猫好きが劇場版『からかい上手の高木さん』を観た感想【ネタバレ有】
※思い切りネタバレが有ります。読むのは自己責任でお願いします。
原作は累計1000万部を突破、アニメは異例の3期まで放送された『からかい上手の高木さん』の劇場版を観た。一部を除き感動した。加点法なら5万点だった。
表向きは「からかう高木さんと、それを回避しようとする西片(にしかた)の張り合い」が物語の軸なのだが、お互いが素直でないだけで実際は「想い合って」おり、TVシリーズ36話で少しずつ距離を縮めてきていた。劇場版ではその着地が描かれている。
1.猫を拾うという王道展開
そんな二人が中3の一学期最後の日、神社で迷い猫を見つける。里親が見つかるまで面倒を見ると決め、夏休みは毎日神社へ。猫と二人のじゃれ合う様子が大原ゆい子さんの挿入歌をバックにダイジェストで描かれる。
このシーンがベタなのにとても良い。個人的には映画で一番のシーンとさえ言いたい。そもそも「猫(動物)を拾う」という展開自体がやり尽くされた王道パターンなわけだが、“神視点”の視聴者からすれば、いずれ別れの時が来ると察しているわけである。だからこそ限られた猫との楽しい時間が尊いと思えるのだ。
2.あの「猫との別れ」の是非
予想通り、猫との別れは訪れた。その後、夕日と海をバックにした帰り道、泣きながら俯いて歩く高木さんに「幸せにする」と西片。哀傷を経ての告白の流れはとても良かった。これ以上ないベストなタイミングだったと思う。私はこのシーンで一番感動した……と書きたかった。
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私は猫が大好きである。小学校時代から生活は飼い猫と共にあった。離れた今でも時折猫カフェに行っては癒されている。
そんな私だからこそ言いたいことがある。
別れ方はあれで良かったのか。
高木さんが親の了承を経て自宅で飼おうとした矢先、神社に猫が居ない。二人で懸命に探した末、発見する。見知らぬ子どもの手に抱かれた状態で。
二人の子どもは「死別した猫とそっくりだから飼いたい」(意訳)と母親にせがむ。西片が説得しようと親子の元へ向かおうとするのを高木さんは止めた。別れの言葉すらかけられなかった。
もちろん子どもの気持ちを考えれば、それを止めてまで高木さんが飼うのが最適解とも思えない。ただ、高木さんと西片が何日もかけて育て、大雨の日も必死に守り通した猫である。積み上げたものをぶっ壊された全力少年の気分に私はなっている。花が好きだからハナという二人で付けたこれ以上ない名前もあっさり消滅、別の名前としてぽっと出の親子に育てられるのである。
親子側の「死別した猫」というのは、そこに至るまでの積み重ねの描写が皆無で、感情移入できないのである。それに加え「その猫が天国から帰って来た」という少しオカルト成分の入った理由で飼うことにしたのである。
大原さんの歌をバックにした高木さん・西片・ハナのシーンを見た後にあの子どもたちを見て、視聴者は納得できるだろうか。ましてや高木さんが責任を持って飼おうと決意した矢先にである。
確かに猫との別れがいずれ来ることは予想出来たし、それが西片の告白にも繋がったから結果オーライという見方ももちろん出来るが、別れを納得できる理由もセットでしっかり描くべきだったと私は思っている。
3.「死」を取り扱った是非
そしてもう一つ、作中で「動物の死」が言及されたことについて。
あの親子が過去に飼っていた猫は確実に天国へ旅立っている。創作で「死」を安易に取り扱うべきではないというのが私の持論である。極端な例だが『100日後に死ぬワニ』のように、死を取り扱うことで「生きる」ことの大切さを考えさせられるような物語なら良いのだが、今作はそんな感じにもなっていない。
単純に「飼い主が見つかったから引き渡した」ならベタでも納得は出来たのに、それではいけなかったのか。「飼い主が見つかった」と「里親が見つかった」では似ているようで全く違う。
4.ED後で救われたので良かった
猫が好きだからこそ否定的な話が多くなってしまったのは申し訳ないが、ちゃんとラストには「救い」があったので、冒頭でも述べた通り「加点法なら5万点」である。そこは誤解しないでいただきたい。高木さんと西片は結婚して子供も生まれ、その頃には猫も飼っている様子がED後で描かれている。あの時に叶わなかったことをちゃんと果たしているのだ。
中学三年生というのは卒業後の進路に対する期待と不安、そしてクラスメイトとの別れが近づいている哀しみが入り混じる複雑な時期で、その「最後の夏のノスタルジー」を映画全体を通してサブキャラも交えて上手く表現されている。あの頃の自分を思い出せるだけでも一見の価値はある。
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