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憧れ続けたラジオ局に僕が内定した!?Vol.0

これは僕が憧れのラジオマンになるまでの物語だ

初めまして。ラジアカの中の人ことおタケです!
僕は小学生の頃にラジオを聴き始め、高校生でラジオを一生の仕事にしたいと決意し目指してきた大学生です。
そんな僕がこの春、とあるラジオ局から内々定をいただき、卒業さえできれば晴れてラジオマンになることが決まりました。
なんと若干名の採用で応募総数300人越えだったみたいです(笑)。
内定連絡をもらった時はガッツポーズを100回しました。

ラジオ就職のあるあるではありますが、とにかく採用枠が少ない!!その上、採用情報や内定者情報もほとんどないんです。そのため、僕は1年以上ずっと不安な就職活動を余儀なくされました。

これを見ている人の中にもこれからラジオ局に入りたいという夢を持っている方がいるのではないでしょうか。そんな方の少しでも役に立ちたいと思い、自分のラジオ就職物語を書き始めることにしました。もちろん、ラジオの世界に興味がない人も少しでもラジオに興味をもってもらい、楽しんでもらえる内容を書こうと思いますので、これからよろしくお願いします。

さて、とはいったものの、僕がどんなやつなのかほとんど知らない段階でこの話をしたところで、「どこぞの馬の骨とも知らないやつの自慢話は聞いてられない」という人もいると思うので、今回はまず僕の身の上話からします。

僕とラジオの出会い

僕は生まれも育ちも関西の大学生です。
工場を営む自営業の両親のもとに生まれたので、小学生の頃は長期休みはよく工場に連れていかれていました。工場では常にラジオが流れており、物心ついた頃にはラジオは身近な存在だったと思います。工場に連れてこられると、友達と遊ぶこともできなかったのでラジオを聴きながら宿題するか、簡単な仕事のお手伝いか、擦り切れるほど見た戦隊ものやディズニー映画を見るしかなかったのを今でも覚えています。(ゲームは家から持ち出してはいけないルールでした。)

そして、中学生になり、僕の日常からほとんど消えたものがありました。それがテレビです。
「朝ごはん中、画面ばかり見て口が動いてない」という今考えると結構理不尽な理由で、両親が朝のテレビ禁止令を発令したのです。その代わりとして、家で導入されたのがこれまたラジオでした。この日から我が家の朝は「おはようパーソナリティ【ABCラジオ】」が流れるようになりました。これが僕にとってすごく大きかった。僕はこの時スマホも持たせてもらえておらず、テレビを見るといった娯楽も土日祝の夜だけになりました。

僕が聴き始めた当初のパーソナリティは道場洋三さんでした。
今は小縣裕介アナと古川昌希アナが務めてますね。

平日は部活があったので、家に帰れば学校の課題をするだけで時間がとけるんです。それでも勉強と並行して娯楽を楽しむことができないかと子供ながらに模索していました。そこで身近にあったラジオに目をつけたんです!ラジオを聴くことなら親からしてみれば、勉強机に向かっているように見えるし、娯楽時間を平日でも確保できる。そんな思いで、僕は夜もラジオをつけるようになりました。流れてきたのはロックキッズ802【FM802】でした。当時の流行を先取りする選曲とDJの落合健太郎さんの軽快なトークに魅せられ、すぐに自分のルーティンになっていきました。

学生を中心に関西で絶大な人気を誇る802の看板番組の1つ
リスナーからのリクエストもバンバンかかるし、メッセージもたくさん読んでもらえるので、僕が初めてメッセージを読んでもらったのもここでした!!

ラジオを聴くことで、特別な趣味を持っている・他の人よりモノを知っているという優越感があり、どっぷりラジオの沼にハマりました。そこからは、クリスマスにポケットラジオをお願いしたり、初めて14歳の誕生日にメッセージを送ったりとにかく頭の中は「ラジオ」だらけでした。

中学1年のクリスマスに誕生日プレゼントとしてもらったポケットラジオ
どんなところに行くのにも肌身離さず持ち歩いて、ボロボロになってます(笑)

僕がラジオ局に入ることを決意した日

話は変わりますが、ラジオと共に僕が小さいころから好きだったものが、陸上競技でした。小学校の時にあった持久走で一位になった体験から「意外と才能あるかも」と思い、中学・高校は陸上部に入りました。
僕は中高一貫して目指してきたものがあります。それが「箱根駅伝」です。2018年大会の最終十区、臙脂色の襷をかけた早稲田大学の選手がテレビに映し出されました。「谷口耕一郎選手は高校時代、将棋部。一般入試で早稲田大学に入学し、駅伝部の門を叩きました。」実況がそう叫ぶと、彼は3位の大学をラスト1キロで追い抜かし、チームを3位に押し上げてゴールしました。
僕は正月におせちを食べながらその姿を見ていたんですが、彼の走りのカッコよさを見て「僕も早稲田大学に一般入試で入って、箱根駅伝を走るんだ!」と強く決心しました。

箱根駅伝100回大会のスタートの様子

それからは陸上と勉強の文武両道を目指して、とにかく精進しました。
高校に行くまでの時間を有意義に過ごすために、片道5キロを走って登下校したりとか(笑)

しかし、その努力も虚しく、早稲田大学の受験は失敗。(関東の大学は学費が高いので、早稲田だけしか受けないという両親の約束でした)陸上競技でもコロナの影響も受けて高校3年生時はほとんど大会がなく、自己ベストも全国で通用するようなところまでは伸びませんでした。

受験の「不合格」の文字を見た時、僕は絶望を感じると同時に、ある人にLINEをしました。一緒に陸上競技に取り組んできた高校同期の友人Bです。
彼は僕の報告を聞いて、こういいました。
「確かにお前の長年の目標だった箱根は走れないかもしれない。けど、お前のその熱量は陸上だけじゃなくて、ラジオにもあるやん。」

この言葉を聞いたときに僕はすごく救われました。箱根の夢は大学の4年間で終わるかもしれないけど、大好きなラジオに関わることは人生を通してやり続けられる。これまで漠然と「将来、ラジオに携われたらいいなぁ」と考えていたものが、確固たる夢としてラジオマンになることを絶対に叶えたいと思うようになりました。今回の挫折があるからこそ、次の自分はより明確なビジョンをもってその夢を掴みに行ける気がしました。僕は友人Bに「絶対ラジオ局で働く!!」と告げて、LINEを閉じました。

以上のような経緯を経て、僕はラジオ局を目指していくことになります。次回は僕がラジオ局に入るために大学でどんなことをしたのかという所をお話しできたらと思います!初回で長くなりましたが、今後とも継続して読んでもらえると嬉しいです。ありがとうございました!!


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