読書記録2025/1/13
ハーン=チェンバレンの往復書簡は、今後ものんびり読んでいけそうだ。食事療法の話、読んだ本の話、日本人と、嫌な書き手に対する愚痴など、とりとめのない話が続く。
夏は暑い。蚊が強い。和服は洋服より夏に過ごしやすい。そんなことを、時代の裂け目で話している。
ついに、バディウの、おそらく主著に近いだろう、長いこと図書館で借り続けているのだが、ページを開いた。
誰かの噂で言っていた通り、主題で数学が出てきて、実際に数式が出てくる哲学書(?)だからといって、身構える必要はなかった、そのうち理解不能な部分も出てくるかもしれないが、最初に、なぜ存在を表現するのに数学を使わなければいけないのか、どういう哲学の流れがあって、こうせざるをえないのか、という事について、わかりやすく解説している。いや、そこまでわかりやすいわけでもないが、何というか、あえてわかりづらくしてやろうという、ある種の人を篩で仕分けようという、晦渋さはない。数学こそ、その資格があるのであって、そうであるからには、数学しかその道具はないのだ、というトーンで話は続いている。
あえて主語とそのつながりは省いている。その部分をどう表現していいのかはまだ分からないからだ。
バディウとハーン。食い合わせは非常に悪い。だが、食い物でもないから、こんなことも出来る。