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50年後に見た「傷だらけの天使」に「天使」はどこにもいなかった
1.ドラマ「傷だらけの天使」とは
「傷だらけの天使」(74年~75年)は、50年以上前に放映されたドラマなのに現在でもU-NEXTやAmazonプライムで無料配信されている。去年「永遠なる「傷だらけの天使」という新書も発売され、リアルタイムで観た60代以上だけでなく、若い世代にも見られているらしい。
ドラマの概要は、綾部情報社の綾部貴子(岸田今日子)と辰巳五郎(岸田森)と調査員の木暮修(こぐれおさむ:萩原健一)と乾享(いぬいあきら:水谷豊)のアンチヒーローの探偵物語。
綾部情報社は、子供の親探しから暴力団の抗争まで、修と亨の潜入調査で探る。このドラマの清水欣也プロデューサーの企画書には、
危険な仕事や人が嫌がる仕事を押し付けられるが、勇敢に事件の渦中に飛び込んで行く。単細胞で善人の主人公は、黒幕の愛人に同情しておかしな仲になったり、倒すべき人を助けてしまったり、気がついたらだまされていたりして、事件は思わぬ方向へ進んでしまう。
どす黒い欲望と暴力、笑いと涙とお色気の破天荒ドラマ。
磯野理著 出版アスペクト社
「傷だらけの天使」は今の時代のコンプライアンスもメディアからの圧力もなくタブーを無視して描いている。
半世紀ぶりに「傷だらけの天使」を見ると、消えた70年代の世界にタイムスリップした気持ちになる。今の日本のドラマでは見られない生々しい人間の欲望と行動、打算、社会に渦巻く闇と光の世界。止むに止まれぬ感情からの暴力。破天荒な主人公の行動は読めないまま意外な方向へ展開していく。
その光景が荒々しい16mmフィルムで記録されている。粒子の粗いこのドラマの様々な場面が、私の記憶に残っている。
2.木暮修(ショーケン)に「怒り」を感じた最終話
いくつかの回の話を書こうと思ったが、書き出すときりがない。そこで長年ひっかかっていた最終話について書く。
26話「祭りのあとにさすらいの日々を」脚本:市川森一 監督:工藤栄一
最終話は東京が大地震に襲われる場面から始まる。綾部貴子(岸田今日子)は「この国はもうおしまいよ」と言い残し姿を消す。貴子だけでなく綾部の片腕辰巳五郎(岸田森)も姿を消し経理の浅川京子(ホーン・ユキ)は故郷・長崎に帰る。乾亨(水谷豊)は、木暮修(萩原健一:ショーケン)と修の息子の健太と三人で、田舎で暮らすための資金集めのためオカマバーで働いている。
冬の夜の公園でオカマバーの酔っ払いの客たちに乗せられ、享は噴水に飛び込み騒ぐ。
その光景を噴水の奥の木陰で見ていた木暮修(萩原健一)が呟く。
ドボンと噴水に飛び込む享。
わきあがる歓声。
ズブ濡れの享の笑い顔が涙でぬれている。
修が、物陰から見ている。
修「……あんまりわりのいい仕事じゃねェナ。アキラ…」
私は仕事がつらく、やめたくなると、この場面を何度も思い出した。
修「……あんまりわりのいい仕事じゃねェナ。アキラ…」
この事が原因で亨は肺炎になり死んでしまう。
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大学時代に再放送で全話見た。たしかに面白いが時代が変化したせいもあり、夢中にはなれなかった。
特に最終回の名場面と言われる、死んだ享(水谷豊)をドラム缶の風呂に入れ「女を抱かしてやる」と言い、女性のヌード写真を修(ショーケン)がペタペタ貼るシーンは興ざめだった。部屋に広がるヌードグラビアも多すぎた。まるで誰かが侵入し亨を殺し、その証拠を消すために敷きつめられたかと思った。
ショーケンはこのヌード写真のエピソードは台本にあって自分のアイディアではないと言う。
しかし市川森一のシナリオには、ささやかな描写しかない。
●ペントハウス
放心して座り込んでいる修。
ベッドの壁にもたれている亨の死体に
話しかけている。
修「‥‥‥風邪で死ぬなんて‥‥‥おまえ最後まで情ねェ男だねェ‥‥‥」
窓から吹き込んでくる夕風に、例のグラビア写真の切り抜きが舞う。
このドラマのラスト修(萩原健一)が享(水谷豊)の死体を東京のゴミの山(夢の島)に捨て、空のリヤカーを引いて逃げ去る場面には「怒り」すら感じた。
このドラマが「真夜中のカーボーイ」に影響を受けているなら、あの映画のジョー(ジョン・ボイド)とラッツオ(ダスティン・ホフマン)のように、たとえ享が死体になっても修は亨と一緒にどこか暖かい場所へ旅立ってほしかった。
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修演じるショーケンに怒っても仕方ないと思い、市川森一のシナリオ「傷だらけの天使」を読んだ。
屋上(夜)
どしゃぶりの雨……。
修が、享の死体を背負って出てくる。
鉄階段で一瞬だじろぐが、気を取り直して、ゆっくり下り始める。
修「……もう、転ばねェぞ……大丈夫だからな、享……」
冷たい手すりに片手をかけ、片手は亨を支
えて、一段一段、用心深く下りていく修。
修「これからどこ行くかな……今夜はな、おまえの行きたいとこ連れてってやるぜ……トルコの明美ンとこか?花園のモナコの店行くか……(突然、叫ぶ)まだ墓場にゃ行かねェぞ!」
その声が、行く手の雨の闇に―響く―。
響く―。
音楽―テーマ曲流れて、
もう一度、レギュラーのカーテンコール。
シナリオに享を毛布で包みドラム缶に入れ、夢の島(ゴミの山)に捨てて逃げ去るト書きはなかった。ラストは追加されたものだった。
私は、市川森一のシナリオのままドラマの余韻を味わいたかった。
最後に、この時代を説明するかのような「三里塚闘争」のドキュメンタリー映像が唐突に流れる。その後、DVDの特典映像のようなドラマのクランクアップの撮影風景が流れ、ロケ車に乗せてもらえず走る萩原健一の姿で終わる。
正直「いらない」と思った。
修を演じたショーケンは、現場でどんどんアイディアを出し「傷だらけの天使」を自分にとってリアルで嘘のないドラマにした。追加されたラストもショーケンのアイディアのように思えた。
しかし半世紀経って観るとシナリオ通りのラストなら私はこのドラマの事を忘れていたかもしれない。修に「怒り」を感じたラストだったから、このドラマは何年たってもトゲのように刺さっていた。
3.自伝「ショーケン 最終章」のこと
モヤモヤした気持ちを抱え、亡くなってから発売された「ショーケン最終章」の萩原健一の自伝を読んだ。淡々とした語りに好感を持ち、読み始めたら止まらなくなった。
大麻不法所持や様々なスキャンダルの後、仕事がなくなったショーケンはマネージャーに裏切られ、映画制作の詐欺に何度もあっていた。
2005年の映画降板後のギャラの支払いでショーケンがヤクザの名前を出して脅したという恐喝未遂事件。ヤクザの示談屋に脅されたのはショーケンの方で、その事に抗議してプロデューサーに冷静に電話しただけだった。
ショーケンはまるで「傷だらけの天使」の続きを生きているように感じた。ショーケンの人生は、信頼していた身近な人に騙され、嵌められ、上がったかと思うとどん底に落ちる波乱に満ちた人生だった。
中でも記憶に残っているのは危篤状態にあったショーケンの母の言葉。萩原健一の本名は萩原敬三だった。
大麻の不法所持で逮捕され保釈されたとき、既に危篤状態にあった母から言われた言葉だ。
「敬三、おまえはいったいどこにいるんだ?」
「え?おれ、ここにいますけど」
「違うよ。おまえはいったいどこにいるんだ!」
「えっ?」
母は涙を流しながら、怒りに体を震わせていた。
「おまえはどこにいるんだ!」
私はいったい何を言われているかわからなかった。結局、それが母との最期の会話になった。
これまでの自分の人生は、ほとんど萩原健一で生きてきた。本名の萩原敬三は芸能界デビューした十代の後半から、どこかに置いてきたままだった。
ショーケンはプライベートでもショーケンだったと自ら語る。なぜなら萩原敬三は、萩原健一(ショーケン)でいる時、最も輝いた。そのショーケンらしさが爆発しているドラマが「傷だらけの天使」だった。
私は倉本聰脚本「前略おふくろ様」の板前修業に励む純朴で照れ屋のショーケンも好きだった。
でも修と亨の「傷だらけの天使」は別格だった。ショーケンは多くの映画に出演したが「傷だらけの天使」も監督している神代辰巳監督の「もどり川」が特に好きだった。
下のイラストは「傷だらけの天使」神代辰巳監督の6話「草原に黒い十字架を」
ほのぼのする田舎のロードムービーが、一転してこのドラマの中で最も悲痛なラストを迎える。
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乾享(水谷豊)なつみ(瀬島充貴)木暮修(萩原健一)
「もどり川」(1983)公開二か月前にショーケンは大麻所持で逮捕され、役作りで「ずっと大麻とコカインを吸ってました」と語った。
「もどり川」はカンヌ映画祭に出品されたが、何の受賞もなく、大麻事件の事もあり、興行的にもコケて批評家にも評価されなかった。
ショーケンは「傷だらけの天使」の時も、大麻の常用とアルコール依存症を患っていたという。
4.50年後に見た「傷だらけの天使」に「天使」はどこにもいなかった
最後の自伝の中でショーケンは「傷だらけの天使」のラストは、ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」の影響だと語る。
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反体制のテロリストの主人公マチェクは、共産党首脳を暗殺しようとして別人を殺し、軍によって射殺される。
マチェクは町はずれのゴミ山でうめき、よろめき、笑いながら息絶える。ショックだった。モノクロ画面の中。ゴミ捨て場で虫けらみたいに死んでいく…中略…『傷だらけの天使』のラスト、ゴミの山にドラム缶で捨てられるアキラの犬死も、これとかぶっている。
その章のタイトルは「犬死の美学」。私は亨の死を「美学」にしてほしくなかった。
「美学」と言うなら最後の場面で木暮修(ショーケン)こそ何者かに射殺されるべきではなかったのか。苦く痛切なラストこそ「傷だらけの天使」にふさわしいのではないか?
しかしそれが出来ないで、中途半端でかっこ悪く情けない自分を晒して生きるのがショーケンの演じた木暮修だった。
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50年たって見返すと修を演じたショーケンの気持ちが少しだけ理解できた。
若い頃、私は修や亨とは違い、もっとまともで一角の人物になるつもりでいた。だから私は上の世代の人たちがカッコいいとする「傷だらけの天使」に、どこか反発を感じていた。
しかし半世紀以上生きてみると、私自身も修のようなお調子者で小心で自分勝手な人間だとわかった。大事な人を裏切ったり、見捨てたり、自分の事しか考えず生きてきた。
ショーケンはきっと木暮修が「最後にかっこつけても仕方ない」と思ったのではないか。
修は享を裏切ったのだ。見捨てたのだ。修が一度見捨てたから享は風邪で死んだのだ。
享を殺したのは木暮修自身だ。
そして私の人生にも修と同じような後悔や罪悪感がある。その十字架を背負って生きるしかないのだ。
「傷だらけの天使」を50年経った今観ると、全く違って見えた。ちっともかっこよくはなかった。今と変わらない権利構造の中で、わずかなお金を得るために利用され、嵌められ、助けるはずの子供や女たちの人生が壊されていく。
修と亨の人助けの正義の戦いが子供や女性を死へと導いてしまう。多くの人が虫けらのように簡単に殺されていく。
ふと「傷だらけの天使」の「天使」ってなんだろうと思った。
てんし【天使】
キリスト教で、天の使いとして人間界に遣わされ、神の心を人間に、人間の願いを神に伝えるもの。エンゼル。比喩的に、やさしくいたわりぶかい人。きよらかな人。
金欠で日々の暮らしに困る修と亨に神の心を知るほどの心のゆとりや豊かさはない。どんなに二人が奮闘努力しても修と亨の願いは天に届かず、多くの登場人物は命を落とす。木暮修は、優しいが労わりは足りないし、清らかでもない。
ドラマの舞台の74〜75年は泥沼化したベトナム戦争が終結し、政治が大企業と結びつき、互いの私利私欲のまま行われる金権政治が問題になった年だ。もはや戦後ではないが新しい経済戦争に突入し、兵隊になるのは弱い立場の貧しい人間。
今ではその流れは世界中に広がり、新たな戦争が始まっている。
このドラマのどこに「天使」がいたんだろう。
「傷だらけの天使」に「天使」はどこにもいなかった。
このドラマの中にいたのは小心で自分勝手でありながら、まともに生きたいと願い行動する私たちと同じリアルな人間達だった。
「傷だらけの天使」は、その人間達の心がどうしようもない権力構造の社会で、心がズタズタに傷だらけになる群像劇のように思えた。
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昔から続く社会の権力構造とその下で生きる弱い人間達の痛切な思いを知るために、私にとって「傷だらけの天使」は、50年経っても色褪せない大切なドラマになった。
2009年、ショーケンが亡くなる10年前、木暮修を演じた萩原健一と乾享を演じた水谷豊が対面している動画がYoutubeに上がっていた。
この動画の二人は、もはやショーケンはショーケンではなく萩原敬三として優しく水谷豊をみつめ、水谷豊は享ではなく水谷豊として「萩原のアニキは自分以上に体に気をつけるよう」照れながら、優しい言葉をかけていた。その二人の姿に私は心を打たれた。