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小説と私の無意識

 小説家になって十年が経った。私は、小説を書いて暮らす日々が好きだ。
 少女の頃からずっと小説を書き続けてきて、小説はもはや私の皮膚であり臓器だ。
 小説を書かかなくなったら、私は何になるのかさえわからない。
 けれど、物語を吐き出し続けた私の脳みそはもう、空っぽなのかもしれないなと時々思う。
 今年は、春から夏の終わりにかけて、絶望するくらい、何も書けなかった。ふるえる手でSNSをひらいては、きらきらしているだれかが眩しく、自分なんかいらないと劣等感でうめつくされた。私の脳はおそらく、直火であぶられたマシュマロのように、溶けてしまっていた。
 これまで、本をたくさん出版した。がんばったと思う反面、まだ花が開かないと感じている私がいる。評価された小説もあるし、刷ってもらっている部数が多いので、重版に結びつかないだけかもしれない。
 それでも、花が咲いたという実感がないのは、そういうことなのだと思う。
 尊敬する方々のタイムラインを眺めていると、ひしひしと、私にはセンスや人間力が足りないのだなと感じる。
 この世界は才能であふれていて、圧倒的な文章や、小説に、時々出会う。すごい、と思う。この人の作品を読めてよかったと心から思う瞬間、うれしくなる。私も、そういうふうな誰かの心に刻まれる作品が書きたいと、猛烈に感じる。
 少女の頃は、自分だけの為に小説を書いていた。片思いの相手がいて、小説の中で、自分の恋を叶えたいと思った。小説はそんなふうに、いつだって、寂しい現実を満たしてくれる存在だった。
 けれどデビューしたあとの世界は、自分が描きたいと感じる表現だけをしていられるわけじゃない。こんな現実的なことは言葉にしたくないけれど、ちゃんと結果を出さなくてはいけない。作家にとっては絶対に、数字がすべてじゃない。ひとりでも読んでくれたらうれしいし、感想をひとつ見つけたら、その日は踊りたいくらい幸福になれる。でも、出版社にとっては数字が大きく、やさしくしてくれた編集さんが、もう連絡をくれなくなることほど、悲しいことはない。
 デビュー直後は、ボロクソに言われることが多かった。一時期は小説を書くのがこわくなって、大好きな本屋に行くのもこわかった。
「小説というのは、好きを好きと書いちゃいけない」「小説を書く方法って本を読んだほうがいい」「美少女が主人公では誰も感情移入できない」「あなたの小説は読む気にならない」
 編集者はそういう類のことを言った。
 私の小説のレベルが低かったんだろう。それはそうだと思う。あの頃の私には書けなかった。何をどう書けばいいのかすら、わからなかった。だから右も左もわからなかった私と、デビュー作である「静電気と、未夜子の無意識。」を、大切に、一緒に作ってくれた編集さんには感謝しかないし、未夜子がいなかったら、今の自分はいなかった。
 もうAmazonに在庫はない。初版がぜんぶ売れたのかはわからない。ただ重版はされなかったし文庫もでていない。でも私にとってデビュー作は、二十四歳の感性でしか書けなかった感情が詰まっている大切な本で、読み返すたび、胸がギュっとなる。
 とはいってもあまり売れなかったのでそれ以降依頼は全然こなかった。
 二年後、初音ミクさんの楽曲とコラボした小説「蝶々世界」が発売になった。
 もともと私が蝶々Pさんのファンで、ファンメールを出したのが依頼の切欠だった。すきということは伝えるべきだなと思った。ノベライズという体裁だけど、楽曲のイメージで自由に書いていいと言ってもらい、少女向けながらも、自分らしい作品が書けて、大好きな一冊になった。
 評判もよかった。自分らしさとエンタメ性がうまくまじわった気がした。そこから、少女向けの小説の依頼が相次いだ。書いたことのないジャンルばかりで、手探り状態で、小説を紡いでいたように思う。締め切りも厳しくて必死だった。今ならもっとうまく書けたのにと感じる作品もある。いちばん後悔しているのは、その間に、文芸の依頼をもらっていたのに、締め切りに忙殺されて、逃してしまったことだ。思い出すと悔しくて眠れない。
 よくもわるくも、とても若かった。自分の拙い発言や、力不足で炎上したこともあった。死んでしまいたいくらい辛かったけど、ひとつひとつ批判を読んで、もっともっと小説に向き合わなければと思ったし、自分のレベルの低さを感じた。読者の求めることが書けなかった以上、がんばった、なんて、何のいい訳にもならない。
 三十代になった今、あと何作、小説を書けるのかわからない。一冊一冊、自分らしい作品を書かなくてはいけないし、書くべきだと、最近、ほんとうに感じている。
 けれど根本的に、わたしはまだまだ人間として不完全なのだと、この半年間、色んなことを考えて、思い知った。
 結局私はいつも、私のことしか考えていない。この文章を書いているときでさえも「私」という単語を、無意識に幾つ使っただろう。だから自分のことを考えすぎて、鬱になったりするんだと思う。ため息がでる。
 ゆえに、小説家としても未完成なんだろう。
 もっと色んな作品に触れて、ひとと向き合って、優しい人に、自然と素晴らしい物語や文章を、紡げるようなひとになりたい。
 美しく、切なく、人の痛みや、だれかを愛する気持ちや、もっと深く、心があたたまるような物語を、書けるようになりたい。
 そして、ばかみたいだけど、自分や作品を発信することを、もうこわがりたくない。フォロワーが減るとか、いいねがつかないとか、誰も私に興味がないんじゃないかとか、そんなことを考えて発信することを躊躇することをやめたい。別に黒歴史になってもいい。ふりかえれば私の人生なんか、ぜんぶ黒歴史だ。そもそも私を知る人なんて、自分が思っているより全然いない。惨めな瞬間がいっぱいある。
 何も表現せずに、自分のことを知ってもらえずに、このまま真夜中のなかに溶けていくだけなんて、そのほうがこわいよね。
「とにかく私、素晴らしい小説を書くよ」
 そして花が咲いて、成長した私が、こんな格好悪い文章を書いたことを、後悔できるように。

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