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【7/1~7/6の週記】映画「ルックバック」感想 描かずにはいられない人たち

・ようやく、というべきか今更というべきか、にじGTAロスっぽい気分に襲われている。未だに見てない、見たい場面は沢山あるけれど、やはりそれらは過去に起こったことで、今後更新されることはないのであるなあ、という気持ち。そしてぜんぜん関係ない別のゲーム配信をボンヤリ見ながら「あの駆け抜けるような日々は終わったんだなあ」と実感するなどしていた。

・たんに期間中ずっと追ってた分の疲れが遅れて出たともいう。普段から大した仕事はしてないが、今週はとりわけ仕事中ボケっとしかしてなかった。んで毎日定時で帰った。(何なら勤務時間中にnote書いてたし)(それでも誰にも何にも言われないこの会社は大丈夫なんだろうか)

・何度でも言うけどまたやってほしいよね。にじさんじは人が多すぎる多すぎると一生言われ続けていて、それでもこれでもかと増やし続けてきた。その理由はにじGTAをやるためだったと言っても過言ではないのではないか、いや、にじGTAが生まれたことでここまで規模を大きくしたことへの理由がようやく生まれたのだ、とまで言いたい。

・GTAのみならず、にじさんじの本領は#にじGTAのような「劇場型メタバース企画」にあるのではなかろうか。運営さん、よろしくお願いします。

映画「ルックバック」

・で、ルックバック観てきた。いやー、チェンソーマンの藤本タツキ原作ということで期待して見に行ったけど、久々に手放しで、「これ最高だからみんな見て!!!」って映画でした。短いけど、私はどっちかというとジッとしているの苦手な人なので、こんくらいの長さがちょうどいい。


・以下ネタバレしかないので注意。



「ルックバック」あらすじ
小学五年生の藤野は、運動神経もよく学級新聞に載せているマンガも上手いクラスの人気者として慢心していたが、引きこもりの京本の絵が同じ学級新聞に載ったことで、自分より絵が上手い人間がいることを思い知る。それから絵の上達のため努力するが、その情熱はむしろ周囲を引かせてしまい、家族や友達に心配されるまでいたって、六年生半ばには漫画を描くのをやめてしまう。
小学校の卒業式、藤野は卒業証書を届けて欲しいと依頼されて京本宅に行く。物音に誘われて家に入った藤野は、懐かしい四コマ漫画用紙を見つけ、戯れに京本の引きこもりを揶揄する漫画を描く。と、手からすり抜けた紙が京本の部屋に滑り込み、それが藤野の描いたものだと見抜いた京本が部屋から出てきて二人は出会う。京本は学級新聞の藤野のマンガのファンだったのだ。言われるがままに京本のドテラの背中にサインをした藤野は、初めて絵に関する努力を認められたことに踊りだしたいような気分になりながら家に帰る。
それから一緒に漫画を描くようになった二人。ネームとキャラを藤野、背景を京本が担当のもと朝も晩も描き続け、完成させた短編は賞を獲る。親友となった二人は大喜びだったが、京本はある決意を固めていた。ついに編集から週刊連載を持ちかけられるにあたって、京本は「自分はひとりで美大に行きたい」と明かす。引きこもりには無理だと藤野は反対したが決意は固く、京本は美大へ行き、藤野は代わりにアシスタントを雇って週刊連載に取り組むことになる。
藤野の描く漫画は週刊連載特有のアンケートハガキの波に揉まれながらも徐々に羽ばたいていき、ついにはアニメ化という一つの到達点に達する。私生活は豊かながらも忙しく、上手いアシスタントの確保にも苦労する日々の中で、藤野の耳に「美大に不審者が侵入し、生徒を殺傷した」というニュースが飛び込んでくる。果たして死者の一人はあの京本だった。
休載して京本を弔った藤野は京本の部屋の前で、かつて自分がここで書いた引きこもりを揶揄する四コマを見つける。これを描かなければ京本は死ななかったのに、との後悔からばらばらに引き裂かれた四コマは、一コマ目「部屋から出るな」という部分のみが風に煽られて京本のドアの隙間に吸い込まれていく――。
――そして場面は数年前、小学校の卒業式の日に戻る。そこに先ほどの「部屋から出るな」とのメッセージが舞い込み、同じタイミングで訪問してきた藤野に困惑して京本は息を殺す。藤野は物音に誘われることなく出ていき、二人が出会うことはなかった。
時は過ぎ、やはり美大に入った京本は、構内で通り魔に襲われる。あわやというところでキック一閃撃退したのは、空手少女として成長していた藤野であった。互いに学級新聞を描いていた同士だと気づき、京本はなぜ漫画を描くのをやめてしまったのかと尋ねる。藤野は答える。「最近また描き始めたんだ!」。
尊敬する人は漫画をやめていなかった――家に帰った京本は四コマを、かつての藤野の作風を真似て描く。キックで通り魔を撃退した藤野の背中に通り魔の武器が刺さっていて、「背中を見て!」というギャグ漫画だった。風に煽られた小さな紙はまたドアの隙間に吸い込まれ――
――人気漫画家になった方の藤野のもとに戻ってくる。その四コマ漫画を読んで京本の部屋に入った藤野が見たのは、彼女が自分の連載を応援してくれていたらしい様子と、飾られている自分のサイン――かつて京本のドテラの「背中」にでかでかと大書した――だった。
仕事場に戻った藤野は机の前にセロテープでその四コマを貼ると、またもくもくと漫画を描き続けるのであった。

・もうあらすじ書いてて泣きそうだもんね。ラストが良い、良すぎる……。京本が生きているのはあくまでIFの世界であって、その世界で書いた「背中を見て」という四コマが実在したのかはわからない。あるいはIF世界なんて本当は無くて藤野の妄想に過ぎず、あの四コマは昔なにかのきっかけで描いた京本の下手な四コマが風に煽られてきただけなのかもしれない。だけれども、たった一枚の小さな紙片を藤野は心の支えとして、これからもずっと漫画を描き続けるのだろう。

・全てのクリエイターに刺さる、みたいなことを言うと、私自身をクリエイターとしてカウントしているようで烏滸がましいが、しかしむしろ私のようなアマチュアの創作者だからこそ、藤野というキャラクターの感情の描かれ方がほんとうにリアルに感じられる。最初藤野は才能だけで4コマを書いていて、それを褒められるのは「嬉しいけどまあ自分なら当然!」というような軽い感情だった。しかしそれから本気で絵に取り組むようになり、本気で本気で本気で描いた結果、かえって世間からは認められなくなってしまう。それで藤野は漫画を辞めてしまうのだが、ついに京本という理解者に出会うのだ。ずっと藤野のマンガのファンで、しかも「五年生の途中からどんどん上手くなった」ことに気づいてくれてすらいる、「分かってる」ファンについに会えたのだ。これが嬉しくないわけがない。

・藤野はその場では淡々と受け答えし、淡々とサインをして帰る。が、その後表情は無表情のまま、無意味にスキップをしたり走りだしたり水たまりを跳ねさせたりしながら家に帰る。そしてびしょぬれになった体をろくに拭きもせずにマンガを描き始めるのだ。このあたりの描き方、本当に最高だったねえ。

・そして二人でマンガを描く日々。二人にとってはいちばん幸せな日々だったろう。漫画賞の賞金が入って、二人で手をつないで遊びに行って――。
正直この時点では、死亡フラグが立っているのはむしろ藤野の方だと思っていて「死んでくれるなよ」とハラハラしながら観ていた。元ひきこもりで、漫画を描くようになって、でも主体性はなくて背景ばかりを描いていた京本が、藤野というヒーローを亡くしてどうするのか、みたいのもいかにもありそうじゃん。

・だから京本が死んだのには本当に驚いたし、その後の四コマ交換(ドアの隙間で)の展開はほんとに天才かと思った。天才ですよ。ラスト、スタッフロールが流れる中描き続ける藤野の姿に涙が止まらなかった。

・最後に。現実か非現実か、京本が死なないで済むIFの方の世界線で好きなシーン。京本が藤野に助けられた後、前の世界線でも言ったことのある質問をする。「なぜ六年生の途中から描くのをやめてしまったのか?」

・この質問に藤野はニカっと笑って「最近また描き始めた」とさわやかに返す。これを聞いて京本が嬉しく思ったのは当然として、私という個人も同じように嬉しく感じた。どの世界線でも藤野は京本のヒーローだし、「漫画を描く人」になるんだね。卒業式の日に京本に褒められたから漫画家になったんじゃなくて、もとから漫画を描く人だった。だから京本がいなくなっても藤野は描き続ける。

・「漫画を描くのは大変だし、読むだけにしておいたほうがいい」と言いながら藤野がなぜ漫画を描くのか。その理由は語られないけれど、たぶん「理由がなくても描かずにはいられない」っていう人が、世の中にはたくさんいるのだと思う。


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