「自分は頑張っている」問題
人事異動による闇落ちが順調に進んでいる。
今日は異動先の店舗に電話し、面識のない店長に挨拶した。
「4月からよろしくお願いします」程度の軽い挨拶だ。
それで終わるかと思いきや、
「やる気あるの?」「うちは厳しいから」「ちゃんとしないとそれなりの評価させてもらうから」「話はいろいろ聞いているけど、まあ知らんけど」
始まる前から怒られているという。
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私がnoteで自分の話や仕事の話をあまりしてこなかったので、読んでいる方は意味が分からないと思う。
とりあえず今言えるのは、少なくとも今の私の評価が良くないことは確かということだ。
マイナスの評価をされる度に思うのは「自分はこんなに頑張っているのに」という反抗心。
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社会には『自分は頑張っている問題』というのがある。
「自分は頑張っている」と思うことは、メンタルを維持する為に必要なことである一方で、(あえて厳しい言い方をすれば)客観的には何の意味もないという問題である。
基本的に仕事をしている人は皆、主観では「頑張っている」。
しかし、評価をする上でのポイントは「客観的に見て貴方が頑張っているように見えるか」なのだ。
これは色々な言い換えが出来る。
「自分の努力が相手に伝わっているかどうか」と言い換えられるし、
「単純に目に見える成果を上げているかどうか」でもある。
あるいは「相手に良く思われるように上手くやっている」だけの人もいる。
俗に言う「世渡り上手」「ずる賢い」である。
それでも「自分の努力が相手に伝わらない不器用な人」よりは何倍も評価されている。
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社会が理不尽と無慈悲に満ちているのは、こういう仕組みだからである。
かつて一世を風靡した歌姫・浜崎あゆみさんは、こう言った。
「人間は分かり合えない生き物である」
結局のところ、自分のことを理解してくれるのは自分しかいない。
語弊を恐れずに言うと、家族も友人も恋人も、貴方のことを100%理解することは難しいと思う。双子は知らないけど。
もちろん80~90%くらいは理解してもらっている可能性はある。
ただ、残りの10~20%の部分に「一番理解してほしい肝心なところ」が隠されているような気がするのだ。
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だから私は、良く鏡を見る。
そこに映る顔を見て「貴方は頑張っている」と褒める。
年を取ればとるほど誰も褒めてくれなくなる。
だから、自分自身を褒めることはとても大事である。
この世に私みたいなアラフォーがこれ以上増産されないことを祈るばかりである。