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正解のない答えを探す、映画「アステロイド・シティ」ウェス・アンダーソン
映画「アステロイド・シティ」何も考えずに見て、面白かった。
でも、疑問だらけなのは間違いない。それで浮かんだ疑問を自分なりに考えてみた。考えなくても楽しめるし、考えても楽しめる映画。
それが「アステロイド・シティ」と言う不思議な映画。
正解は人それぞれ、そもそも正解はないかもしれない…という映画。
※ネタバレあります。
1.なぜ、1950年代なのか?
この映画は、モノクロ映像のTV番組から始まる。50年代と今は大きく映像メディアの主流が変化する。
1954年、アメリカNBCが、NTSC方式によるカラー本放送開始。
主要メディアが、映画からTVへと移行しつつある時期。TVは、人の視線を視聴率に換算して「人の(面白ければOK)視線の欲望」が直接スポンサーという経済とつながった時期。
今は、主要メディアが、TVからSNSに移行しつつある時代。個人の視線の欲望が増大し、誰でもスポンサーとつながる時代。
人の(面白ければOK)視線の欲望の市場は自由化され、時に過激に倫理を超え、フェイクも真実もわからなくなる。
人の欲望の視線がストレスを生む時代。どこにいても常に誰かに監視され続けているような不安と恐怖の時代。
50年代と今は戦争、核、放射能の不安と恐怖が増大した時代。
1950年、朝鮮戦争勃発、アメリカの軍備拡張、ソ連(当時)との宇宙開発競争が始まる。冷戦時代で第三次世界大戦の不安と恐怖に晒された時代。
1951年、アメリカがネバダ核実験を開設。
映画「宇宙戦争」(53)の時代。ロサンゼルス近郊に隕石のような物体が落下し、空飛ぶ円盤が出現し、火星人が人類を攻撃する映画。
1954年、ビキニ環礁、水爆実験で第五福竜丸、被爆。この事件から着想を得た“水爆大怪獣映画”『ゴジラ』が生まれた時代。
今は、2022年からロシアのウクライナ侵攻が開始され、戦争が世界を二分し、核戦争の不安だけでなく、異常気象、大地震、パンデミック…等々、未来の見えない時代。
日本では2011年東日本大震災後、放射能廃棄物の海から進化した「シン・ゴジラ」(2016)登場の時代。
1950年代に抱えた問題が、パワーアップして現代に降りかかる…。
ウエス・アンダーソンの映画の基本はレトロフューチャー(retrofuture)過去に見た未来の夢が現代とリンクする。
水爆実験のキノコ雲が見える一見平和でのどかな「アステロイド・シティ」は、やがて隔離され、観光地化され…。
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2.なぜ、わからないのか?
なぜ、この映画はわからないのか?私の答えは、わかるように作られていないから。そこに意図があったとしても、ストレートに表現されていない。
パンフレットの監督のProduction Notesを読まないと、映画の意図や背景がよくわからない。
例えば、黒髪ショートカットのミディ(スカーレット・ヨハンソン)が、ブロンドヘアーのマリリン・モンローがモデルだと言われて「あ、マリリン・モンローだ」と誰にもわからない。
ひげ面のオーギー(ジェイソン・シュワルツマン)を見て「あ、ジェームス・ディーンだ」なんて誰も思わない。
ミディには、マリリン・モンローだけでなく当時の舞台女優キム・スタンレーやジェーン・ラッセルの要素も取り入れている。誰?そもそも3人もミックスしたら誰にもわかるわけがない。
監督は、パンフのProduction Notesの終わりに、こう書いている。
作品そのものに関して言うと、私たちがめざしていた詩的な映画になっていればうれしい。作品のなかに何らかの詩的な瞑想を感じてもらうことが私たちのゴールだ。
「詩的な映画」と言われると「詩というのが何か?」が難しい。
チェコの小説家ミラン・クンデラ(「存在の耐えられない軽さ」など)が詩に対して言った言葉がわかりやすい。
「詩とは、存在の一瞬を忘れられない存在にすること」
これなら、誰でも楽しめる。
物語を追いかけることをやめて、その登場人物と出来事だけに集中する。この人面白い、この人変、何が起きてるこれ?バカなの?天才なの?
すごいの?やっぱりバカなの?
誰かの視点を追いかけたり、気持ちを想像したり、雰囲気に浸ったり、
左脳で理解する事をやめると、笑えるポイントもあって楽しめる。
構造も言われているほど難しくない。
舞台と舞台の特典メイキングが交差しているだけ、俳優、劇作家、演出家、色々出てくるけど、みんなくせがあって変。でも作り手に俳優はもちろん、衣装、小道具、持ち道具、大道具、セットの隅々まで、愛が行き届いているので嫌な感じにならない。
で、この映画の中に、忘れられない存在や場面はいっぱいある。
いくつか紹介すると
忘れられない場面①3人の娘たちと遺灰容器の埋葬
オーギーの母を亡くしたアンドロメダ、パンドラ、カシオペアの名前を持つ3人の娘たち。
彼女たちは、母の遺灰をプラスチック容器に入れて持ち歩いている。
モーテルの側で、穴を掘り、その遺灰の容器を埋めて、魔法と呪文を使って自分達のやり方で母親を悼む。こだわりの呪文がかわいい。
いくら祖父(トム・ハンクス)が常識的な事を言ってもきかない。母の死の実感もなく、心は魔法や呪文の世界のまま。現実を受け入れられない。
そこがかわいくて、そして切ない。
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3.なぜ、棒読みなのか?
私たちは普段、感情を隠す。酔っ払った演技をするより、本当の酔っ払いは、酔ってないふりをする。その所作や視線の中に、なぜ酔わなければいけなかったのか、寂しい心の内を感じる。答えは感情を見せたくないから。
声で、セリフで表現しなくてもちょっとした所作や目線、目の輝きやどんよりした光でどんな人でどんな気持ちかわかる。
舞台セットの「アステロイド・シティ」の役者たちは全員、心の傷を抱え、あえて感情を隠して演技をする。
隠してもあふれ出てくる何かで通じ合う。
その繊細な感情は、同じ1950年代の日本映画、小津安二郎監督の中にもあった。小津監督は第二次世界大戦中、まだ殺傷能力のない毒ガスを扱う特殊部隊にいた。日中戦争での九死に一生の地獄を生きた体験。
小津監督の映画のセリフも棒読み、カメラに顔を向けしゃべらせる。
ただ、笑顔の下、心の奥の絶望と諦念は誰よりも深い。深いから隠す。
深いから思い出したくない。
小津監督も、セットも小道具も持ち道具も全て細かくこだわった。
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スタイリッシュなこだわりが、小津とウエス・アンダーソンは似ている。ウエス・アンダーソンは20代で、たて続けに両親を失っている。
人物の正面カットは誰でも撮影するカットだが、両監督とも不思議な奇妙さがある。私は学生の頃、小津安二郎「麦秋」の批評文で「SF映画のよう」と書いた。隠された心の奥の悲しみが、遠い空の宇宙に通じているように感じた。ウェス・アンダーソンの映画にも哀しみの先に宇宙を感じる。
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忘れられない場面②戦場カメラマンのオーギーと女優のミディ
主人公の妻を亡くした戦場カメラマン、オーギー(ジェイソン・シュワルツマン)と心に傷を持つ女優ミディ(スカーレット・ヨハンソン)の出会いの場面。
オーギーが、サングラスのミディを突然カメラで撮る。ミディはサングラス越しにオーギーを見つめ、許可なく撮影した事を責める。
オーギーは「戦場カメラマンは許可なんて取らない」と言う。戦場で瞬時に傷ついた人々を撮る。たとえ、カフェにいても…。
ミディが見抜かれたようにサングラスを外す。目元にまだ生々しい暴力の傷跡。普通の映画ならここまで。この映画は違う。
ミディは傷がメイクである事を語る。彼女は女優で「心の傷の深さは見せない」と語る。そこに余白がある。その余白を共有して私は想像する。
想像するために、自分の心の傷を余白と言う余裕を持って思い出す。
オーギーとミディと私が、余白と想像を介して心の傷でつながる。
特にミディがバスルームで薬物の自殺場面を演じている場面は、ミディがピクリともせず、その手の位置や体の向き、床に転がる大量の薬がリアルで、ミディの静かな死を感じる。
彼女の心の傷、心の痛みを感じたかのように、オーギーが距離を失って、電熱器で火傷をしてしまう場面がとても切ない。心の傷と距離を取らないとこんな事故が起こってしまう。
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忘れられない場面③息子ウッドロウの月面画像転写機の発明
14歳の若き天才科学者ウッドロウ、リッキー、クリフォード、シェリー、5人の若き天才科学者集団の発明品の場面。
特にオーギーの息子ウッドロウの月にいろいろなメッセージを張り付ける月面画像転写機。
くだらないし、役に立ちそうにもない発明品だけど、無口で無表情のウッドロウも、また遠い宇宙にメッセージを送る事で、母の死から距離を取り、深い悲しみに耐えているようにも思える。
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4.なぜ、舞台と舞台裏を描くのか?
舞台裏には劇作家、演出家、俳優がいる。作品は作者の心の傷から生まれ、演出家はその心の傷と人と人との関係を形にし、俳優は自分の心の傷の記憶を再現し演技をする。答えは、舞台と舞台裏と俳優との関係と演技が、この映画の大切なテーマだから。
それがロシアのコンスタンチン・スタニスラフスキーから学んだメソッド演技。メソッド演技の方法はNYのアクターズ・スタジオの演出家リー・ストラスバーグ(映画ではウィレム・デフォー演じる演技講師)を通じて、マーロン・ブランド、ポール・ニューマン、ジェームス・ディーン、マリリン・モンロー、モンゴメリ-・クリフトたちが学び、50年代の映画の中で再現された。
ただ、自分の心の傷や記憶を再現し、演技する事は、精神的ダメージも大きく精神疾患や最悪、自殺につながる危険性もある。1962年、マリリン・モンローは睡眠薬の過剰服用で死亡した。モンゴメリ-・クリフトはアルコール中毒とドラッグ、交通事故と健康上の問題を抱え心臓発作で亡くなる。
ウェス・アンダーソンはその時代を背景にしながら、俳優に、その危険なメソッド演技をさせていない。心の傷から距離を置いたまま、共感する事。夢や魔法や虚構の世界を信じる事。
だからグリーンバックの中の演技ではなく、昔ながらの砂漠の中にリアルに舞台セットの街を作り、感情を抑えたまま「役を生きる」演技をする。
人生は不条理だけど前へ前へ行動し、進むこと
そういう意味では、この映画に1950年代のジェームス・ディーンやマリリン・モンローやモンゴメリー・クリフトはいない。
いるのは2023年のオーギー役のジェイソン・シュワルツマンであり、ミディ役のスカーレット・ヨハンソン。
たとえばミディ役のスカーレット・ヨハンソンは、役と距離を置き「役を生きるため」に薬物で自殺したマリリン・モンローを彼女のやり方で理解する。理解して何度でも死んだマリリン・モンローを舞台上で蘇らせる。
現実だけでは生きていけないから、現実を変える強い夢や虚構を持つ事、信じる事、死んだ愛すべき人達を何度でも何度でも生き返らせる事。
現実を変える強い夢や虚構を持つ事は若き天才科学者たちにも通じる。
1950年代、核戦争の不安と恐怖に怯えた時代、ロシアの舞台とブロードウェイとハリウッドは心の傷の表現で繋がっていた。
宇宙人とも心の傷で繋がっていたら、襲撃なんて起きない。心の傷を見抜きシャッターを押す戦場カメラマン・オーギーが、この映画で写真を撮ったのは、ミディと宇宙人とキノコ雲だけだ。
忘れられない場面④オーギーと妻(マーゴット・ロビー)
これは興味のある方はぜひ映画で見て確かめてほしい。場面は現実の舞台裏での出来事。現実の出来事なのに限りなくファンタジーな世界を想像させる。ウェス・アンダーソンしか撮れない美しくて切ない不思議な場面。
”You can wake up if you want to full asleep”「目覚めたければ、眠れ」
最後の謎を解くために深く眠る。