「82年生まれ、キム・ジヨン」顔のない小説と顔を持った行動の映画
1.顔のない小説、誰もが感じる危機感と喪失感
私は、好きな小説の場合、映画化は観たくない。映画化された作品を観てしまうと、読んで想像したイメージが、映画化されたイメージに上書きされて消えてしまう。これが困る。
本を読み返す度に、映画の演者たちの顔が浮かぶ。困る。「困る」なら観なければ良いのだが…。ときどき原作では良くわからなかった事が、ぱっと目の前に広がる事がある。
で、原作「82年生まれ、キム・ジヨン」は、特定の顔を限定できない小説だった。自分の事として自覚する小説。誰にでも当てはまり、心当たりのある小説。だから映画を見ていなかった。
小説は、精神科医のレポート形式でキム・ジヨンの過去から現在の告白が語られていく。読む前『さぞ男性のパワハラや暴力など、ひどい目に合っている女性の話』だろうと想像したが、読むとまるで違う。
キム・ジヨンは、韓国で最もありふれた名前。
普通の男性が、ついやってしまう女性への差別。今まで見過ごされてきた女性への偏見。日常のありふれた女性への差別や偏見が、ない事にされてしまう社会やその苦しみやストレス。それをキム・ジヨンという普通の女性の視点で丁寧にすくいあげている。
たとえば小学生の頃、キム・ジヨンに頻繁にちょっかいを出す男子。
消しゴム、鉛筆、定規を借りたまま返さず、遠くに投げたり、お尻を叩いたり、上履きを蹴飛ばしたり…。
それを担任の男性教師は『男の子は、好きな女の子ほど意地悪するもの、この機会に仲良くなれたらいいんだけど』と微笑ましいエピソードとして、受け流す。
当の被害者であるキム・ジヨンは、理解できず、混乱する。記憶を巻き戻して考えてみても、あの子のせいで学校生活が滅茶苦茶にされたとしか思えない。思い出しても、嫌な事ばかり。なのに先生の視点で男の子の事を誤解して嫌うキム・ジヨンがいけない子にされてしまう。
この機会に仲良くしろと言う先生に「嫌です。絶対、絶対嫌です」と彼女は断固自分を貫く。女性の視点で自分を貫く事で叩かれる、潰される男性中心の社会。その社会でキム・ジヨンは自分を失い、透明な存在になって、男性社会の下働きを強制されてしまう。
加害者も被害者もごく普通の家庭、普通の人々の女性に対する小さな傷が、心の深い傷となって蓄積される。
決定的事件は、日本のお盆のような秋冬(チュソク)で、キム・ジヨンの夫の実家への里帰りの時に起きる。彼女は、自分を失い憑依現象が起きる。自分のストレスを抑圧したがゆえに、身近な女性たちの抑圧された潜在意識や無意識が覚醒したかのように…。その展開に心を奪われた。
この小説の表紙の装丁の名久井直子さんの言葉が、うまくこの小説の核心をついている。誰の顔でもハメる事ができる顔嵌めパネルのような表紙の絵。絵の向こうは荒涼とした砂漠。
裏表紙の鏡の中も顔はなく、荒涼とした砂漠の風景が映っている。下の引用は、小説のトークイベントでの翻訳者・斎藤真理子さんの発言。
ちなみに、オリジナルの韓国版の表紙は俯く女性が髪で顔を隠し、その影が黒く長く伸びている。
女性が知らないうちに自分を見失い、透明人間のように扱われてしまう男社会の差別や偏見。客観的なシンプルな描写だけの小説だからこそ、深く考えさせられた。
2.顔を持った行動の『未来は変わる、未来を変える』映画
映画はいい意味で裏切られ、想像を超えていた。顔のない小説から主人公キム・ジヨンにチョン・ユミ、夫デヒョン役にコン・ユの顔が与えられ頭の中の登場人物が実在感を持って目の前に現れた。
このポスターデザインが小説と映画の違いを表現している。
しっかり前を向いたキム・ジヨン役のチョン・ユミと彼女を幾分心配そうに優しく見つめる夫役のコン・ユ。二人の背景には、明るい光が当たっている。
顔のない小説から、キム・ジヨンが顔を持ち行動し、透明な存在ではなくなる映画。意志と行動で『未来は変わる、未来を変える』映画。
この二人は、過去に2作で共演している。
『トガニ』と『新感染ファイナルエクスプレス』
『トガニ 』では、韓国の聾学校で起こった性的虐待の加害者教師たちと戦う主人公の美術教師カン・イノ役をコン・ユが、その主人公と共に戦う人権センターの勇敢な幹事ソ・ユジン役をチョン・ユミが演じている。
そもそもこの映画の企画は、コン・ユが兵役中に原作を読み、世間の関心の低さや加害者の刑の軽さに怒りを感じ、兵役後、自ら主演で映画化に動き実現したもの。二人とも普段から社会的な問題に関心を持ち、ただの共演者より、強い絆を感じていたと思う。
『新感染 ファイナル・エクスプレス』では高速鉄道内で巻き込まれるウィルス感染のパンデミックの中、妻と別居中の主人公ソ・ソグをコン・ユが、夫と共に逃げる妊婦のソンギョをチョン・ユミが演じている。
この二人も共通点がある。自分の命というより、コン・ユ演じる主人公は娘の命を、チョン・ユミ演じるソンギョは体内の子供の命を守るために必死でゾンビと戦い、逃げる。
この映画『82年生まれ、キム・ジヨン』で、初の夫婦役となったチョン・ユミとコン・ユの組み合わせが絶妙だった。二人とも美男美女には違いないが、そのオーラを消して、普通の人として映画にすっと入り込む。
二人とも、ピュアでまっすぐな心を持ち、かつ弱い部分もある。
コン・ユ演じる夫は、妻の病気に気づくまでは、妻を気遣う事もない無神経な夫を演じているが、その演じ分けがうまい。
またチョン・ユミは気の強いしっかりした所があるかと思うと、ふっと影が薄くなり、自分を見失ってしまっているように見える。そんな繊細さと透明感。逆に憑依されると、人格も年齢も変化する。様々な要素を取り混ぜて自然に演じている。そして沈黙の姿に存在感と深みがある。
単なる夫婦の日常描写でも、このコン・ユとチョン・ユミの二人が演じているだけで、化学反応が起こり、深い葛藤を感じるドラマになる。
私が感動したのは、母ミスク(キム・ミギョン)がキム・ジヨン(チョン・ユミ)に『子供の面倒は見るから、新しい仕事を諦めず、やりたい事をするよう』諭す。するとキム・ジヨンに祖母が憑依して、母の発言を否定した後に言う慰めの言葉。これを聞いて、私は自分の母の事を思い出した。
キム・ジヨンの母ミスクは私と同世代、憑依している祖母は、私の母の世代。
この時はじめて、私は母に対する罪悪感を思い知らされた。母も50代の頃、心を病んだ。幻聴を聞くようになり、薬を飲んでいた。
不意打ちの心に刺さる体験だった。
それでも、この『映画が救い』に感じたのは、キム・ドヨン監督がキム・ジヨンの現在に焦点を合わせ、彼女が「何がしたくて」行動していくか?という事を焦点にこの映画を描いた事。
その演出は、感情的なセリフや音楽を使った叙情的演出ではなく、キム・ジヨンの行動、出来事を叙事的に描く演出で、観客に感情を想像させる事に成功している。だから私はキム・ジヨンとは真反対の年配の男性なのに彼女の言葉が、彼女の母に響いたように、私の心の奥を刺した。
下の動画は、キム・ジヨン(チャン・ユミ)の映像。
声を張るような大声の罵声も暴力もこの映画にはない。あるのは、日常の中のささやかな出来事。キム・ジヨンの今にも壊れそうな心。それをそっと包むように、周囲の人々の配慮の眼差しが広がり、彼女自身の「自分らしく生きたい」行動が少しずつ前に向かう映画。
多くの人に観てほしい、深くて面白い映画だと思う。