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映画「1ST KISS / ファーストキス」感想
ファーストキス、観てきました。
良い映画を観た後は、映画の主人公になった気分で街中を闊歩してしまうのは、私だけだろうか。なんだあの全知全能感は。私はなんでもできる!なんにでもなれる!だってこの映画を観たのだから、この映画を良いと思える人間なのだから!!というあの気持ち、あの調子で普段から過ごせたら強く生きていけるのに。
何回も見返すほど大豆田とわ子が大好きで、且つ松村推しの私は観ないわけにはいかないのです。
(カルテット、Mother、花束などは観ました。怪物をまだ観れていないのが悔しい。)
毎度作品を観るたびに坂本裕二になりたいと思う。
どうしたら、そんな構成になるのか。どうしたら、そのような最後に繋げることができるのか。どうしたら、みんなに伝わる言い回しや例えを適切な場所におけるのか。
清少納言とステーションワゴン
クリエイターでもなんでもないのに、物語を作ることができる人に憧れるのだ。0→1信仰が強すぎる節があるので、自分自身もこれに苦しめられる時がある。
絶対にやめた方がいいが、坂本裕二になりたいと思う気持ちは間違っていないと思う。
ネタバレ有り!!
簡単にいってしまえば、松さん演じる妻カンナが、松村氏演じる夫カケルの事故死を防ぐために、本来2人が出会うはずの何時間か前に、何度も過去にタイムスリップして未来を変えるべく試行錯誤する物語である。
タイムスリップの仕方とかなぜか何回も戻れちゃうとか、なぜか法に触れない、変わったはずの未来の設定がどこか変、過去と現在のカンナが近づいた時の設定が脆いみたいなそういうタイムスリップの設定のあやふやさみたいなものは正直どうでもよくて、そういうことが気になる人はあらかじめ区切りをつけると観やすくなると思う。
何度も戻る中で築かれるものやどうしてもうまくいかない理由がどこにあるのかなど、もっと2人の関係性や心情にピントを合わせて観るような作品だと思う。
私が特に心に残っているのは、あんなにカンナが試行錯誤するのにやっぱりカケルは15年後に事故死するということだ。
私は単純なタイプなので、どこかで防ぐ術があって、何十年後も一緒に…みたいに思ってしまっていた。
そんなわけなかった。
だって、坂本裕二じゃん。
私の大好きな大豆田とわ子は、正式には「大豆田とわ子と3人の元夫」というタイトルだ。カルテットだって花束だって、離婚や失恋の続きを生きていく人物ばかりだ。
これは、大島育宙さんが言ってらした内容なので私が気がついたわけではないが、「そうですよね!!さすが坂元裕二!!」と納得しながら観ていた理由を説明してくれる解説だった。
カケルは、15年後に事故死するから過去の私(カンナ)と出会うべきじゃないと現在(カケルからしたら未来)のカンナ言われても、その後カンナと出会うことを選択し、15年後に事故死を遂げる。
「その限られた15年を大切に生きること」が2人がたどり着く先だった。
そして、カケルがいなくなってもカンナの人生は続く。
くうう!!!文字面が最悪にダサいが、心の中でそう思った。
カンナの生活が続くという重要な部分は最初と最後の餃子で表現されている。(と思っている)着払いだった餃子が最後には受け取りだけになっていること、亡くなるとわかっている当日に届くことにしているカンナのためのトースター。
もちろん松さんと松村さんもすごい。何、あのしっくり感。
二人が恋仲になることへの納得感が最初からある。何回やり直しても夫婦になるだろうという空気感、理由のない納得があるし、それが物語の展開や設定を納得させてくれる。
松さんの坂元ゼリフがしっくり来ることはもちろんのこと、松村氏の坂元ゼリフがしっくりくるのは今回で証明されたと思う。
カケルは古生物研究者でどこかロマンチックでオタク気質だが、そのキャラクターが松村氏に最高にピッタリだった。自分が好きなことになると言葉が流暢になって早口でまくしたててしまう姿がラジオでエピソードトークをしている時の松村北斗を感じさせる。
松村のラジオでのエピソードトークでSixTONESのファンになった私からすると、この姿は最高なのだ。
そのカケルのロマンチストな部分が、タイムスリップしてきたカンナへの受け入れの速さややっぱり人を救って亡くなることを選ぶという物語への納得感を与える部分でもある。
物語と演者どちらもなくてはならない組み合わせだったと思う。
松さんのバラエティ番組などでみる姿とカンナの行動力みたいな部分のしっくり感がすごい。松さんのファンでもあるんだと思う。すきです。
情景でいうと印象的な部分は、自分(カンナ)と出会わなければ良いと思いついて赤いリボンを切って、最後のタイムスリップをするために家をでる場面が一番。
今まで思いついたらすぐにタイムスリップへと行動を起こしていたのに、最後の一回しかチャンスがなく、且つもうこの家すなわち、カケルとの思い出は次の未来には無くなっているかもと思って立ち止まるシーン。(私の解釈)引きでのカメラと動きが忙しなかったのにパッとゆっくりになる全体のスピードの変化、決して珍しくない感情だと思うがやっぱり印象的だった。
ちなみになぜ未来を知っていてカケルがそれに従って死んでいくのかという疑問が残るかもしれないが、私としてはカケルが人助けで死んでいくことにどこかかっこよさを感じる人間だからじゃないかと思っている。そして、離婚したくないという強い意志、そいういうロマンチストな部分があるから、やっぱり最後も人助けをして死んでいく、そしてカンナと最高の15年を過ごすことに最大注力したのではないかと思う。赤ちゃんも自分も生き抜くほうへ力を入れなかったのはそういうことなのではと思っている。
単純に設定ガバガバじゃんまたは、タイムスリップものの暗黙のルールがあるというのもあるかもしれないが、注目すべきはこの過程を経て、2人がどこへ行き着くのかである。
15年を大切に生き、生死の別れを遂げる。カンナはカケルとの生活の後も生き続ける。ここに何が詰まっているのか。
書けば書くほど大島さんの解説に近づいていくので悔しいが、ほんとにそう思ったからしょうがない。
もう一回観たい。もう一回あの満ちた気持ちを味わいたい。