絵に描いたような意志の弱い会社員だが本屋を始めてみた
今の仕事
仕事何してますか?
人に聞かれたくない質問今のところナンバーワンである。
本来であれば仕事に対して持っていたい感情のあれこれ‥例えば誇りや興味、充実感といったものの総量が絶対的に少ないか、または欠如しているからかもしれない。
それは例えば自分=大工、自分=看護師のように、自分と今の仕事をイコールで繋げようとした時に違和感を感じるのと同義語だ。
今の仕事に対して思い入れはある?と聞かれても、食い気味でないと言える。後ろめたさは感じるものの我ながら中途半端だと自負している。
仕事なんだから結局は好きなことをしたいし、だけど好きなことを仕事にするなんてそんな甘いものでないとも言えるし、好きなことを仕事にしたことで好きなことだったはずのものが嫌いになるから心に留めておいたほうが良いとか、一見優しいけど見方を変えればお節介ともいえる人達の意見も多々あるけれど、一旦シンプルに立ち返れば嫌いよりは好きなことのほうがやっぱり充実感はあるような気がする。
勿論どんな仕事も工夫次第、考え方次第、頑張り次第でそんな不満は打破できることもあるのだろう。
仕事自体が悪いわけではなく、断然こちらの落ち度だろう。
意志が弱い
そんな中途半端な沼にはまったままでいると、ことあるごとに現状に対する疑問と不安がフツフツと押し寄せてくる。
劇的に今とは違う何者かに変わりたい。
けれどそんな虫の良い願望だけを内に秘めたまま、だからといって何か努力をするのでもなく、仕事を頑張ったご褒美だと不毛な言い訳を隠れ蓑にして、快適な温床を死守することに何年を費やしてきたのだろう?
ブルーピリオドの八虎もハイキューの日向もベスト・キッドのダニエルさんも自分をアップデートする為に先生やコーチやミヤギさん(空手の達人)との課題や練習、修行を数か月間耐え抜いて成長していく。
過酷な環境を耐え抜いた樹木は数年後立派な大樹となるのであって、課題や修行を乗り越えた主人公達の中には確かに、紛れもない自信が内包されている。
けれどその自信を獲得するまでの道程を描いた軌跡が描かれるのはせいぜいアニメであれば数話、映画であれば数分程度。
観賞者はしばしば本能的に、そしてなかばフライング的に過酷な環境の先に鎮座している光り輝く高揚の瞬間だけを欲してしまう。
ただただ小気味よくライバル達を蹴散らしていくいわば真夏に飲むレモネードのような爽快感を求めてしまう。
けれどレモネードは作品の面白さを追求する為に省略・凝縮されがちな辛い修行の日々の数話、数分間のプロセスの先にしかないわけで、リアルな人生のプロセスに置き換えた場合には、腹の底からフツフツと無限に湧き上がってくる怠け心や恐怖心といったやわな自己との戦いが24時間365日延々繰り返されるわけである。
三三七拍子の掛け声とともに勇気を注入してくれるような応援団がいるわけもなく、漆黒に近い暗闇にポツンと佇むような孤独感の中で、手探りでも進み続ける意思力と継続力がいかに地味でいかに面倒くさいかを思い知る。
そりゃ映画の中でワックスがけやペンキ塗り(ベスト・キッドの代表的修行)のシーンだけを延々120分間放送されても飽きてしまうだろう。
でも変化なんか劇的に訪れないし、変化とは往々にして飽きてしまった頃にようやくやってくるもので、奇跡や運といった贈り物は三年寝太郎のようなプースカ人間には転がりこまないのも自明である。
待てど暮らせど棚から餅なんぞ落ちてはこない。
そもそもこのご時世において餅1個落ちてきただけでは浮かれないし。
磯辺焼きとしておいしく頂いて、しまいだ。
もしも願望がぽっと湧いてでた時に、その願望を夢想のまま片付けて楽に逃げず、現実に達成できるとしたら必要なことはなんぞや?と自分で考えること、調べること、他人との比較は一切しないこと、ただひたすらに実直にコツコツとほんのささいな行動を積み重ねることでしか道はないように思う。
本屋で働きたいかもとの願望はあった。
けれどそれは頭の中でポツポツと浮かんでは消えるとても小さくてささいな泡粒程度の存在であったし、あまりに頼りなく心細い願望であったからこそ、熱量はそこまで強くないからとか、本屋になれたとして生活していけるのだろうか?とか諦める為の理由を10個ほど素早く列挙して、自ら率先して断念して終いであった。(なぜ諦める理由は列挙して、諦めない理由は一向に列挙しないのだろう?)
でもいい加減その宙ぶらりんな状態に飽き飽きして、このぬくぬくした温床から抜け出すことに心を決めた。
本屋で働きたいと思った理由
そもそも本屋で働きたい理由は言葉が詰まった本が好きだから。
今の心境にもろにリンクしてしまう言葉に出会った時のぽこぽこと心が沸き立つ瞬間がたまらない。
気持ちが軽くなったり新しい発見をすることがままある。
そんな体験をたかだか数百円で得られるなんて、お得感に心が震える。
遠い昔結婚式の時に、ゲストそれぞれに合いそうな本を選書してプレゼントしたことがあった。準備で選書していた時間もプレゼントした瞬間もプレゼントした後に気に入ってもかえたか想像を膨らませる時間もどれも楽しくて仕方がなかった。
友人に心の震えるような体験を与えるきっかけを提供できたかもしれないと思うことがただただ嬉しかったし、結婚式後もしばらくの間はほくそ笑んでいた。(友人数人には読んでいないまたはどっかいったとの報告を後日受けて、がっかりしたものだが‥笑)
大好きな灰谷健次郎さんの本『天の瞳』の中で仕事について語られる場面がある。
《仕事というもんは、これまでいろいろなことを学ばせてもらったお礼でもあるから、いつも人の役に立っているという心棒がなかったら、その仕事は仕事とはいわん。ただの金儲けと仕事は区別せんといかん。〜仕事は深ければ深いほど、いい仕事であればあるほど、人の心に満足と豊かさを与える。人を愛するのと同じことじゃ。ひとりの人間が愛する相手は限りがあるが、仕事を通して人を愛すると、その愛は無限に広がる。そうして生きてはじめて、人は、神様からもろうた命を、生き切った、といえるのじゃ》
本屋という仕事こそ、この条件を十二分に満たす仕事であるように感じた。
だから本屋を始める為のあれこれを本気で考え始めたわけである。
本屋を始める為にしたこと
本屋に関する本読んで、新刊の仕入れ方法と仕入金額に消沈して。
実店舗を運営した場合のランニングコストを計算して店舗経営は速攻断念した。
でも一方で別に本を売って生きれなくてもいいとも思った。
生活費は会社で稼げばいい。
本屋がやってみたい訳で本屋だけで生きていきたいわけじゃない。
新刊がだめなら古本を売ればいい。(だから古本屋にした)
実店舗がだめならネットだけで売ればいい。
実店舗がなくても、古本であっても、読んでみてほしいと思う本を見ず知らずの他人が買って読んで、豆粒ほどでもいいから日常生活の中に変化や発見を与えるきっかけを提供できれば、それ以上に嬉しいことなどそうそうない。
何度も怖じ気づいて、面倒くさいと呟いて、その度にへたれな自分を叱咤激励して、なだめすかして、やっとこさ必要書類とお金をかき集めて古物商許可証を手に入れて、五里霧中で本販売のサイトで製作して、1日1冊ずつ程度のペースでゆっくり本の登録をしてきた。
そんなこんなでとりあえず本屋を始める準備が整った。(と思う)
何かを始めたり、成し遂げるのはやっぱり地味で面倒くさいけれど到達までの道程を細分化して1つずつクリアしていけば数か月、数年後にはこうなりたいと夢想していたステージに手をかけることはできる。
完璧を求めてしまうから、あっという間に過ぎていく時間に後々恐れおののくことになることを知ったから、50%程度での見切り発車に切り替えた、切り替えざるを得なかった。
自分の本屋
新刊は販売してないし、実店舗はないし、オンライン販売だけ。
でも自分が売りたいと思う本を売る。ちょっとしか売れなくてもいい。ジャンルも自由気ままにおもむくままに。
自分の本屋だからできること。
メルカリでも古本は売れる。けど違う、それは自分の本屋じゃない。
近くのブックオフにも売ってる本。金額だけでいえば絶対近くのブックオフのほうが安く買える。笑
でも物を買うのに安さだけで判断しない場合もときにはあっていいと思うし。 出会った瞬間に出会った場所で買った時にしか得られないちっちゃい運命の欠片みたいなものがくっついてくることもあると思う。
心に残る一冊と出会う機会を提供できたらすごく嬉しい。 読んだ感想なんかもらえたら喜びも一塩かと思う。
良かったら覗いて見てください。 どなた様もお待ちしております。
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