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俺の読書感想文発表会【蹴りたい背中】
芋子「『俺の読書感想文発表会』!!」
部長・副部長「イエイ!(拍手)」
小野「いいよもう……夏休みくらいゆっくりさせてくれよ」
芋子「『俺のベストデート発表会』に続く『俺の発表会』シリーズ第2弾です。夏休みの宿題の定番『読書感想文』を適当に済ませようとする学生たちに喝を入れるべく、私たち文芸部がお手本を見せようではありませんか」
小野「俺、感想文書くの大の苦手なの知っているよね」
部長(♂)「学生諸君、本のあらすじだけで9割くらい長々と書いて文字数を稼ごうとしていないかい? それだと読書感想文じゃなくて『読書紹介文』だよね?」
副部長(♀)「まあ、宿題なんて期限内に提出することが大前提で、提出さえすれば内容について何も言及しない先生も先生なんですけどね」
小野「君たちさあ、御託を並べる前に書けよ。何でいつも俺だけしかやらないんだよ」
芋子「というわけで今回の挑戦者も小野先輩です。テーマは『同級生と差をつける読書感想文』。先生はクラスの30人だか40人の文章を全部読まなければならないわけで、その中でも一際目立つ、印象に残る文章を目指してもらいます」
部長「文字数は、中学生が書く場合の一般的な文字数とされる2,000字以内とする」
副部長「選定図書は自由にしましたけど、綿矢りささんの『蹴りたい背中』(2003年)を選んだ理由は?」
(※累計発行部数150万部以上、第130回芥川賞を史上最年少の19歳で受賞したことで話題になった作品)
小野「まず本選びから戦いは始まっているわけよ。蹴りたい背中は有名な著書かつページ数が少ない(約140頁)のがポイントかな。先生も知っている作品のほうがイメージ沸きやすいだろうし、何より早めに読み終わってその分書くほうにリソースを割きたかった。
芋子「それでは早速、読んでみましょう。あ、当然ですが盛大なネタバレがありますのでご注意下さい」
綿矢りさ著『蹴りたい背中』を読んで
創作小説に“救い”が必要であると気付いたのは、つい最近のことだ。もっと詳しく書くと、起承転結の“転”で絶望のどん底へ突き落とした主人公に“救いの光”を当てることで読後感はぐっと良くなる。しかしそれは、僕みたいな創作初心者にとっては安心安全な構成手法というだけで、あえて外す、つまり“救いの無いまま締める”ほうが格好良いとも思うのである。
『蹴りたい背中』は正に“救いの無いまま締めた”作品であり、一言で表すなら“リアルな虚構”。それでもしっかり面白かったのだから尚更格好良い。
高校1年の理科の実験。5人の班を作ることになり、長谷川初実(ハツ)と蜷川智(にな川)の二人のみがハブられ、先生の指示で女子3人のグループに入らされる。しかしにな川はぼっちの悲痛を微塵も感じることなく、女性ファッション雑誌の佐々木オリビア(オリチャン)に興味津々。そのオリチャンに会ったことがあると言うハツを自宅に誘い情報を聞き出そうとする。
ハツとにな川が物語の軸となるのだが、二人が距離を少しずつ縮めていき、最終的に結ばれる……という救いは無いのである。何故ならにな川の矢印は終始オリチャンにしか向いていないから。一方でハツはにな川に恋心を抱いており、ただ本人がそれを恋だと気付いていないだけ。僕はそう解釈している。
本人が気付かない理由は、にな川に対し“かわいそうになれ”“いためつけたい”“蹴りたい”等と負の感情ばかり抱いていることにある。ここで本作最大の見せ場であるタイトル回収シーンの考察に入る。にな川の自宅でハツは“オリチャンの疑似ヌード写真(彼女の顔に別の少女の裸体をセロテープで繋ぎ合わせたもの)”を発見し、背中に悪寒が走る。一方のにな川はオリチャンのラジオを夢中で聴いている。
>この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。痛がるにな川を見たい。いきなり咲いたまっさらな欲望は、閃光のようで、一瞬目が眩んだ。
>瞬間、足の裏に、背骨の確かな感触があった。
何故ハツはにな川の背中を蹴ったのか。このシーンの解釈は複数あると言われているが、僕は単純に“嫉妬”だと思う。オリチャンに対する嫉妬。にな川がオリチャンに夢中であるように、ハツもにな川に夢中になってしまったのだ。
“女子が男子を蹴る”から真っ先に連想した作品は『四月は君の嘘』である。幼馴染の有馬公生に片想い中の澤部椿が、宮園かをりのことばかり考え椿の想いに全く気付きもしない公生に思い切り蹴りを入れ「ばーかばーか」と叫んで逃げるシーンがある。「そりゃ蹴りたくもなるよ」が僕の率直な感想だった。ハツも同じだと思う。本人に自覚は無いが、嫉妬心から蹴りたくなったのだろう。
では、この二人が結ばれることは永遠に無いのだろうか。実は、救いこそ無いが、ラストにほんの少しだけ“救いへの希望”を残しているのだ。にな川のオリチャンに対する想いはガチ恋、疑似恋愛のレベルにまで達していたのだが、彼女のライヴをハツ・小倉絹代と3人で観に行き、現実に引き戻されたかのようなシーンがある。
>「オリチャンに近づいていったあの時に、おれ、あの人を今までで一番遠くに感じた」
初めて生で見た実物が、想像と乖離していた。現実を知り、現実に引き戻され、それでも現実を生きねばならないと知る。その先にハツの存在が、彼女の好意があることを、ラストの無気力な朝にベランダで寝転ぶ無表情のにな川であれば、あるいは気付けるかもしれない。救いこそ無いが希望のラストだと、少なくとも僕は感じた。
そしてハツは絹代にも嫉妬していた。それは純粋な友情から来るものだった。絹代と二人きりでいたいハツと、レベルの低いグループを優先する絹代。中学時代に親密だった二人の間には微妙な壁が出来ていた。それが、にな川に誘われたオリチャンのライヴ会場やその後のにな川宅にて、二人きりで話すチャンスが何度も生まれたのである。これを機にかつての関係を取り戻す……そんな救いもまた無いのである。
>「あー、今日のこと、早くみんなに話したいなあ。」
>暗闇の中に絹代の言葉が浮いて、ぼうっと光る。みんな。そうか、今こんなに近くで話しているというのに、絹代にとっての世界は、私やにな川ではなく、彼女のグループの“みんな”なんだ。
こちらは救いどころか希望さえも皆無の結末。その陰湿さが女子の人間関係のリアルでもある。
ハツ×にな川もハツ×絹代も、良い意味で後味悪い“リアルな虚構”だった。青春のキラキラは一切無いが、それを知る前の、恋心や嫉妬心を自覚すら出来ないフェーズの初心な男女のリアルな物語。高校1年の夏という時期も絶妙な設定であり、まだ時間は2年半も残されているのだ。恋を知り、青春を思う存分味わって欲しいと、未来の二人に淡い期待を抱く。
(1941字)
***
芋子「さあ小野先輩、書いてみての感想は?」
小野「すげえ難しかった。解釈の難しい作品を選んでしまったから相当悩んだね。だから最初にXで140字の短評を書いてみて、それをもとに2,000字に膨らませて何とか仕上げた感じかな」
#綿矢りさ 著 #蹴りたい背中
— 当方128 (@128Sand) August 7, 2024
変化球かつリアルな純愛・友情物語と解釈。にな川の背中を蹴ったハツの心情は本人に自覚無いだけで単純にオリチャンへの嫉妬では?
そしてハツは絹代にも嫉妬している。それは純粋な友情なのに、絹代の心はそうでもない陰湿さ。良い意味で後味悪い“リアルな虚構”を見た。 pic.twitter.com/Khcs80CvBw
芋子「それでは小野先輩の読書感想文をS・A・B・C・Dの5段階で一斉に評価しましょう」
小野「え? 前回そんなの無かったよね」
芋子「せーの、ドン」
芋子:C 部長:C 副部長:C
小野「ホラ、こうなると思ったよ!」
部長「せっかく先生も知っているであろうメジャー作品にしたのに、『四月は君の嘘』という他作品を出して分かりづらくしちゃったのは勿体ないかな」
小野「いや『四月』も有名だろ!」
芋子「私は知らないですね。椿とか公生とか誰やねんってなりました」
副部長「そもそも略すなら『四月』じゃなくて『君嘘』でしょ」
小野「そういう副部長は何でCなのさ」
副部長「“作品”の感想でしか無いんですよ。当時まだ19歳だった“作者”に一切触れないのも勿体ないですよね。早稲田大学在学中に『夜通し小説を書いて、そのまま朝学校に来る』生活をしていたとか、少し調べれば分かる情報すら書いていない」
部長「せめて『未成年だからこそ書ける学生のリアル』くらいは書いたほうが良かったのでは?」
小野「じゃあ芋子は?」
芋子「あ、私の場合、読書感想文は長濱ねるさんがこの世で一番上手いと思っているので、彼女の足元にも及んでいなければそりゃCですよ」
【参考】長濱ねるさんの書いた読書感想文(一部抜粋)
トラペジウム、水のようだった。清く澄んだ混じりけのない水だ。誤解を恐れずに言うと、気取らず美しく“飲みやすい”。作者の人となり、記憶、出会ったもの見てきたものをたっぷりと含みながら山を下ってきた雪解け水のようだった。純度の高い水はとてもとても美味しい。読み終えたときに思わず、おかわり!と手を上げてしまう私がいた。
小野「これ何回引用するのよ? 俺も『蹴りたい背中、水のようだった』とか書けば良いのか?」
芋子「そうです」
部長「最後に中学生の皆様へ一言どうぞ」
小野「夏休みは他の宿題もたくさんあるから読書感想文にまでリソース割いていられないと思っている人も多いかもしれないけど、むしろ読書感想文こそ本気で取り組んで欲しいと俺は思うんだ。今から文章力を磨く訓練をしておいて損は無いし、文章が上手くなれば将来必ず役に立つ時が来る。
人間は脆くて弱い生き物で、いつ闇落ちするか分からない。そうなった時にSOSを出す最後の手段は“執筆”なのよ。noteでもブログでも良いけど、普段からSNSに上手い文章を書いていれば自ずとファンも付いてくるし、いざという時に彼等はきっと助けたり見守ってくれる。実際にそういう人を何人も見てきた。
いつだって話し上手が得をする世界で、コミュ力一辺倒で陽キャに支配された現代社会に文章を書く能力なんて必要ないのかもしれない。でも俺はそうは思いたくない。陰キャだって文章を書くことで輝ける。執筆は全ての困っている人を助けるツールであって欲しい」