息子たちから学んだ「自分で決める」ということの意味。
「ママ、明日市のテストがあるから、はなぽぽは休むな」
4年生の長男があっさりと言った。
毎週火曜日は、「みんなの学び舎♾️はなぽぽ」の活動日。
我が家の小4と小2の息子たちも毎週火曜日は公立の小学校を休んで活動に来ている。
「市のテスト?あれ、単なる学力調査だし、別に受けなくてもいいんじゃない?」
と、元小学校の先生とは思えない発言をする私。
「あんなん、受けんでいいわ。ほんと意味ないわ」
と、現役の小学校の先生とは思えない発言をする夫。笑
すると、長男はハッキリと言う。
「オレは受けたい。だって問題解くのおもしろいもん。それに、もし後日受けるってなったら、休み時間潰れるの絶対嫌だし」
おお。嫌々ではなく、受けたいから受けに行くという前向きな姿勢に感心した。
この流れは、次男も明日の活動はお休みかな?と思い、どうするか聞いてみた。
「ぼくは、絶対はなぽぽに行くよ。テストは他の日に受ける」
次男もハッキリと答えた。迷いがない。
「先生によっては、休み時間潰れるかもしれないけど、それでもいいの?」
そう私が聞くと、
「うん。別にいい。はなぽぽに行く」
おおお。
二人の迷いなき答え方がなんだかとても頼もしく感じた瞬間だった。
小さい頃から、なるべく「自分で決める」という経験をさせようと意識してきた。
大人から見ると、(ちょっとそれは…)と思うような場面でも、人の迷惑にならない範囲なら、自分の価値観を外して「やってみたら?」と言うようにしてきた。
「自分で決める」
ができるようになってくると、
「誰かが自分で決める」
ことを尊重できるようになってきた。
「自分で決める」
ができるようになってくると、
「反対意見を聞いた上でも自分で選ぶ」
ができるようになった。
そんな息子たちだから、
一人ひとりの価値観が真逆でもお互いを面白がれるし、
お互いができるところ、できないところを補い合う関係になっているんだなと思う。
「自分で決める」という力は、
思っている以上にすごい力を持ってるんだな。
息子たちの姿を見せてもらいながら、ふとそんなことを考えた夜だった。