書く魅力は飢えからくる。「過剰な二人」林真理子×見城徹 継続は力かどうかなんて、考えてちゃダメだわ。
私、飢えてるかも。何に? 安心感?
だからこんなにかけてるのかな。
4年前にこんなこと書いててさ。↓↓
継続は力なり。
もちろん、そう。
ん?もちろん?続けたらどんないいことがある?先が見える?つらいことにも耐えたじぶんに自信が持てる?
最近ブログやnoteを更新していない。
理由はわかってる。あの日から。だからまた再開できる日がくるかなーなんて、見た目はのんきに内心はそわそわ罪悪感とともに過ごしてた。
たまにカンタンな料理ブログなんかを更新したら「なんだ、できるじゃん。なまってない」なんて言い訳してた。
最近読み始めた本。
過剰な二人
その一節。
金、人気、名誉、結婚……林さんが、自分の望むものをどんどん手にしていったこと。これは構わない。
しかし、何を得ても、心の奥底には、やはり飢えがあるはずだ。そこに焦点を合わせ、掘り下げてゆくからこそ、林さんの文学は光輝くのだ。
林さんは、幸福に安住し始めているように僕には思えた。それでは、林さんの文学は、生きたものにはならない。
書くという行為は、とても体力がいる。なぜなら、じぶんといつも向き合っているから。だから、書き終えたときの爽快感がハンパない。
向き終えた後の爽快感のための力。それが飢えだ。飢えを掘り下げて、少しだけ理解したり、前向きになれたり、自分の中に落とし込むこと。
書く力って、飢えからくるんだ。
たしかに、今のわたしは幸福。
飢えて飢えて、欲しかったものがこの中にある。その瞬間から書くペースがガクッと落ちた。だからこのフレーズがふに落ちた。
それを旦那さんに話した。
「わたし、いま、幸せなんだよ。満足してる。だから書けない」
喜んでくれると思った。いつも何かに不満で、満たされないわたしはキライかな、と思っていたから。すると、意外な答え。
「それはあかんよー。少しずつでも書き続けなきゃ。今はつたないことしか書けんかもしれんし、後から見返したら、なんであんなこと書いてたんやーって思うかもしれんけど」
「うん」
「きみの文章をたのしみに待ってる人がおるんやから。いま止まったら、みんな離れていってしまうよ」
「うん、わかった」
この人はわたしの編集者か?!
林さんのよき理解者が見城さんだったように、ときに優しく、ときに厳しく、いちばん欲しい言葉をくれる人。
なんてすばらしいんでしょう。
継続は力なりかどうかなんて、考えるのがバカタレや。それは死ぬときにわかること。
さて、今日から再開します。
みなさん、よろしくお願いします♡
近くにいる誰かに、
気持ちを打ち明ける。
それって、やっぱいいことだ。
↓2020.04.06加筆↓
再開♡とか言うとるけども、またのらりくらり、落ちたり上がったりを繰り返してて、またやっと上がってきたよ。不安だから書いてんのかね、また。マガジンもいい感じに乗ってるんで、見てくださ~い。
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