妻の想い出の料理「エビもやし炒め」と終戦記念日の「スイトン」
妻は板橋の生まれですが
中学生の頃は福生市に
転居していました。
生活はとても苦しく、義母は横田基地の米軍家庭にメイドとして働いていました。
メイドを雇えるのは横田基地でも幹部クラスだけのようです。
義母はかなり英会話にも精通していたと聞きました。
そうでなければ、米軍家庭のメイドは勤まりませんね。
妻が社交会にデビューしたのは、その米軍家庭のホームパーティーです。
とにかく米国人はパーティー好きで、何かしらパーティーを開催します。
ある日のこと、メイドである義母も子連れでパーティーに招待されました。
義姉は家庭の家事があるため出席できず、次女である妻が
出席しました。
義母は着物着付け師範の資格を有し、和服はある程度子ども用も持っていました。
義母は精一杯のお洒落、古来から高貴とされる「紫」の着物を着付けました。
それを着て、パーティーに出席したところ、感嘆の声と共に、絶大な拍手で迎えられました。
春香中学生の華々しい社交会デビューです。
義母は米軍家庭で料理を担当していた関係上、帰りが遅くなり、普段の料理は姉まかせなので、妻は「母親の味」を知りません。
たまに義母が家庭料理を振る舞ったのが、エビに片栗粉をまぶし油で揚げ、もやしを炒めて合わせ、味付けは塩胡椒のみという、極めてシンプルなものですが、当時からエビは貴重品で、唯一の贅沢料理だったのでしょう。
結婚してからも、妻はことある毎にエビもやし炒めを作りました。
義母の当時の生活を懐かしむように。
もうすぐ終戦記念日ですね。
義母は終戦記念日には
当時の苦労を思い、また
平和を願い、必ず「スイトン」を作りました。
黙祷してスイトンを頂きました。
その習慣も、妻は受け継ぎました。
しかし、妻の作るスイトンは年々豪華になり、鶏ガラスープに野菜や肉もたっぷり。
義母は嘆いたものです。
「うちらの頃は醤油出汁にメリケン粉の団子だけだったよ、こんなのスイトンじゃないよ。」
妻は反論しました。
「平和だからスイトンも豪華に出来るのよ。」
義母は納得したようです。
その義母も来月で3回忌を迎えます。
2019年8月12日
秋月 かく