読書記録2024/12/7
2024/11/18
合計: 126 ページ
トマス・ホッブズ 『 リヴァイアサン 上 』: 38 ページ
浅田彰 『 構造と力 』: 68 ページ
太宰治 『 斜陽 』: 20 ページ
『リヴァイアサン』と同じくらいの時期に、浅田彰の『構造と力』を読んでいた。
今まで浅田彰の本を読んだことがなかったのだが、主にドゥルーズの日本への紹介者ということで、どれほどかみ砕いて軟化したものだろうと、ずっと想像していた、ところがある程度そういう面はあってもそこまでイージーではなかった、何かそれ以上のものを感じさせる読書になった。
評価の軸として、レヴィ=ストロースと、バシュラールやユングの見ていた、象徴秩序といえばいいのか、「この世界はこう出来ている」というとても美しい世界像と言い換えてもいいと思うんだが、そういう西洋独特の幻想、夢の理想の世界というものと、ドゥルーズやニーチェ、ジラールなどの見ていた、いやいやそんなスッキリとはいかない、もっと欲望に突き動かされた不定形の動的な構造なんだ、という世界と、そういう風に思想の世界を、あえて極端に凝縮してた二元論みたいな感じで描いたという功績がある、そう位置づければ、それが受け入れやすくてイージーにも見える、だがその奥にもう一つ少なくとも意図がありそうだ、という所に納得がいく。
この視点は松原義浩さんに教わった。
2024/12/07
合計: 58 ページ
柄谷行人 『 日本近代文学の起源 』: 56 ページ
ジョルジョ・アガンベン他 『 民主主義は、いま? 』: 2 ページ
今日の読書。
柄谷行人の『日本近代文学の起源』は、長いこと読んでいる。
なかなか一気に読めない。
一口に言えば、「日本」「近代文学」によらず、今私たちが前提としてしまっている価値観(主観/客観、絵画技法における遠近法、子供と大人という分割線等)、それが生まれる起点には透明ではないなにかが起きていて、それ以降はその分割線が全く当然のことに見えて、それを信じない人は狂人に見えて、その分割線は世界が開始してからこのかた全く変わらないものだったという錯覚を生み出している、だが本当は当然ながらそんなことはないのだ、ということを言う為の本だった。
だから、話はまるで文学だけに終始しない。だから、読み進めることに我々の抵抗が、どこかに生じてしまう。
これは簡単に通り過ぎてしまうのは良くない、という予想があって、ここまで遅くなってしまった、というのは半分は言い訳だけれど半分は本当にそう思っている。