナのために』
掌サイズの可愛い本。何なら、文庫本より背が低い。BOOKS青いカバさんのサイトで紹介されていて、以前から気になっていたやつ。あったので買いました。正真正銘に、真正直に言ってキュートすぎ。
『未来世界から来た男』
フレドリック・ブラウン
小西宏=訳
SFと悪夢の短編集
悪魔から魔法のパンツをもらった好色漢。不死身の大統領の秘密。超光速で空間を渡った宇宙船隊の行方。火星人の手から地球を救ったロバの話。タイム・マシンで大儲けを企んだ男の運命。20世紀の三大発明とは‥‥‥。
奇抜な着想と見事な語り口で万人を魅了してやまぬ、SFショートショートの名手ブラウンの傑作集。趣向を凝らした戦慄と幻想の世界があなたの目の前に展開します!
1963年9月、創元SF文庫(当時は創元推理文庫SFマーク)の第1弾となった記念すべき1冊。購入したのは2000年4月14日63版のもの。
ブーゲンビリア・ピンクの表紙、好きですね。Amazonのレビューを見ると、賛否ありますが、私は好きですね。触りを読んだあたりは。
<月曜、ひとり歌会>
「五・七・五・七・七」「季語はいらない(使用可)」という最低限のルールを守り、言葉を研くために始めたこの企画。効果のほどは測りかねるが、それでも楽しく詠っているつもりだ。
そして時間がないので、前置きはこれくらいにしておこう。
〇和歌の庭 ついでに寄った六義園 心あらわれ古書も弾み
〇冬の陽に 浸る庭園美しい 肺で感じて流れる時よ
〇茶の味 舌、鼻過ぎて 喉が鳴る 体流れる血潮日ノ本
〇我慢して言ったそばから口にする意志の弱さに 辟易してさ
〇夏休み忘れた頃に思い出す のびのびしてて可愛いかもな
〇掌が 乾燥しすぎ ひび割れる 血まで出てるの皮膚の弱さよ
〇紅ズワイ 食べ放題で腹痛い「そんなわけない」「食べもしないで」
〇傷だらけこころとからだ傷らだけ 癒し求めてまた傷らだけ
〇「ギャンブル人生賭けてやってます」「襤褸負けですよ、まだ腐らない」
〇大事件 喉元過ぎて 忘れられ 点と点とが 繋ぐころには‥‥‥
もう時間ないのよ。
締めの文章なんて書いてる余裕などない。
一日が25時間ぐらいあればいいのに。真剣にそう思う。しかし現実はそうはならず、勢いでのみ詠っている。本来、短歌はもう少し、焦らずにつくりだすものなのでは?
単独の企画として扱うか、他の曜日も考えておかないと、質が上がることはないだろう。稀にホームランをラッキーパンチで打つ可能性はあるが、それではどうしようもない。
もどかしく、悩ましい、そんな冬の夜だった。