週刊「我がヂレンマ」<9月9日号>
書き出しに困る秋晴の候、いや、厳しすぎる残暑とゲリラ豪雨の季節。
最高気温が30度を切る、そんな日はいつくるのか。秋が短すぎる異常気象も、慣れてしまえば平常と化す。人は慣れの生き物であるが、悪い事にも慣れるのも、また人間。
嫌な話で始まったが、ひとつ楽しみなことがある。
『BOOKS青いカバ』という駒込にある古書店(新刊もアリ)へ赴く計画を立てている。真夏に思い立ち、汗ダラダラで行きたくねぇ、と思い気候が涼しくなってから行こうと決めた。ユーチューブでインタビュー動画を見たが、店主の方、人が良さそうだったので、一安心。最低一万円以上は課金するつもりで、季節の移ろいを待ち望んでいる。
とにもかくにも、とりあえず今週のコンテンツ。
<メモについての解説と考察>
<購入した書籍の紹介>
<月曜、ひとり歌会>
一発放屁しスッキリして、とりあえずもう書きますよ。
<メモについての解説と考察>
「鹿十(しかと)」
シカトは、花札の10月の絵柄「鹿の十(しかのとお)」が略された語。十月の札は、鹿が横を向いた絵柄であるため、そっぽを向くことや無視することを「シカトする」と表現するようになった。
警視庁刑事部による『警察隠語類集』(1956年)には、「しかとう とぼける。花札のモミヂの鹿は十であり、その鹿が横を向いているところから」とあり、この頃はまだ「シカト」ではなく「しかとう」で、賭博師の隠語であったことがわかる。
まぁ、漢字で書かれても伝わらんけども。
「鈴木フック」
俳優・タレントの鈴木福さんのモジり。売れない芸人のような響きである。「フック、フック、鈴木フック!」そして意味ありげな微笑みを浮かべる。しょうもないあるあるネタを得意げに放ったあと、「フック、フック、鈴木フック!」とロシアンフック。右ひじ、左ひじである。
売れない。バイト生活から抜け出せない。同じ売れない芸人仲間と安酒をあおり、月に一回の風俗通いが唯一の楽しみ。
売れない。売れようがない。救いようがない。
「自己皇帝感」
勿論、自己肯定感のモジり。
如何ともしがたい、「我、皇帝なり」グルーヴ。下々が跪いてくれないことに人知れず傷つき、大して女も抱けない現実に憤る。
「俺、皇帝なのに、、、」
これでは奴隷も同じではないか。あかんではないか。どうしてくれよう。
「碩学(せきがく)」
意味は「修めた学問が広く深いこと、またその人のこと」を指します。「碩」という漢字には「大きい」「優れている」「立派である」といった意味があり、それに「学」が組み合わさり「学問が広く深い」となる。
「いやぁ、碩学な人ですねぇ」
弄ってるように思う。
常用でない単語で人を褒めるあたり、何か歪みを感じます。
「コテンパン」
「徹底的に打ちのめす」ことを意味する言葉。
暴力で「打ち負かす」だけを意味するのではなく、議論や言い合いで「打ち負かす」、仕事上の成果で「打ち負かす」場合にも使用される。
言葉の響きがおもしろく、悲哀もあり、「言い訳もできないほど」的なニュアンスもある。
「コテンパンにやられたよ。だが次は、俺の番だ」
ご勝手にどうぞ、といった感じだが、語感のよい単語はスキ。
「アンファール作戦」
または、アンファール虐殺。1980年代後半にイラクを支配したバアス党政権によって、50,000人から182,000人のクルド人が殺害された、大量虐殺的、対反乱作戦。発端はイラク北部のクルド人の反乱で、4,500のクルド人の村が破壊された。
ちなみに日本にいるクルド人はトルコ系の人々です。
「丁寧な暮らし、底辺な暮らし、大変な暮らし」
響きの似た言葉を並べただけの、無意味で非生産的な言葉。
無理矢理に意味をもたせるとすれば、
「大変で底辺な暮らしをしているが、丁寧ではある」
なんとなく、蛍光灯が点滅していそうだ。妙に浅黒く、斜視で、歯抜けのジジィが「うるさい!」と抗議してきそうな、そんな襤褸アパートが住まいで。ネズミやゴキブリとも仲良くなり、大阪人のように割り箸を洗って再利用していそう。
<購入した書籍の紹介>
「家畜人ヤプー 第一巻~第五巻(幻冬舎アウトロー文庫)」
沼正三
◉【第一巻】
ある夏の午後、ドイツに留学中の瀬部麟一郎と恋人クララの前に突如、奇妙な円盤艇が現れた。中にはポーリーンと名乗る美しき白人女性が一人。二千年後の世界から来たという彼女が語る未来では、日本人が「ヤプー」と呼ばれ、白人の家畜にされているというのだが‥‥‥。
三島由紀夫、澁澤龍彦らが絶賛した「戦後最大の奇書」最終決定版、遂に刊行!
(解説・奥野健男)
◉【第二巻】
ポーリーンに連れられてクララと麟一郎が向かった二千年後の未来は、白人女権専制社会である宇宙帝国イースが支配していた。そこでヤプーは生体手術などの加工を施され、道具として扱われていた。人間椅子、肉便器(セッチン)、畜人犬(ヤップ・ドッグ)、自慰用具の舌人形(カニリンガ)や唇人形(ペニリンガ)‥‥‥。
想像を絶する世界にさまよいこんだ二人の運命は?
反ユートピア小説の金字塔、第二巻。
(解説・前田宗男)
◉【第三巻】
イース人のヤプーに対する態度は、徹底して残酷かつ非道なものだった。クララは初め、嫌悪感を示すが次第に順応していき、やがて麟一郎を私有家畜とすることを決意。
去勢手術などの生体加工を施され、変わり果てた姿となった麟一郎は、クララの「尿洗礼(パブティズム)」を受けてヤプー・リンとなった――
想像力の限りを尽して描きあげた倒錯の万華鏡、第三巻。
(解説・巽孝之)
◉【第四巻】
ヤプーは日本人のなれの果てであり、かつての日本列島には「邪蛮(ジャパン)」と呼ばれるヤプーの国が存在していた。
ヤプーの間では宗教教育の結果、白神信仰が浸透していて、その始祖ころ天照大神ことアンナ・テラスであった。クララはアンナに会うため飛行島高天原(ラピュータ・タカラマハン)を訪れ、驚くべき歴史の真実を聞く。
記紀神話をも解体、吸収する妄想の迷宮、第四巻。
(解説・荒俣宏)
◉【第五巻】
私は貴女に永久占領されていたいのです。
独立国でなく属領になるのが望みです――自らの意志で麟一郎は服従と隷属の道を選んだ。その果てにあるのは至福の快楽か、それをも‥‥‥。
ベストセラーとなった初版以来、数度の復刻と加筆を重ねてきた世紀の奇書が、ついに完結。ポルノから哲学までの内包する逸脱と放埓のシンフォニー、最終増補決定版!
(解説・高橋源一郎)
1956年から『奇譚クラブ』で連載され、当時の文学者・知識人の間で話題となっていた。そのきっかけは三島由紀夫がこの作品に興味を示し、多くの人々に紹介したことによる。三島のみならず澁澤龍彦、寺山修司らの評価もあり、文学界では知名度の高い作品となった。
『奇譚クラブ』1956年12月号-1958年4月号までの連載では、打ち切りという事情もあり物語は完結せず、都市出版社、角川文庫版、スコラ版、太田出版版、幻冬舎アウトロー文庫版と補正加筆が行われながら版が重ねられ、完結に至る。このような事情から版により、内容に食い違いが存在する。
――らしいです。
前々から欲しかったが、中々、全五巻が店頭で揃っておらずに買えなかったのだ。
しかし、紀伊国屋書店・新宿本店にあった。買うしかなかった。
「買え、今、スグ」
と、言われているようだった。『家畜人ヤプー』の隣りに『ドグラマグラ』が並んでいる。変態すぎる本棚の並びである。むしろ怖い。
だが、それでいいのだ。私は昔から「変わったもの好き」であって、そんな趣向で手をつけないわけには、いかない。跨いで素通りなどできない。
「ギケイキ 千年の流転」
町田康
『デビュー20周年 超娯楽大作』
「平家、マジでいってこます」
激烈に滑稽。
激烈に悲痛。
千年の時を超え、
怒濤の生涯を語り出す
源義経、誕生!
三島大明神様。走湯権現様。駒形吉祥様。どうか私を大将軍にしてください。私を大将軍にすることなしに再び箱根山を西に越えさせないでください。お願いします。お願いします。
「はは、生まれた瞬間からの逃亡、流浪――千年の時を超え、現代に生きる源義経が、自らの物語を語り出す。古典『義経記』が超絶文体で甦る、激烈に滑稽で悲痛な超娯楽大作、ここに開幕。
「ギケイキ 奈落への飛翔」
町田康『抱腹絶倒の超大河小説』
「私、妊娠してるのよ」
「マジか!」
兄頼朝との対面&対立、
恋人静との逃避行
源義経本人が語る、源氏千年の祈り。古典『義経記』が現代に甦る抱腹絶倒の超大河小説、第二幕。
「ギケイキ 不滅の滅び」
町田康
英雄・源義経が
自ら語る
画期的新訳!
笑いとスピードで
生れかわる
名作大長編。
宿敵平家を滅ぼすも、
鎌倉殿に疎まれた
流浪の主従。
弁慶、忠信、静など、
忠臣たちの運命や
いかに。
お母さん、妾、踊ります――
最高のバンドと最高の歌手は人間の感受性を根底から揺すぶった。
群衆は不安と恍惚を同時に感じながら一体化して揺れた。前後も
なかった。左右もなかった。上下もなかった。貴賤もなかった。全
鎌倉が一斉に発狂していた。群衆は咆吼し、涎を垂らし、白目を剥
いてぶっ倒れた。げらげら笑いながら脇差で自分の腹を突く者。隣
の者とひしと抱き合って腰をスクスクする音。硬直してブルブル震え
る者。多くの者がもはや人間として成立しなくなりかけていた。
(本書第六部480ページより)
「やっば、てめぇらすげーわ。最高の敵だよ」。日本史上、屈指のヒーロー源義経を描いた古典『義経記』を、小説として現代に甦らせた超絶技巧・抱腹絶倒のシリーズ第3弾。
これも前々から欲しかった。満を持して購入したのは、これも紀伊国屋書店・新宿本店で、なんと、1、2巻がハードカバーの単行本があったのだ。
それなりの規模の書店でも、単行本版は3巻のみ、他は文庫本であることがほとんど。それも当然で、それぞれ2016年と2018年初版なので、店頭になくてもオカシクはない。
おそらく、一端、取次業者に戻り、また配本されを繰り返し、断裁処分を逃れて、紀伊国屋書店・新宿本店に三冊存在するに至ったのだ。
運命か、偶然か、何であれアッパレである。
それにしても最終巻はいつ出版されるのか。固唾を呑んで待ちたい。
<月曜、ひとり歌会>
「五・七・五・七・七」「季語はいらない(使用可)」という最低限のルールを守って、楽しく詠っていきたい。
そもそも「言葉を研きたい」などという、下心をもとに詠いはじめたわけだが、なかなか楽しい。どんな効果があるかは、分からないが、そんな野暮なことは胸にしまっておくことにする。
現在【22:34】です。
締切まで約1時間半。もう時間ねぇから、ちょいと囀るわ。
〇時せまり肉薄しても動画見る それでも余裕かます不思議さ
〇くりかえす 怠惰ふくらむ太っ腹 そのうち破裂ココロに亀裂
〇紙香る書をひらいて宵闇が 闖入して寂寞はなつ
〇パラ五輪 賭ける思いは変わらない 変わる認識移ろう人目
〇ひねりだすアイデアすべてくだらない 汚物の中で輝き探す
〇面倒であれこれ言って先送り 大体みんな問題ないね
〇片思い 知りもしないで燃えている 寂しくヒトリ擦る煩悩
〇宝物 秘めてるうちが花ですか 見せびらかして走る快感
〇時を経て忘れた母の声色が 活字になりて刻む言の葉
〇曖昧な態度投げ捨て暴走す 後の祭りで残るモヤモヤ
現在の時刻【23:29】です。
締切まであと30分てとこで、なんとか結びの文章に辿りついている。最低限は推敲しなくてはいけないので、予断は許さない。それでも何処か、余裕をもつ不思議。本番に強いのか、無神経なだけなのか。
そもそも良い出来なのかは、判断しかねる。それは勉強が足りないからか、才能の問題か。
「言葉を研く」
ささくれだらけな、気がしますけど、まだまだ。
だったら、続けるしかないね。
秋を迎えて、益々やる気をだして詠います。
明日からは三日連続でショートショートです。
先週は不作。今週は豊作で、稲穂のように首を垂れたいっす。