ヘンリー・ダーガー・クラブ通信
自らの執筆を、「まるでヘンリー・ダーガーだ」と自嘲する人たちのためのヘンリー・ダーガー・クラブが存在するとしたら、それは一体どういう会だろうか。
そこにはどういう会則があるだろうか。
想像して第0号の会報を書いてみた。
誰かに見せるあてもなく、自分一人のために小説を書いている人間は、予想されるよりもはるかに多いのではないだろうか。
ヘンリー・ダーガー・クラブ通信
ヘンリー・ダーガー・クラブは、ヘンリー・ダーガーを讃えるクラブではなく、ヘンリー・ダーガーを研究するクラブでもないが、名称の由来となったヘンリー・ダーガーについては以下の通りである。
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ヘンリー・ダーガーは、死後に有名になった。
アメリカ、シカゴのアウトサイダー・アーティストとして。
ヘンリー・ダーガーは、いささか異様な、貧しい老人だと思われていた。
仕事は病院の清掃員で、一人暮らしだった。
家の中では大きな声で独り言を言った。
遠くまで出かけていって、熱心にゴミあさりをした。
彼の部屋は、床から天井まで、彼が集めてきたガラクタで一杯だった。
ヘンリー・ダーガーは、ひそかに、恐ろしく長大な小説を書き続けていた。
挿し絵——といっていいのか、物語に関する絵も、自分で作成していた。
彼の作品は現在、シカゴ、ニューヨーク、パリ、ローザンヌの美術館に収蔵され、市場では500,000ドル以上の値がつけられるという。
晩年、自分の部屋がある3階までの階段が登れなくなったヘンリー・ダーガーは、大家に付き添われて、カトリックの老人ホームに入居する。
彼が長年創作を続けた部屋を去る時のことを、大家のネイサン・ラーナーは、振り返ってこう表現している。
"彼が部屋を出ていく時の様子に心を打たれた。彼は、身に着けた服以外、何も持っていかなかった。長い耳当ての帽子、脂じみた第一次大戦の軍用コート、擦り切れた靴。割れたレンズをテープで補修した眼鏡越しに、彼は、混沌とした部屋を見回して、そして、彼の人生そのものだった部屋から歩み去った。"
そして、ヘンリー・ダーガーが去った部屋から、大家のネイサン・ラーナーと、手助けを頼まれた間借り人のデイビッド・バーグランドが、務めとして大量のガラクタを運び出している時に、彼らはダーガーの作品を発見し、ただちにその重要性を認識する。
ネイサン・ラーナーは、アーティストでもあった。
自分の部屋から離れたヘンリー・ダーガーは、全ての創作からも離れ、老人ホームでは自分の内面に引きこもっていた。
老人ホームを訪れたバーグランドが、彼らの発見——ヘンリー・ダーガーの作品を発見したことをダーガーに話すと、ダーガーは、長い夢想から覚めて、こう言った。
"Too late now."
「もう遅い」
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なお、ここでヘンリー・ダーガーとして語られた人物は、実はヘンリー・ダーガーではない可能性がある。
その姓、DARGERの綴りをどう発音すべきかが、明らかになっていないという。
彼をめぐるドキュメンタリー映画の紹介によれば、
"生前の彼を知る人間もほとんどいなかった。そもそも、彼の名字が「ダーガー」であるのか「ダージャー」と発音されるべきなのか、それすら定かではない。"
呼ぶべき名前さえ、明らかではない。
作品だけが、偶然残った。
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以上が、実在の人物、Henry Dargerをめぐってしばしば語られる、いささか「神話的」でロマンティックなストーリーの概要である。
彼は実在した。
彼は創作し、見出され、多くの人々の心を揺り動かした。
通称ヘンリー・ダーガー、仮に、ヘンリー・ダーガーとしておかれる人物。
御興味を持たれた方は、”Henry Darger works”で画像検索をかけてみていただきたい。
あるいは、御推察の通り、ヘンリー・ダーガーが評価された作品とは、主に絵画作品の方であって、15,000ページもの小説の方ではない。
ダーガー自らの手で、素敵な花柄の表紙で装丁し、題字を金色で描き、最後までトランクの中に保管していた、15,000ページもの小説の方ではない。
小説を愛する人間にとって、小説はただの文字の連なりではない。
ただの娯楽でもない。
ただの虚言でもない。
もし、小説が、傷ついた魂のシェルターになり得るのなら、自分で作ったシェルターに他者を匿える人間は幸いである。その人間はつまり、「読者がいる小説家」である。
例えば、小川洋子であり、例えば、村上春樹である。
あるいは、人形を失くした少女のために、「旅に出た人形からの手紙」を便箋に綴るフランツ・カフカであり、あるいは、フォロワーに向かって最新作を投稿する字書きである。
ヘンリー・ダーガーは、どうだっただろうか?
ヘンリー・ダーガーが築いたあまりにも巨大なシェルターが受け入れたのは、ヘンリー・ダーガーの魂だけではないだろうか———今のところ。
いずれにせよ——傷であったとして——巨大な傷である。
物語の中から無邪気に、"親愛なる読者の皆さん" へと語りかけるヘンリー・ダーガーは、しかし、おそらく、実際には、自分のために書き、自分のために読んだ。
おそらくは、そうするしかなかった。
それにちなみ、当ヘンリー・ダーガー・クラブは発足した。
ヘンリー・ダーガー・クラブは、読者のいない作家を讃えるクラブである。
褒められるわけでもなく、対価が得られるわけでもなく、それどころか、人に見つかれば笑われるような小説を、隠れてまで書かずにいられない全ての人間を、断固として支持する。
その凍える魂を包むものが、たとえ継接だらけの擦り切れた軍用コートのような小説だったとしても、決して笑われる謂れはない。
我々が味方する。
そして、書くことのみを、会員の使命とする。
その一作が完成した暁には、我々の心からの拍手が、シャンパンの泡のようにひそかに会員の鼓膜に弾けるであろうことをのみ、御記憶いただきたい。
会費なし例会なし名簿なし交流会なし会員証なし。
入会申込不要。
以上をもって会則とし、この第0号をもって会報は終了とする。
ヘンリー・ダーガーは1892年4月12日に生まれ、1973年4月13日、81歳の誕生日の翌日に亡くなった。
悲惨な子供時代を生き抜いた。
第一次世界大戦、悲痛なる「スペイン風邪」の世界的なパンデミック、大恐慌、第二次世界大戦、病気、事故、その他諸々を通じて、働き続け、創作し続けた。
会員の皆々様、
健闘を祈る。
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なお、ヘンリー・ダーガーは完全に実在の人物である。
御興味を持たれた方のためにリンクを貼っておく。
https://officialhenrydarger.com/
大家であり作品の発見者のネイサン・ラーナーとキヨコ・ラーナーによる「ヘンリー・ダーガーの思い出」と、美術評論家のボーンスティールによるヘンリー・ダーガーの伝記が読める。ネイサン・ラーナーの回想はここから引用して筆者が翻訳した。
ヘンリー・ダーガーは第一次世界大戦で徴兵されたが、訓練期間中に「目の病気」で名誉除隊になった。いつまでもずっと軍用コートを着続けたので、かつての大家の一人は彼のことを、戦争神経症に罹ってしまった退役軍人だと考えていた。
https://artnewsjapan.com/article/372
当初はゴミの山と見なされたダーガーの遺品は、一転して莫大な資産価値を持つものとなり、ヘンリー・ダーガーの遠縁の親戚だという一団が、遺産相続に関する訴えを起こした。彼らは上記の"officialhenrydarger.com"のドメイン名の登録についてもキヨコ・ラーナーと争っているとのこと。
https://www.art.org/henrydarger/
ヘンリー・ダーガーの部屋を再現・保管したシカゴの美術館IntuitのWebサイト。ネイサン・ラーナーが発見した「作品」とは、ヘンリー・ダーガーの「表現」がみっしりと充満した当時の部屋そのものだったのではないだろうか。
https://www.chicagotribune.com/2000/12/17/henry-darger-moves-out/
上記のヘンリー・ダーガーの部屋の「引っ越し」に関するシカゴ・トリビューンの記事。美術商のカインド氏は、『非現実の王国で』の第一巻を借り出して自分の子どもたちに読み聞かせたという。常軌を逸している。
http://selftaughtgenius.org/artworks/the-realms-of-the-unreal-henry-darger
ダーガーが製本した『非現実の王国で』の第一巻の表紙が見られる。下記リンクの説明によれば、この小説の清書済みのページ総数は15,145だという。
https://folkartmuseum.libraryhost.com/resources/henry_darger_papers
アメリカン・フォーク・アート・ミュージアムによる収蔵品、「ヘンリー・ダーガー文書」の目録。ダーガーがどんな本を読んでいたかが窺える。
http://www.cinemarise.com/theater/archives/films/2008004.html
ジェシカ・ユー監督によるドキュメンタリー映画(2004)の概要。
"生前の彼を知る人間もほとんどいなかった。そもそも、彼の名字が「ダーガー」であるのか「ダージャー」と発音されるべきなのか、それすら定かではない。"
https://www.theguardian.com/artanddesign/2005/jan/12/art
上記のドキュメンタリー映画についての言及から始まる、ガーディアン紙によるヘンリー・ダーガーの記事。
https://www.huffpost.com/entry/henry-darger_n_6565294
ハフポストによるヘンリー・ダーガーの記事。
https://www.nytimes.com/2000/09/16/arts/he-was-crazy-like-genius-for-henry-darger-everything-began-ended-with-little.html?searchResultPosition=4
2000年9月のニューヨーク・タイムズの記事に、名字の発音について、“Darger (pronouced DAHR-gurr)” とある。
“父、ヘンリー・ダーガー・シニアはドイツ生まれの移民一世。……ヘンリーは自身の姓をドイツ語風に「ダーガー」と発音していた。”
美術手帖 894号 (2007.5 美術出版社) p.69 の記事より。
https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/shinyabin/zet20240624_02.html
お人形をなくした少女とカフカのエピソードはこちら。「いつでも救いに値する人間でありたい」の節より。
なお、ヘンリー・ダーガー・クラブはフィクションの中の存在であり、実在の人物・団体とは何ら関係しない。