kimura noriaki

茨城県在住/自然科学分野の研究者/写真の話が多いです

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最近の記事

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それを「写真」と呼んでもいいですか?

今日、1台のカメラを持って、 世界で一番大切なものを撮りにいきます。 --- 何のために写真を撮っていますか? 以前なら、写真は特別な瞬間を残すものでした。冠婚葬祭、こどもの成長、友達との旅行。それらの写真はプリントされ、アルバムに貼られ、あとで見返されました。もちろん、そういう写真は今でもたくさんあるでしょう。 でも、昨日のお昼の海鮮丼の写真、それをあとで見返しますか? 最近の写真の多くは、見返すために撮られていません。わたし自身のことを考えても、心を動かされたも

    • 銚子、夕暮れは青色。

      少し前に長女と一緒に来た銚子に、今日は次女とやってきました。 ふたりで銚子電鉄に乗るのは3度目。 銚子電鉄は小湊鉄道と並ぶ「奇跡のような素敵な路線」です。 銚子はとても好きな街です。 海が好きだからというのもありますが、地形的に「端っこ」にある感じが落ち着きます。「端っこ」は「すべてを見渡せる場所」であり「自由に囲まれた場所」なのです。(そう感じるのは自分が山口県生まれのせいかもしれません) 写真を撮る人ならご存知の通り、夕暮れは青い光の中にあります。 だから、夕日の色

      • 雨は小樽のために

        小樽の外れにある小さな浜辺。 あの日、ふたりで、ただ海を見ていました。 海は穏やかでした。 赤い列車が高い警笛を響かせながら通り過ぎ、 陽が傾くにつれて少し肌寒くなってきました。 札幌からの列車が朝里駅を過ぎて左にカーブすると、小さな浜辺が見えてきます。いまでもそこを通るたびに、あの5月の午後のことを思い出すのです。 小樽。 晴れた日の記憶も、甘い湿度を持って染み込んでいる街。

        • 青春18きっぷにサヨナラを言う日

          はじめて青春18きっぷを使ったのは中学生の時、国鉄が終わる頃です。それ以来、何枚の18きっぷを使ってきたかわかりません(とってあるものだけで100日分以上ありました)。 はじめて東日本に足を踏み入れたのも青春18きっぷで中学生の時。大垣ー東京間を走る「大垣夜行」にはその後30回以上乗りました。列車を待つ夜のホーム、早朝4時42分の東京駅の空気、それらはいまでもはっきりと憶えています。 これまでにも青春18きっぷは少しずつ変わってきました。もっとも変わったのは1枚にまとめら

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        それを「写真」と呼んでもいいですか?

          ハッセルブラッドSWCが写真を教えてくれた

          ハッセルブラッドのSWCはBiogon 38mm F4.5が固定された6×6判の広角専用カメラです。縦横比が違うので比較は難しいですが、画角は35mm判で20mmから24mmくらいの感覚でしょうか。他の多くのハッセルブラッドのような一眼レフではなく、上に乗ったファインダーで撮影範囲を確認します。 写真を撮ることに少し慣れてくると、きれいにまとまった「それっぽい写真」を撮って満足するようになります。それが悪いわけではありませんが、自分の思い通りに、あるいはなにかの基準に沿って

          ハッセルブラッドSWCが写真を教えてくれた

          紫金山・アトラス彗星に願いをかけよう

          百武、ヘール・ボップという大彗星が立て続けに見られたのは学生時代で、その頃は、そんな彗星は何年かに一度やってくるものだと思っていました。でも、それ以来27年「彗星らしい彗星」は一度も現れませんでした。 この間に、大彗星(大きい彗星という意味ではなく、明るく見える彗星)になることを期待させたものもありました。でも、結局は「なんとか肉眼でも見える」程度で終わってしまいました。はじめて見つかった彗星(ほとんどがそうです)は大きさも性質もまったくわからないので、予測が難しいのです。

          紫金山・アトラス彗星に願いをかけよう

          通勤途中に戸頭交差点から新大利根橋を渡って農道に下りるまでの間に考えたこと

          「頬」から始まる「斜陽」の歌詞。 きっと、「ほー」っていう音ではじめたかったんだろうな、と考えてしまうくらい「ほー」の響きは美しいです。文化や人種を超える、あるいは他の動物にも共通する心からの声に聞こえます。 言葉は「意味」であり「音」であると気付かされます。 --- 言葉の「音」に惹かれて作った曲に違いない。 そう思わせるのはレキシの「KATOKU」です。 この曲は「世襲制!」と声高に叫びたくて作ったはず。 せしゅうせい! 固い意味とは裏腹な、フランス語と英語が混

          通勤途中に戸頭交差点から新大利根橋を渡って農道に下りるまでの間に考えたこと

          ぼくらが恋に落ちる理由:サカナ編

          わたしのしあわせは、おいしい魚が食べられることです。 那珂湊といえば「市場寿し」だったのですが、最近は海門橋を渡ったところにある「こけらや」に行くことが多くなりました。簡素で、落ち着いて、全方向から光が入っているような明るい店内。注文が入ると立ち上がり、黙々と魚を捌き始めるご主人。おいしいお刺身だけでなく、お店に漂う静かな雰囲気が好きです。 疲れている時、ふと思います。 「ああ、こけらやに行きたい」 「そばにいたい」は恋の基本的な感情です。 「恋する凡人」の歌詞を聴い

          ぼくらが恋に落ちる理由:サカナ編

          ぼくらが恋に落ちる理由:カメラ編

          着実に遠くまで行こうとするのが愛なら、刹那の衝動の中であたらしい世界を見ようとするのが恋。愛は積分値を、恋は微分値を最大化しようとします。 どちらかが上位にあるわけではありません。 人生には「愛」も「恋」も必要です。 それはカメラとの関係にも言えることです。使いやすくて信頼できるカメラと、高揚感をもたらしてくれるカメラ。そのどちらも大切です。 「愛」の側のカメラ、つまり信頼できるカメラはスペックなどを検討して理性で選ぶことができます。あるいは、長く使っているうちに大切な

          ぼくらが恋に落ちる理由:カメラ編

          彼岸花の女優性

          いつもより1週間くらい遅れて彼岸花が咲きました。 こどもの頃には「毒があるんだから触っちゃダメだよ」と言われていました。そのせいで、彼岸花をより魅力的に感じるようになりました。 --- 家のそばでも職場でも咲いているので、なんとなくカメラを向けます。でも、思い通りには撮らせてくれません。 彼岸花は女優なのです。 独特の圧で「真上からアンダー目に撮ること」を求めてきます。 「それ以外の撮り方は許しません」 でも、それは単なるワガママではありません。 女優は自分の価値

          彼岸花の女優性

          「ちょっとそこまで」って、どこまで?

          「近所」とは「車で2時間以内の場所」 とりあえず、それがわたしの基準です。 先週のある日、晩ごはんのあとで「銚子電鉄の最終列車に乗りに行こう」ということになりました。いや、銚子まで車で2時間以上かかるので「近所」じゃないし、夕食後にふらっと行くような場所ではないのだよ。 この数日後、下宿先に帰る長女(夏休み中だった)を駅に送って行こうとすると「山陽新幹線、運転見合わせ」のニュースが。「まあ、午後には動くんじゃない」というわたしに「おとーさんが連れて行ってくれればいいんじゃ

          「ちょっとそこまで」って、どこまで?

          写真に言葉は必要ですか?

          「表現」に触れるためには準備が必要です。 ある一枚の写真に対して、あるいは、たまたま通りかかったギャラリーの写真展を見て「さあ、何かを感じてください」と言われても、そんなことすぐにはできません。無理して言葉にしようとしても「プリントのトーンがきれい」とか「写真の構成が絶妙」など、表現の本質とは関係のないことばかりになってしまいます。 --- 「表現」に触れるためには感覚が励起状態になる必要があります。 それは、「作品の世界」に取り込まれるような、地面から浮かび上がるよ

          写真に言葉は必要ですか?

          温泉、それは全力疾走

          「こんど、いっしょにどっか行かない?」 と長女に言われたのは今年の春、ふたりで夜の菊ヶ浜に行っている時で、「いや、いままさにどっかに行ってるけど」と言うと、「そうじゃなくて温泉とか」とリッチなことを言うので、「じゃあ夏になったら考えよう」と先延ばしにしておいたのでした。 そして「真夏の温泉は暑すぎるのでちょっと涼しくなってから」の9月中旬、この時期としては記録的な暑さの中、山の中の温泉に行きました。古い建物は心地良く、窓を開けても川の音しか聞こえない、まさに絵に描いたよう

          温泉、それは全力疾走

          そんな8月へのはなむけに

          夏が好きです。 だから8月が嫌いです。 8月は夏が衰えていく月。 それなのに「夏だ!わっしょい!」とノーテンキに盛り上がっている世間。その空回り感がますます寂しさをつのらせます。 8月を「夏真っ盛り」と思ってしまうのは、8月がまるまる夏休みだったこどもの頃の記憶のせいもあるでしょう。 もし、学校の夏休みが7月までだったら、8月は残暑の中で静かに秋の気配を見つけていく季節だったかもしれません。 それこそが正しい8月のような気がします。 勝手に「夏の絶頂期」にされてい

          そんな8月へのはなむけに

          「ペンギンは飛ぶのをやめたんだよ」と彼女は言った

          飛ぶって大変です。 大きな翼が必要で、体や脳を大きくすることもできない。飛ぶ以外の場面では、飛ぶための能力は重荷です。いや、利点に思える「遠くに行けること」や「多くの情報が得られること」すら、生きる上での障害になることもあるでしょう。 「ペンギンは飛ぶのをやめたんだよ」 この言葉はそれからも、ことあるごとに頭の中によみがえってきます。 少し前の記事に「不便なカメラは必要とされ続ける」と書いたときもそうでした。 オートフォーカスやデジタル技術はカメラにとっての「翼」です。

          「ペンギンは飛ぶのをやめたんだよ」と彼女は言った

          「ライカ欲しい熱」にかかった人のために

          もしあなたが「M型ライカ欲しい!」というやっかいな熱病にかかっても、清水の舞台から飛び降りるのはちょっと待ってください。もしかすると、その衝動を受け止めるもっと効果的な方法があるかもしれません。 それはあなたの「ライカ欲しい熱」の種類によります。 「高価な物を買った満足感」を得たい場合 あなたの熱を冷ますにはライカの購入が有効です。心置きなく最新のライカを買ってください。 「とにかく『ライカ』が欲しい」場合 「ライカ」はカメラ界を代表するブランド。背負ってきた歴史が

          「ライカ欲しい熱」にかかった人のために