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ハッセルブラッドSWCが写真を教えてくれた

歪みがなく、周辺までビリビリくるようなシャープな写り。でも、SWCの魅力はそれだけではありません。(徳佐八幡宮)


ハッセルブラッドのSWCはBiogon 38mm F4.5が固定された6×6判の広角専用カメラです。縦横比が違うので比較は難しいですが、画角は35mm判で20mmから24mmくらいの感覚でしょうか。他の多くのハッセルブラッドのような一眼レフではなく、上に乗ったファインダーで撮影範囲を確認します。


SWCとはいつも一緒。雪の日でも肩から下げて歩いました。(札幌、通学途中の道)


写真を撮ることに少し慣れてくると、きれいにまとまった「それっぽい写真」を撮って満足するようになります。それが悪いわけではありませんが、自分の思い通りに、あるいはなにかの基準に沿って撮っている限り、「写真の力」は半分しか発揮できません。

写真の力の残り半分(それこそが写真だけが持つ特別な力なのですが)は「意図しないものを写す力」です。


「広角は寄って撮れ」と言われますが、「撮りたいと感じた場所でシャッターを押す」のも悪くありません。それは「神様が与えてくれた距離感」なのですから。(実家の縁側)


わたしにとって幸運だったのは「写真に慣れてきた頃」にSWCと恋に落ちたことです。そのファインダーの視野はいい加減で、ピントは目測。だから「思い通りの写真を撮ること」ができません。そのおかげで、写真は「思い通りに撮れないほうがおもしろい」ことに気づかされました。


SWCを手にしていると「モノ」ではなく「場」を見るようになります。(巡視船「そうや」の船尾から見た海氷の海)


同じ頃にBiogon 21mm付きのコンタックス G1も使っていましたが、その場合、縦で撮るか横で撮るかという選択が生じます。作意が生まれるのです。6×6判のSWCは「できるだけ作意を消したいとき」に最高のカメラです。


細かいフレーミングは自分で決めなくていいのです。「写った範囲」が「写すべき範囲」なのですから。(蕪嶋神社)


SWCはそっと教えてくれます。写真の基本は「撮りたいと思ったら、撮りたい方向に向けてシャッターを押すこと」それだけだと。


その結果「それっぽい構図」になっているものもあります。(立石寺)


たまにSWCを使うと「ああ、これこそが写真だ」とあらためて思います。いまでもSWCはわたしの写真の先生です。


意図せず写真に神様が降りてくることもあります。(銀山駅)


「世界を既存の型にはめる」ために写真を撮っているわけではありません。「自分の知らなかった世界に気づく」ために撮っているのです。


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「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。