侯孝賢監督が教えてくれた3つの事、それでも、人と世界を美しいと感じる事
侯孝賢監督が教えてくれた3つの事
侯孝賢監督の「冬冬の夏休み」「童年往時/時の流れ」「恋恋風塵」は私にとって大切な幼い頃の記憶と原風景につながる映画だ。
Yahoo!ニュースの記事を読み、侯孝賢監督が、アルツハイマー認知症で監督を引退した事を知った。
侯孝賢監督の「童年往時」を見て「こんな映画が撮りたい」と夢中になり、侯孝賢監督の作品を観てインタビューを読み、多くの事を学びたいと思っていた。
侯孝賢監督は、一度私の教える学校に講演会で来てくれた。学生からの質問も出尽くした後、ファンであった私は監督に聞きたかった次の質問をした。
私「何かのインタビューで監督が語られていた「映画というのは、簡単なものではないでしょうか。カメラがあって、人がいて、それをとりまく環境があると、それだけの中で自分の方式を出せばいいと」と言われていますが、監督にとっての具体的に演出とは何か?教えて頂けませんか?」
今思うと、かなり厚かましい直接的な質問であり、失礼だったと思うが、侯孝賢監督はやさしく答えてくれた。
「そのインタビューの事は、よく覚えています」と言って、次のような内容の事を教えてくれた。メモした内容なので、簡略化してしまっているが、
『自分がこのシーンで、このカットで『何を』求めているか明確にしておくこと。撮影という行為は、単にストーリーを映像に置き換える事ではなく、ストーリーの中で『何を』描くかで大きく変わるし、それこそが演出の仕事である事』
その答えを、監督の映画から見つけ出し、資料を作り学生に教えていた。
1.風景の中に、登場人物に、自分の感情を託すこと
「冬((トントン)の夏休み」(1984)は、母が病気で入院する事になり、田舎で診療所を営む祖父の家に預けられる兄・冬冬(トントン)と妹・婷婷(ティンティン)の物語。
原作はこの作品から侯孝賢監督と共同脚本として参加する小説家、随筆家でもある朱天文(チュー・ティエンウェン)「安安(アンアン)の夏休み」
侯孝賢監督の言う、ストーリーを映像で置き換えるのではなく、その場所に立ち、登場人物の感情を、天候、時間、空気感や雰囲気とリンクさせていく。そうする事で、監督が託した登場人物の感情をより深く見る人に想像してもらう。
予告編を見るだけでも、田んぼを吹き渡る風、蝉の声、田舎の駅についた冬冬(トントン)と婷婷(ティンティン)の不安、大きな家と厳格そうな祖父の佇まい。家の外のやんちゃそうな村の子供たち。
大きな木の下で見守られているような亀遊び。無邪気で楽しい川遊び、川遊びの仲間に入れない妹の婷婷(ティンティン)は、大きな石の上で不機嫌。いらいらした婷婷(ティンティン)は、兄と男の子たちの服を川に流してしまう。
侯孝賢監督は、けっして子供は無垢で純真とは描かない。世の中は子供たちの無邪気な世界だけではなく、知的障害のある女との出会いであったり、強盗事件が起こったり、望まぬ妊娠があったりする。
その誠実なリアリズムに、私は「この世界を知っている」と言う思いを抱く。私の田舎にも、差別があり、望まぬ結婚があり、駆け落ち騒ぎがあり、酔っぱらった和尚さんの寺の火事があり、鬱病の小父さんが仕事もせずふらふらしていたりと、子供だけの世界ではない場所で生きていた事に気づく。
そして、それがかけがえのない場所と時間だった事も…。
映画の中の祖父のセリフ「親は子供の一生は見れない。親が子供に出来る事は世の中に出るための基礎を作ってやることだけだ」が心に響く。
2.「家族」の不幸が「時代」の不幸に、「私」を考える事が「時代」と「歴史」を考える事に
「童年往時」(1985)では、この作品も朱天文との共同脚本だが侯孝賢監督の自伝的内容が色濃く反映されている。映画は、侯孝賢監督の声で始まり、監督の声の主が、主人公・阿孝(アハ)である事が明らかにされる。
大陸から広東省の教育課課長だった父が台湾に仕事を得て、一年後、80過ぎの祖母も含め、家族全員を台湾に呼ぶ。
映画で記憶に残っているのはこの祖母の事だ。
阿孝(アハ)と祖母が散歩中、突然、祖母が呆けて、故郷の梅江橋を台湾で探す場面が切ない。
当然、台湾の人に大陸にある橋の事を聞いてもわからない。
阿孝(アハ)は黙って呆けた祖母に付き合い、道端に青ザクロの樹をみつけ、その実を取る。二人は農家でお茶をもらい、祖母は子供の頃の事を思い出し青ザクロでお手玉をする。
同じような農村の風景や青ザクロは、きっと大陸にも台湾にもあり、子供時代の記憶は同じなのに、距離は遠く離れている。
その夜の停電時、肺炎だった父は突然亡くなり…。母が…、祖母が…、次々とこの世を去る。様々な出来事が描かれながら、何も良い事がないような暮らしの中で、人と人、人と自然、人とこの世界がたしかにつながって、切ないけど温かい時間の流れを感じる。
そして私は再び、亡くなった家族、曾祖母、祖父母、父、母、それぞれのお葬式と、その前後の日々の事を思い出している。「家族の不幸」が「時代の不幸」「私を考える事」が「歴史を考える事」その事をずっ考えている。
とり立てて幸福だと思わなかった子供の頃の家族との失われた日々が、かけがえのない日々だった事に「童年往時/時の流れ」を見て気づく。
3.それでも、人と世界を美しいと感じること
恋恋風塵(1986)では、3人目の脚本家・呉念眞(ウー・ニエンジェン)が加わり、彼の故郷である炭鉱の町で暮らす幼馴染の中学3年のワン(王晶文)と中学2年のホン(辛樹芬)の関係が丁寧に描かれる恋愛物語である。
冒頭の2分が予告編としてみることができる。長いトンネルの暗闇の先に幽かな光と緑の円、その円が次第に大きくなり緑の山々に包まれ、一つ二つとトンネルを抜けると光差す緑の故郷へ着く。
私の父は山奥のダム勤めだったので、家に向かうバスや車は長いトンネルをいくつも抜け、やっと自分たちの社宅にたどり着いた。このオープニングで、私も故郷に戻って、この映画を味わっている気分になる。
ワンの設定は16歳~20歳まで、ホンは15歳~19歳までの恋物語。ゆったりとした時間のテンポの中で、清々しい二人の関係が、風景の中で瑞々しく描かれていく。立ったまま教科書を見て、二人の会話は
ワン「どうした?」
ホン「数学のテストダメだった」
ワン「教えてあげたのに」
これだけなのがいい。
山の駅に列車の到着、野外映画会のための風に揺れる白いスクリーン、
ワンの「映画だ」と言う一言のセリフ。
父の炭鉱事故、中学卒業と同時に台北へ出て、働きながら夜間学校。
一年遅れでホンも台北へ、溜まり場の映画館の楽屋、二人揃っての里帰り…ぽつり、ぽつりとうまくいかない日常の葛藤を、二人の大切な時間として、丁寧に描き繋いでゆく手法が、心に染みた。
映画のラスト二人の恋が、時代と人の運命の風に弄ばれ、散った後、兵役から戻ってきたワンに、祖父(李 天禄)は、今年不作だったイモの話をする。間接的な表現なのに、ただただ言葉にならない感情が心を満たした。
「それでも、人と世界を美しいと感じる事」これは監督の言葉ではなく、私が侯孝賢監督の映画から感じた事だ。