女の子たちが秋にまとう香りを覚えているかい?
ふと、村上春樹の小説を読み返していたら、こんな場面があった。
ジョン・アップダイク。
良い描写。
知りたい。
何という小説なのか、ページの外のこちらには知りようもないけれども、文章の雰囲気だけでも知りたかったので、調べてみた。
(なお、その描写は確かに存在しているものとする。)
検索をかけたが、それらしい情報は見つけられなかった。
英単語の方で検索をかけて、出てきた小説が、こちら。
“In Football Season” by John Updike (1962).
“Do you remember a fragrance girls acquire in autumn?”
“女の子たちが秋にまとう香りを覚えているかい?” という出だしで始まるこの短篇は、かなり「あたり」ではあるまいか。
各所で引用されている最初の段落を(ちょっと長いが)見てみる。
“女の子たちが秋にまとう香りを覚えているかい?
放課後、女の子たちと並んで歩く時、女の子たちはぎゅっと本を抱きしめて、話に聞き入ってくれてうつむく、そのひそかな曲線からなる三日月が、澄んだ空気を切り抜いて、そうして出来上がった小さな親密な空間には、複雑な香りがある——煙草、白粉、口紅、洗ったばかりの髪が織りなす複雑な香り、さらに、嗅いだ気になっているだけかもしれないけど、確かに捉えどころのない匂い、ウールの、そのジャケットの下襟からでも、セーターのふわふわの毛羽からでもいい、まるで、虚ろなる青い鐘のように澄みわたる秋の空が、万物の喜ばしい息吹を抱き寄せる時にウールが放つような、その匂いもする。
枯葉の中を歩く午後には、あまりにも微かで思わせぶりなこの香りは、街でフットボールの試合がある金曜の夜には、スタジアムの暗い斜面で、一千層にも積み重なって香る。”
しろうとの努力なので誤訳の恐れもあるが、機械翻訳よりはましである。
20世紀半ば頃のアメリカの、美しい秋の思い出である。
今とは「煙草」の扱いが違う。当時は、喫煙率が非常に高い。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の中のリック・ダルトンのように、ヒーローは煙草を吸うものと決まっていたし、ローレン・バコールのようなクールな美女が、映画の中で優雅に煙草を吸っていた。少女の喫煙経験率も高かったが、少年の喫煙経験率はそれ以上に高かった。ここに出てくる少女たちが、背伸びして喫煙していたとしてもいなかったとしても、教師や家族や周りの人間が、煙草を吸っているのである。
とはいえ、細部を鮮やかに描く文章のフェティシスティックな印象(女性の体の部位とあらゆる物が同列であるかのように描かれている印象)から推察するに、ここの「煙草」は、「口紅」同様、少女の唇に関わる背伸びのアイテムなのだろう。色々な理由から喫煙率が下がるのは、その後の時代のことである。その頃には、「煙草なんて最初から吸わない方が楽よ、禁煙ってすっごく苦しいんだから」というアドバイスがたびたび聞かれるようになる。
いずれにせよ、進むのはこの方角で良さそうである。
検索を続ける。
「フットボールの季節に」という短篇が、『ミュージック・スクール』という短篇集に収録されているようだ。(ジョン・アップダイク 著、須山 静夫 訳、新潮社、1970)
残念ながら、長らく品切らしい。
行ける範囲の図書館には所蔵されていなかったが、国立国会図書館のデジタル化資料送信サービスで読むことが出来た。
大変にありがたい。
確認できた。
作中時点でディスク・ジョッキーが話題にしていたのが、この小説であったとしてもおかしくはない、というところまでは来た。
①秋のセーター、そういう匂いについての良い描写が、アップダイクの小説のどれかの中にあるという。
②アップダイクが小説の中で、秋のセーターの匂いについて描写している一部分が読めた。
一読者としては、これで満足とするしかないな、と思っていたが。
最初に何度か検索をかけた時、村上春樹の別の本、『象工場のハッピーエンド』(1983) にふれているページが出てきた。
あれも好きな本である。
久しぶりに読み返してみたところ、1968年が舞台の一篇、「ジョン・アプダイクを読むための最良の場所」の中で、当時の “僕” が、“バンタムだかデルだかのペーパーバック”、つまり洋書の、“ジョン・アプダイクの『ミュージック・スクール』” を感慨深く読み終える場面があった。
“The Music School”(1966) の最初の一篇が、“In Football Season”である。
須山静夫訳の『ミュージック・スクール』も、「フットボールの季節に」で始まる。
「ジョン・アプダイクを読むための最良の場所」の最後で、須山静夫訳の『ミュージック・スクール』の中の文章が引用されている。
ここに——ページと、読者との間に、あるかなきかのあえかなる思いなしが成立する余地があるのではないだろうか?
もしかしたら、当時の(アップダイクの本が簡単に手に入る、当時の)村上春樹の愛読者には、広く知られたことだったのではないだろうか。
アップダイクと秋の匂いといえば、例えば、あの文章だなと。
それでは、この曲でお別れしましょう。
ウディー・ハーマンの『アーリー・オータム』です。
どうぞ、良い一日を。
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