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「 料理に付いての思い…その2」を書こうと思ったけど…ボニさん通信 No.2

ハーイ!ボニさんでーす!!

「 料理に付いての思い…その2」を書こうと思ったんだけど、その前にボニさんのこれまでのことをお話しした方がいいかな~と思ったのて、少し語って見たいと思います。


ボニさんのこれまで…

ボニさんのこれまでどんなことをして、このnoteに辿り着いたのか…を知って貰いましょう。 

ボニさんの最初の仕事は○○だった…?!

ボニさんは料理の世界に入る前は、大手魚屋で(最近は居酒屋もやってる関東ではそれなりに名が知られてる魚屋)数年働いていました。

魚屋の店長や先輩たちは毎日、仕事が終わってお酒を飲むのが楽しみで、駅のキヨスクで買ったワンカップをチビチビ飲んでプハーって言いながら電車に乗り込んで帰る…、ショボイおっさんばかりでした。
そんなおっさんには、なりたくないと日々若い頃のボニさんは思っていたのでした。

そんな風に思いながら、魚屋で働きだしてから5年くらい経った頃です。
ボニさんの働いている店舗に、料理の仕事をしていたことがある、ひと回りほど年上の人が入店してきました。

しばらく一緒に作業していたある日のこと、「ボニくんはずっと魚屋をやっていくの?」と聞かれました。

当時のボニさんは「魚屋しかできることがないですからネ!笑」と思っていた通りの返事をしたのですが、その人は「ボニくんくらい魚をおろしたりすることができるなら、若いんだし料理の仕事をした方がいいんじゃないかな?」と言われました。

その人は続けて「僕の知り合いにマグロ料理の専門店をやりたい人がいて、マグロの目利きができて、上手にマグロをおろすことができる人を探しているんだけど、会ってみない?」と言いました。
この言葉から、ボニさんの人生は料理の世界へと足を踏み入れていくことになるのでありました…。

30年前に沖縄にやってきたボニさん

ボニさんは30年前に沖縄にやってきました。 
それまでは、生まれ育った東京でチェーンの居酒屋で料理の仕事をしていて、そこで調理師の資格を取りました。

東京から沖縄に来た時に、もう調理の仕事はしたくないな~と思ってはいましたが、その当時は家族が居たボニさんには新たな業界にチャレンジするだけの余裕はなく…、生活を守るために沖縄でも調理の仕事をするしかなかったのでした。

しかし、沖縄での調理の仕事は、それまでの飲食サービスではなく、病院や施設や学校などの給食サービスという大量調理にジャンルが変わりました。

東京ではレストランや居酒屋でオーダーが入るたびに1人前か2人前の料理を作っていましたが、沖縄では病院や施設などで50~100人分を、学校では6,000人分を一度に作るんですよ…

同じ調理の仕事とは言っても、そりゃあ、やり方は全然違っていて、目からウロコが落ちまくりでした。

さらに、追い打ちをかけたのが給料の安さでした。

東京で学校を出て働き出して、最初にもらっていた金額と、社会に出て9年くらい経験を積んでから沖縄に来て最初にもらった金額がほぼ同じだったんです。

つまり、東京での初任給=9年経験積んで沖縄に来た給料だったわけなんです。

当時のボニさんは家族もいたのに、ボニさんの東京での9年間は何だったんだろうと思いましたね…はぁ…

それでも家族との生活を守るために、いろいろと考えて努力して来ましたが、あっ!という間の30年でした。波乱万丈、紆余曲折で今に至る訳ですよ…。笑

Adios!

ボニさん通信  No.2



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