HAPPINESS

『宇宙戦艦ヤマト2199』という素晴らしいアニメーション作品の、本編終了後の世界に想いを巡らせているうちに、頭の中で形を成したものが当作品です。
 戦争は、交戦中よりも戦後処理の方が何倍も困難であるといいます。その困難をささやかな一個人である若き戦術長の心情に仮託して書いてみました。
 原作の設定等と異なる点があるとしたら、それは筆者の理解力の乏しさによるものであって、原作への敬意の乏しさによるものではありません。また、筆者の原作に対する距離の取り方から言えば、当作品は二次創作というよりは、箱庭療法に近いかもしれません。
 末筆ながら、映像、ストーリー共に優れたこのアニメーション作品を制作し、世に出して下さったすべての方に心からの感謝と尊敬を捧げます。


 
 ヒヤシンスの香りで目を覚ます。未だ焦点の定まらぬ目で香りを手繰り寄せてゆくと、窓辺の深い藍色にたどり着いた。眠気の靄はすみやかに晴れ、明晰な思考がよみがえってる。昨夜は島と話し込み、帰り損ねた彼と背中合わせで寝てしまった。隣りであるかなきかの寝息を立てている島の顔に視線を移し、古代は昨夜二人の間で交わされた会話を反芻する。
「だけどさ、戦争も終わったことだし、お前も俺もそろそろ結婚して子供作らなくちゃな。二百年以上前の大きな戦争が終わった時も出征していた兵士たちが復員してきた勢いで子供作りまくってベビーブームとやらが起きたっていうぜ」
「お前もか」
「えっ、なに?」
「お前もかって言ったんだよ」
 わずかに声を荒げた古代の目に、島は不快の色を見てとった。
「なに怒ってんだよ」
「怒りたくもなるさ」
 古代は腹を据えて向き直った。
「お前まで”産めよ殖やせよ地に満てよ”なのかって訊いてるんだ」
 罪状認否をする検察官のような口調で古代が問う。そのただならぬ気配に島もいささか気色ばむ。
「当たり前だろ。地球の復興はまだ始まったばかりなんだぜ。人口も増やしていかなくちゃ‥‥」
「本当にその必要はあるのか?復興っていったいなんだ?生態系が回復するだけじゃ駄目なのか?地球上の一種族として謙虚に他の生き物たちと共生してゆける千載一遇のチャンスなのに、また人間の欲望で生態系を破壊し、俺たちが生きていくために欠かすことのできない環境を疲弊させたいのか?」
 島の言葉を遮って迸る古代の疑念の数々に圧倒されながらも、島は古代に反論を試みる。
「待てよ。なに向きになって文明批判してるんだよ。もちろんこれからは他の生き物たちとの間にバランスをとって‥‥」
「無理だ。欲深い人間にそんなことできっこない。ガミラスの攻撃を受けてなくても、遅かれ早かれ人類は滅亡していた。収奪するだけ収奪して地球に見切りをつけた連中の間で生まれたのが『イズモ計画』だったんじゃないか。幸いイスカンダルの好意で生態系を回復させて、やっと一息ついたかと思うと、もうどの国も自国の利益のために無人になった地域に植民してここぞとばかりに領土を拡大することに躍起になっている。ほぼ日本一国で計画と実行を担った『ヤマト計画』にしても、各国は技術の開示を火のように求めてきている。日本政府は重要度の低い情報を小出しにしてお茶を濁しているけどな」
「それはそうだろ。他国が波動砲を持ったりしたら一大事だもんな。地球規模の内線に突入することになる」
「戦争ならすでに始まってるじゃないか。壮絶な情報戦がな」
「真田さんのことか」
「ああ。この前みたいに未遂で済めばいいが、波動エンジンやコスモリバースを製作し稼働させたのは真田さんだ。あの人の頭脳は各国の垂涎の的なんだ。これからも真田さんを拉致しようとする輩は後をたたないだろう」
「だから、かぐや姫を護る兵士さながらに十重二十重の警護が敷かれているんじゃないか」
「でも結局、かぐや姫は天人に連れて行かれた」
「縁起でもないことを言うな」
「縁起でもないのが人間さ。俺たちは地球の復興と人類の存続のために多大な犠牲を払って死に物狂いの航海をしてきたというのに、いざ復興が始まってみると各国のエゴは噴出、まるで世界中の火山が噴火したみたいな騒ぎだ。”喉元過ぎれば熱さを忘れる”というのはこのことさ。
 この頃俺は、ヤマトが出航した頃が懐かしくてならないんだ。限りなくゼロに近いとは言え、あの頃には確かに希望があった」
「希望なら今でもあるじゃないか」
「希望だけじゃない。あの時はみんなが、地球上の人々が一縷の望みをヤマトに託して心を一つにしていた。出航に必要な出力を上げるための電力が世界中から送られてきた。あの時確かに人々の心は一つだった。でも今は違う。未曾有の危機をやっとことで乗り越えたかと思うともうこの有り様だ。人類は少しも賢くならない。”ホモ・サピエンス”が聞いて呆れる。それにお前は結婚して子供をたくさん作れっていうが、その子供を産むのは誰だ?俺たちじゃないよな。今まで共に戦い働いてきた女性たちに向かって、戦争は終わった。女は家に帰れって言うのか?そうしたい女性はそうすればいいさ。でもそれが同調圧力として社会全体に働くようになると、俺は長い歳月をかけて女と男のより良い関係を模索してきた努力が水泡に帰してしまうんじゃないかと思うんだ。」
 言いたいことを言ったのだからそろそろ落ち着くだろうと島は思ったが、古代の表情は険しいままだ。
「人口増やして繁栄しようなんて了見を俺は受け入れたくない。愚かで欲深で小賢しい人類が、存続しつつも地球を丸裸にしないで済むせめてもの方策は『小国寡民』しかない。だから今の”産めよ殖やせよ”とか”国力は人口に比例する”とかのスローガンに共鳴することはできない。子供が欲しくないとかそういうことじゃないんだ。」
 激昂の疲れが出たのか古代は口をつぐんでうつむいた。島は古代の肩を軽く叩いた。
「わかったよ。お前が地球の行末を心配してるのはよくわかったから。俺もちょっと軽口を叩きすぎたかもな」
 古代の言い分に論理的な破綻はないとは思うものの、彼の心情は極端な方向に走り過ぎていると島には思えた。これ以上言葉を重ねてもどちらにも利はないと判断し、島は古代の気持ちを受け容れる体裁をとって話を終わらせようとした。古代もまた島が全面的に自分の考えを受け容れてくれているわけではないことは承知していたが、それ以上言い募るのはやめ、二人のために自らを落ち着かせることを選んだ。

 古代の人類に対する怒りは彼の心に沈潜し、晴やかな笑顔を奪っていった。戦時には勇敢かつ優秀な戦士だが、平時の彼は繊細でメランコリックな青年だった。持って生まれた気質に加え、両親と兄を亡くした癒しがたい悲しみが彼の心を底知れぬ闇へ引きずり込んでゆく。そこへ現状への憂慮も加わって、古代の精神は次第に病んでいった。
 あらゆる欲求が古代から去っていった。イスカンダルへの航海の途上で失った同胞たちを想って涙に暮れるようになり、生き残ったことに罪悪感を覚えて苦しむ。身寄りのない古代を島は郊外の環境の良い病院に入院させた。航海士として出航している間、彼を一人で家に置いておく訳にはいかなかったからだ。古代は島の判断に素直に従った。抵抗を試みる気力も体力もなかったからだ。
 入院して一月近く過ぎた早緑芳しい初夏のある朝、朝食の膳に浅蜊の味噌汁が出た。鬱の深い淵に沈むようになって以来食の進まぬ古代であったが、白味噌仕立ての味噌汁にはわずかながら食指が動いた。貝の身を一つ殻から外してみると、その中には小さな蟹が寄生していた。蟹はオレンジ色の卵をその腹に抱えている。口に含んでそっと噛み締めてみると、貝の味の中に微かながら卵の味も感じる。小さな蟹のさらに小さな卵の味の確かさに古代は驚く。突如、微細な卵の一粒に広大な宇宙が収まっていることに気づき、箸を取り落としそうになった。

 朝の診察で、この日初めて古代は自ら進んで散歩に出ることを主治医に申し出て快諾された。山あり谷あり田畑ありの、ひとつの農村のような病院敷地内の丘に、田舎に似合わぬ雅た香りが漂っている。折しも野茨の花の季節で、どの繁みも真っ白な花を雪のように咲き積もらせていた。
 花の傍らの陽射しに暖められた青草の上に腰を下ろす。その時古代の肘が繁みに触れ、若枝の先の淡い翠の優曇華が揺れた。
 濃やかな香り。
 蜜蜂の翅音。
遠くに揚雲雀の囀りも聞こえる。
 不意に古代は未だかつて経験したことのない感覚に襲われた。発泡酒のように身体が泡立ち、細胞のひとつひとつが金の粒子となって立ち昇ってゆくのだ。古代だけではない。周囲の野茨も蜜蜂も雲雀もありとあらゆるものが、金の粒子となって立ち昇ってゆく。地球人も異星人も善人も悪人も被害者も加害者も、すべてのものが等しく金の粒子となって立ち昇ってゆく。
 山川草木悉皆成仏。
古代の身も心も全き肯定の念に満たされ、心が息を吹き返した。

 病室に戻ると帰港した島が見舞いに来ていた。
「ただいま」
久しぶりの晴やかな笑顔で古代は島を迎える。
「おいおい、『ただいま』はこっちの台詞だろ‥って、お前‥‥‥」
 古代の明るい光を湛えた目に、彼が憂愁の淵から生還したことを島は知った。
「おかえり。そして、ただいま」
 二人はそれぞれの無事の帰還を祝って互いのからだを抱きしめた。

            了
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