一眼レフは寂しがり屋のために:旅とカメラとわたし
旅は一人に限ると思っています。
でも、カメラは持っていきます。
「カメラを持たずに自分の目でしっかり見た方がいい」というご意見もあるでしょう。でも、わたしにとってそれは「料理を味わうためには目を閉じて食べたほうがいい」と言われているようなものです。
カメラは感覚器のひとつ?
確かにそういう面もありますが、少し違います。
カメラは「世界と自分の仲を取り持ってくれる存在」です。
鉄橋を渡る。
きれいな紅葉が目に入る。
カメラを手にしてファインダーをのぞくと、そこには自分が見ていたのとは少し違う風景、別の視点によって純化された世界があります。
それはきらきらと輝き、息遣いまでも伝わってくるようです。
「はじめまして、こんなわたしはどうですか?」
「こんにちは、とてもきれいです」
ファインダーの中での対話があり、世界は彩りを増します。
シャッターを押す。
ミラーの音。
一瞬の暗転。
世界とわたしのちいさな物語の完結。
「世界」は自分の中にあります。
でも、閉じた「自分だけの世界」を生きるべきではありません。
だからわたしたちは、小説を読んだり、他者と交流したりします。
写真を撮ることも「自分の世界」を広げてくれます。
「自分の世界」の拡張。
その力は、一眼レフを使う時により強く感じます。
もちろん、ライカを一台持って旅をするのも素敵です。
でも、そのファインダーをのぞいて写真を撮る時には「世界との対話」を経ずに、まっすぐにシャッターをきっています。
自分の視点で世界を切り取るレンジファインダー。
世界と対話し、関係を結ぶ一眼レフ。
カメラが変われば世界の捉え方が変わるのです。
ひとりの旅路も、一眼レフがあれば孤独ではありません。
ファインダーをのぞけば、そこに対話が生まれるのですから。
寂しがり屋のひとり旅には一眼レフがいいのです。
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「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。