kimura noriaki

茨城県在住/自然科学分野の研究者/写真の話が多いです

kimura noriaki

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最近の記事

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それを「写真」と呼んでもいいですか?

今日、1台のカメラを持って、 世界で一番大切なものを撮りにいきます。 --- 何のために写真を撮っていますか? 以前なら、写真は特別な瞬間を残すものでした。冠婚葬祭、こどもの成長、友達との旅行。それらの写真はプリントされ、アルバムに貼られ、あとで見返されました。もちろん、そういう写真は今でもたくさんあるでしょう。 でも、昨日のお昼の海鮮丼の写真、それをあとで見返しますか? 最近の写真の多くは、見返すために撮られていません。わたし自身のことを考えても、心を動かされたも

    • 写真に言葉は必要ですか?

      「表現」に触れるためには準備が必要です。 ある一枚の写真に対して、あるいは、たまたま通りかかったギャラリーの写真展を見て「さあ、何かを感じてください」と言われても、そんなことすぐにはできません。無理して言葉にしようとしても「プリントのトーンがきれい」とか「写真の構成が絶妙」など、表現の本質とは関係のないことばかりになってしまいます。 --- 「表現」に触れるためには感覚が励起状態になる必要があります。 それは、「作品の世界」に取り込まれるような、地面から浮かび上がるよ

      • 温泉、それは全力疾走

        「こんど、いっしょにどっか行かない?」 と長女に言われたのは今年の春、ふたりで夜の菊ヶ浜に行っている時で、「いや、いままさにどっかに行ってるけど」と言うと、「そうじゃなくて温泉とか」とリッチなことを言うので、「じゃあ夏になったら考えよう」と先延ばしにしておいたのでした。 そして「真夏の温泉は暑すぎるのでちょっと涼しくなってから」の9月中旬、この時期としては記録的な暑さの中、山の中の温泉に行きました。古い建物は心地良く、窓を開けても川の音しか聞こえない、まさに絵に描いたよう

        • そんな8月へのはなむけに

          夏が好きです。 だから8月が嫌いです。 8月は夏が衰えていく月。 それなのに「夏だ!わっしょい!」とノーテンキに盛り上がっている世間。その空回り感がますます寂しさをつのらせます。 8月を「夏真っ盛り」と思ってしまうのは、8月がまるまる夏休みだったこどもの頃の記憶のせいもあるでしょう。 もし、学校の夏休みが7月までだったら、8月は残暑の中で静かに秋の気配を見つけていく季節だったかもしれません。 それこそが正しい8月のような気がします。 勝手に「夏の絶頂期」にされてい

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        それを「写真」と呼んでもいいですか?

          「ペンギンは飛ぶのをやめたんだよ」と彼女は言った

          飛ぶって大変です。 大きな翼が必要で、体や脳を大きくすることもできない。飛ぶ以外の場面では、飛ぶための能力は重荷です。いや、利点に思える「遠くに行けること」や「多くの情報が得られること」すら、生きる上での障害になることもあるでしょう。 「ペンギンは飛ぶのをやめたんだよ」 この言葉はそれからも、ことあるごとに頭の中によみがえってきます。 少し前の記事に「不便なカメラは必要とされ続ける」と書いたときもそうでした。 オートフォーカスやデジタル技術はカメラにとっての「翼」です。

          「ペンギンは飛ぶのをやめたんだよ」と彼女は言った

          「ライカ欲しい熱」にかかった人のために

          もしあなたが「M型ライカ欲しい!」というやっかいな熱病にかかっても、清水の舞台から飛び降りるのはちょっと待ってください。もしかすると、その衝動を受け止めるもっと効果的な方法があるかもしれません。 それはあなたの「ライカ欲しい熱」の種類によります。 「高価な物を買った満足感」を得たい場合 あなたの熱を冷ますにはライカの購入が有効です。心置きなく最新のライカを買ってください。 「とにかく『ライカ』が欲しい」場合 「ライカ」はカメラ界を代表するブランド。背負ってきた歴史が

          「ライカ欲しい熱」にかかった人のために

          そのカメラのちいさな秘密

          「マニアックだけど惚れる」そんなカメラのチャームポイントのランキングを作ったとしたら、わたしにとっての1位はニコン F3にあります。 それはアイピースシャッター。 何色か知ってますか?赤です。 ただの赤ではなく、官能的な赤い色。 ファインダーに真っ赤な幕が隠されていること。 その気になれば、それで世界を塞ぐことができること。 自分だけが知っている秘密。 Knowing she would的ドキドキ感。 この赤い幕は「世界と対等に向き合う勇気」をくれるのです。 F3が数

          そのカメラのちいさな秘密

          遠心的なハーモニー:写真の魔法

          遠心的なハーモニー:写真の魔法

          写真を忘れた7月

          最近1ヶ月くらいあまり写真を撮っていません。 カメラ(EOS 6D+Planar 50/1.4 または F3+Nikkor 50/1.4)はほぼいつも持ち歩いています。 「カメラを持っていない」と「持っているけど撮らない」は違います。「恋人はいない」と「たまにしか会わない恋人がいる」の差くらいに。 なにか撮ろうという積極的な意欲はなくても、1日に1回くらい、呼ばれたようにシャッターを押します。普段は気に留めないようなものが写っています。 1日に1000枚の写真を撮って

          写真を忘れた7月

          月曜日、モノクロフィルム、ローカル線。

          「どこか行きたい?」 「こみなと」 「遠いよ」 「遠くないよ」

          月曜日、モノクロフィルム、ローカル線。

          雨音 note

          6月28日は「雨の日」です。わたしの中では。

          「天才」ってなに?

          ー ハルジオンが咲いてるよ さだまさしだね ー YOASOBIでしょ、そこは じゃあ、百歩譲ってBUMP OF CHICKENで ー Ayaseさんは天才じゃん 藤くんも負けてないよ ー ところでさ なに? ー 天才って何? え? ー だから「天才」って何? 世界への愛を形にできる人。 ー 抽象的な表現で逃げるのはダメだと思うよ。 凡人が天才について語るのもダメなんじゃないかな。 ー キミのこと、ちょっとだけ天才だと思ってたのになぁ。 え? ー あー期待して損

          「天才」ってなに?

          むかしの恋人/北海道と茨城と

          過去の出来事。 そこにあったモノや感情。 それらが消えることはありません。 「その事実」は「その時間」に存在し続けます。 それを憶えている人がいなくなっても。 太陽の光が消えても。 --- 札幌に来ています。 10年10ヶ月暮らしたこの街を離れて16年。 いまも至る所に過去の出来事が消えることなく息づいています。 それは単なる「自分の中の記憶」ではありません。 「その時間」に「その事実」が明確に存在しているのを感じるのです。 過去形ではなく現在形として。 --

          むかしの恋人/北海道と茨城と

          なんちゃってライカ:D-LUX4

          15年前にやってきたコンパクトデジカメ。 D-LUX4は見た目の魅力だけで買いました。 何の装飾もないシンプルな黒い姿に惹かれたのです。 本当は赤いライカマークがなければさらによかったのですが(購入前も使い始めてからも、このカメラを「ライカ」だと思ったことはありません)。 中身はパナソニックのLX3です。 なのに、LX3より4万円くらい高かったと思います。 その頃、仕事に行く時も散歩の時も、いつもこのカメラを持ち歩いていました。スイッチやダイヤルが華奢で、「ああ、カメラ

          なんちゃってライカ:D-LUX4

          センチメンタルな15才の旅

          「誕生日プレゼントは青春18きっぷがいい」と娘からリクエストがあったのは彼女が15才になる少し前です。そういえば、わたしがはじめて18きっぷを使ったのも同じ頃でした。 7月の薄曇りの日。 娘の最初の「18きっぷの旅」に一緒に行きました。 わたしの手にはキヤノン new F-1。 それはわたしが15才の時からそばにあるカメラです。

          センチメンタルな15才の旅

          2冊の写真集:「鎌鼬」と「 センチメンタルな旅」

          「鎌鼬」と「センチメンタルな旅」 どちらも読者を異世界に引き込む写真集です。 読者に「異世界を見せる」写真集は少なくありません。 でも、「異世界に引き込む」力を持った写真集がどれだけあるでしょうか。 出会い二十数年前、その写真集について何も知らずに「鎌鼬」に出会いました。 北海道大学図書館の北分館。窓辺の書棚を眺めていると、白い背表紙の大きな本が目に留まりました(そこに「写真・細江英公」と書かれていなければ、手に取ることもなかったでしょう)。それは見るからに特別な一冊、

          2冊の写真集:「鎌鼬」と「 センチメンタルな旅」